神様と私
目を覚ますと、二人の女の人が私を見下ろしていた。体を起こす。どうやら布団で寝かされていたようだ。
「あなたは?」
私の質問に二人は目を丸くした。女の人はおおきい方と小さい方がいる。大きい方は、背中にしめ縄の輪を背負っていて、胸には鏡のようなものがあった。
小さい方は私ほどの背丈で、頭に大きな帽子をかぶっている。その帽子には蛙のようなくりくりとした目玉がついていて、それはさながら生き物のように蠢いていた。
「私は、ミオ・マーガトロイド。あなたたちは?」
もう一度質問する。警戒はするけれど、敵だとは思えない。昼の記憶はないけれど、アリスお姉ちゃんがいるのだ。昼間は彼女が守ってくれるだろう。
そもそも、この人たちからは嫌な感じがしない。
きょろきょろとあたりを見回す。そういえば、カグヤもアリスお姉ちゃんもいない。どこへ行ったんだろう。不安になって、布団のわきに置いてあったお人形を抱きしめる。
「……私は、八坂神奈子。ここの神様だ」
今度は私が目を丸くする番だった。
神様? ……この人が?
「私は、洩矢諏訪子。私も神様だけど、カタッ苦しいのはなしね。気軽にすわちゃんと呼ぶがいいのさ」
小さい女の子も、神様。二人も、神様がいる。
「なぜ、私はここに?」
すわ子……すわちゃんでいいのだろうか。すわちゃんには構わず、私は聞いた。
「むぅ。無視は辛いの」
「ここは、どこ?」
語気を強めた私に、すわちゃんがやれやれと肩を竦めた。
「ここは守矢神社だよ。東風谷早苗が風祝と巫女やってる、二柱の神様を祀る神社。ミオっちはその神様にお呼ばれしたってわけ」
「ミオっち?」
私はすわちゃんの言葉に驚いて聞き返した。なんだその呼び方は。
「え? 気に入らなかった?」
「いや、そういうわけではないけれど……そんな呼び方、私には合わない」
出会ってばかりの人、神様にそんな呼び方されても、戸惑う。そもそも、私はミオ、ミオちゃん以外の呼び方をされたことがない。要するに慣れてないのだ。
だからかな、この違和感は。
「え~? 合うよ。こんなにミオっちは可愛いんだからさ」
可愛い、と言われて鳥肌がたつ子供なんて、私くらいだろう。私は何も答えず、ただ目を逸らした。
「むぅ。無視は辛いの」
「無視してるわけじゃないだろう。辛いんだよ。な?」
神奈子が私の肩に手をやって言った。
少しだけ時間をおいてから、頷く。
「……可愛いって言って辛い、って返ってきたのは初めて。それだけ、酷いことされたってことなんだろうねぇ」
「神様が助けてくれなかったから」
小さく、本当に小さく私は口だけを動かしてそう言った。神様だって万能じゃないことは、知った。私があんな目に遭ったのはこのニ柱のせいじゃないなんてこと、頭では理解してるのに。
「……まあ、そうだろうな。人格が分離したのも、それが原因か」
「だろうねぇ。やっぱり、解放団の連中を生かしておくわけにはいかないよ」
私は顔は伏せたまま視線をニ柱に向ける。神妙な顔つきをして、話し合っている。
「解放異変の痕が最も深いのが、外来人一の功労者とは、やりきれないね」
神奈子が私の肩を撫でながらそんなことを言った。解放、異変。あの一連の事柄は、そんな名前が付けられたのか。
「でも、私は……って、ミオっち聞いてる?」
「え? なにが?」
私は何も知らないふりをした。神様を騙すなんて、できるだろうか。
「……私らが話してる意味、わかる?」
私は首を振った。
「そう。辛くなったらいつでも言っていいんだよ。私らは、ミオっちが大切なんだからね」
なんでそんな前置きをするのだろうか。……やはり、私が会話の意味を理解しているということがばれたのだろう。でも、嘘を吐いた私を想ってくれた、のだろう。
