種のない魔法使いと私
マリサの家は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。使い道がさっぱりわからない道具や物であふれかえっている。足の踏み場を確保するのなやっとなくらい、所狭しと散らかっている。
なんでこんなに汚いの? と聞こうとして、口を押さえた。なんて失礼なことを口走ろうとしていたのだ。
なんといえば傷つけずに聞けるだろう。いや、そうだ、何もこの家の惨状を話題に出す必要はないのだ。いや、でも他人の家に入って感想一つ述べないのは何かおかしい気がする。な、ならば。
「き、綺麗なおうちだね」
家に入ってめちゃくちゃ大きな帽子を唯一綺麗なテーブルの上に置いたマリサが、苦笑いしてこちらを向いた。
「いくらなんでもお世辞だってわかるぜ。あたしはこれ以上汚い部屋を見たことがない」
「わ、私の部屋は……」
「あり得ねえって」
椅子を引いてテーブルについたマリサは、一瞬も迷わずそう言った。
「な、なんでそんなことわかるの? 私家じゃズボラだったかも……」
「……ま、いいじゃん、そんなこと。ま、座ろうぜ」
ポンポン、とマリサは隣の椅子を叩いた。座れ、ということだろうか。私はおじゃましますと言うと、物を踏まないよう注意しながらテーブルまで行き、マリサの隣に座った。
マリサは私の頭に手を乗せて撫でてくれた。荒々しい手つきだけど、全然嫌じゃない。
「幻想郷には、慣れたか?」
「うん。みんな優しくしてくれるよ」
怖いくらいに、みんな優しい。会う人会う人が、まるで尽くすように優しく接してくれて嬉しいし安心するのだけれど、不安でもある。
みんな、本当に私を見ているの、って。
だって、私は不気味な子供なはずだ。表情は変わらない、変に物事を考えている。それなのに、誰一人そんなことを言う人はいなかった。初めて会った人だっているはずなのに、まるで私のことを知っているかのように振舞った。
「マリサ、正直に答えてほしいんだけど」
「約束はできないなぁ」
そうマリサは軽い調子で言った。それでもいい。答えて欲しかった。
「私、気持ち悪くない?」
私を撫でる手が、止まった。
「……は?」
「表情一つ変わらなくて、変に言葉の多い私を……気持ち悪いと思わないの?」
私がそう言うと、マリサはとても面白そうに笑った。
何が可笑しいのかな。
「あっはっはっはっは! 何を考えてるかと思えば! そんなことかよ! あたしらがお前を気持ち悪い? 思うわけねぇじゃん!」
がしがしと、撫でたり抱きしめたり、こちらが困惑するくらい愛情表現をしてくる。
「好きでもねぇやつにこんなのできねぇよ。な?」
「できる」
私の断言に、マリサは悲しそうな顔をした。何もかも、全部知ってるから、悲しい。そんな表情だった。
「そりゃ、ここに来る前のお前は命かかってたからできたんだろ? じゃあたしは? あたしは、ミオに命の危険なんて感じてないぜ?」
「……私、吸血鬼」
私がそう言うと、マリサは私の額に自身のそれを当てた。視界がマリサの顔でいっぱいになる。
「あたしは、ムカつくんなら神様だろうがぶっとばす。あたしはバカだからな。相手が誰かとか考えねぇ。好きなヤツと話して、嫌いなヤツとは話さない。だから……気に入ったヤツなら、悪魔とだって仲良くなるぜ?」
「種族は、関係ない?」
おうよ、とマリサはにかっと笑って私から離れた。テーブルから立つと、比較的整頓されている場所に行って、何やらゴソゴソとしている。
「どうしたの?」
「ん? いや、ちょっと魔法使い流の食事をな」
そう言ってマリサが持ってきたのは、試験管とかビーカーとか、およそ食事とは結びつかないような器具類だった。
「それ、なに?」
「メシの調理器具」
「理科室にあるみたいなやつだよね?」
「理科室?」
マリサは首をかしげてから、まあいいや、と言った。片手でそれら器具類を持つと、テーブルの上の帽子をかぶり、代わりに器具類を置いた。
「……それで、普通のご飯を食べるの?」
「いくらあたしでもそこまで無神経じゃねえ。ここからは魔術の領分だから詳しくは省くけど、まあ……。あたしみたいな非純正魔術師は食事を薬品摂取に代替する場合が多々あってだな」
どういうこと? ご飯の代わりに薬を飲むの? おかしいよそんなの。
戸惑う私を気にかけず、マリサは薬品の調合を始めていく。服のポケットから取り出した粉やら何やらを混ぜて、薬を作っていく。
「へ、へんだよ、そんなの」
「え? 今の意味わかったの?」
「か、からかわないで。ちゃんとご飯食べないと死んじゃうよ?」
たぶん、マリサのくちぶりからすると、マリサは食事を摂らないとダメなのだろう。それなのに。
「まあ、そうだな。でも、食っても味わかんねぇし。便利だぜ〜? どんなマズイ料理食っても『うめぇ!』って言えるんだからよ」
「な、なんで?」
私にはわからなかった。マリサが理解できなかった。だって私は、料理の味がわからなくてとっても困ったし辛かった。それなのになんでそんな嬉しそうに笑えるの?