「神奈子、私は……この異変があったから、ミオっちは幻想郷の一員として皆から認められるようになったんだと思うけど」
神奈子が私を撫でる手を止めた。
「あの異変が、澪にとって有益だったと言いたいのか? 昼と夜とで人格が変わる、こんな状況に追い込まれているというのに?」
すわちゃんは唸った。なんと説明したらいいのか迷っているようだった。
「そんなつもりはないよ。でも、ミオっちが元に戻るためなら、皆が協力すると思うよ。あの異変で、ミオっちは幻想郷中の信頼を得たんだよ」
幻想郷中の信頼。私が欲しいのはそんなのじゃない。私が欲しいのは幸せ。アリスお姉ちゃんと暮らす幸せな日々。記憶に翻弄されない優しい日常。それは昼の私じゃない、今ここにいる私が、心の底から渇望しているものだ。
「……だが、私はあの異変を……解放団を受け入れることはできん」
「私だってできないよ。でも、あの異変の中でミオっちが得るものが一つもないだなんて……やりきれないにも、ほどがあるでしょ」
「だから、信頼か。……やりきれんな」
ふう、と神奈子とすわちゃんはため息をついた。しばらく、会話が止んだ。
沈黙がこの場を支配する。
「ふう、今日もお仕事お疲れ様〜って、どうしたんですか皆さん。黙りこくって」
調子が狂うくらいの元気良さでこの部屋に入ってきたのは、レイムの色違いみたいな格好をした、巫女さんだった。
「ああ、早苗か。なんでもないよ。澪の治療をどうするか考えていたのさ。早苗は何か思うところはあるかい?」
神奈子が私の手を握って言った。他者との触れ合い。怖いけれど、ないと寂しい。こうして触れていると、恐怖を感じるけど、満たされる。自分でも思うけれど、変な感覚。
「……そうですねえ。忘れるっていうのはどうです?」
「嫌だ」
私は反射的に口を開いていた。サナエという巫女さんが、驚いたような顔をした。
「どうして? 嫌な記憶なんでしょ?」
「でも、忘れることはできないし、したくない。私はこの記憶を保ったまま、この記憶を受け入れたい」
忘れることを選べば、昼と同じだ。私は、このまま治るんだ。このまま、元に戻るんだ。
「でも……」
「私は、もう何も忘れたくない」
幸せな昼の記憶も、このおぞましい記憶も、全部覚えているんだ。全部、受け入れて、少しずつ治っていくんだ。アリスお姉ちゃんが、そうしてもいいって言ったんだ。ゆっくりと、時間をかけてもいいって言ってくれたんだから。
「ん〜。決意は結構だけど、いいの? 辛いよ?」
すわちゃんが私を気遣うように言った。私は彼女のそばまで移動すると、神奈子が私にしたように、手を握った。
「大丈夫。どんなになっても、今以上に辛くなることなんてないよ」
すわちゃんは私の言葉に苦い顔をして、顔を逸らした。
「……ミオっちの中にある記憶を、私らは知らない。けど……その記憶は毒だよ」
「毒に蝕まれても、いい。私はこの毒に耐えたい。この毒が効かなくなるくらい、強くなりたい」
すわちゃんは、私を抱きしめた。ぴくりと、私の全身が強張る。心臓が高鳴る。すわちゃんは、こんな私を弱いと思うのだろうか。弱いとは、思われたくないな。……見下されたくない。
「……自分だけで血清を作るつもり? 私たち幻想郷にも、手伝わせてよ」
きっと、すわちゃんだって私がどう感じてるかわかってる。それでも私を抱きしめるのは、守りたいっていう気持ちの現れ。私を、守ろうとしてくれてる。
「……いいよ。こちらこそ、よろしく」
「絶対に、私たちはミオっちの味方だよ。それを伝えたかったんだ」
「ありがとう」
それから、ひとこと二言話して、私はすぐに眠りについた。味方が増えたから、安心したのだろう。