「ま、あたしがこんなことする理由はひとつだ。お前にゃ魔法使いになるってことの意味をわかってもらって、怖がってもらって、心の底から『魔法使いになんてなりたくない』って思ってもらわないとな」
そう言って、マリサはごくりと出来上がった薬を飲んだ。その薬は紫色で、見るからに毒のように思えた。それでもマリサはためらいもせずにそれを飲んだ。
「……はい、食事終わり。じゃ、遊ぼうぜ」
「も、もうあんな危なそうな薬飲まないで」
私が言うと、マリサはにっこりと笑った。
「今更やめれねぇよ。すぐに死ぬわけじゃねぇんだから、気にすんな」
「でも!」
「こんな辛気臭ぇ話はやめて、楽しい話しようぜ」
「で、でも」
近づいて来たマリサが、私の頭に手を置いた。
「もう変わらねぇんだよ。ミオが魔法使いになるって意味って、こういうこった。薬飲まないと、魔力の維持はおろか意識だって保てるかどうかわかんねぇ。そんなふうにはしないってアリスと約束したから、こうして見せたんだよ。わかってくれ」
その言葉で、私は理解した。それと同時に、視界が潤んだ。もう、マリサは変わらないのだということがわかってしまった。多分、もし仮に私が吸血鬼になることを提案しても、マリサは断るだろう。何をどうしても、マリサは今の自分を変えるつもりはないのだろう。この生活を続けているせいで死ぬことになっても。
私は、涙を拭った。
「マリサは、全部覚悟してこうなったんだよね」
「おうよ! ミオがいる手前こんなの言いたくねえが、無茶苦茶楽しい!」
笑顔満面、悲壮感はカケラも感じさせない風にマリサは言った。さっきまで泣きそうだったのに、私は違う感情が生まれていた。
「マリサって、変だね」
「お前だって変だよ。普通こういうときは泣くもんだぜ?」
「でも、泣いて欲しいわけじゃないでしょ?」
私が言うと、マリサは大笑いした。心の底から楽しそうな笑い方だった。
「あはははっ! その通りだ、ミオ! 思ったとおり、お前はいいやつだ! ミオ、親友になろう!」
マリサは私の肩を叩いて、そう言った。
「え、い、いいけど」
「よし! じゃあ、弾幕勝負を教えてやる! これ知ってたら、もっと友達増えるぜ?」
私の返事を聞かないうちに、マリサは話を始めていた。
弾幕勝負。殺生厳禁の、戦闘ごっこ。マリサの説明を大雑把に省略すれば、そうなる。詳しいルールは覚えたけれど、それが私にできるとは思えない。
「よーし、じゃ、外に出てやってみようぜ!」
「え、でも」
私は血を使って弾幕を張る。貧血にならないか心配だけど……。
だけど、親友と初めての遊びなんだ。そして、私はこれでも、子供だ。遊びと聞いて、血が騒がないわけがない。
「う、うん。よろしく」
「おうよ!」
それから、私とマリサは日が暮れるまで遊び通した。弾幕勝負というものは、とても楽しかった。全部負けてしまったけど、面白いと思えた。
また、アリスとやってみようかな。