裁判所までの道のりと私
昨日と同じように森を行く。硬い土を踏みしめ、木々を越えて、アリスは迷わず進んで行く。
「ねぇ、アリスお姉ちゃんはどうして方角がわかるの?」
「え、方角? ……ううん、方角はわからないわ」
私は首をかしげた。方角もわからずに、どうして進めているのだろうか。
「ここら辺は私、よく来てるから。もう道を憶えたわ。それだけよ」
「へぇ〜」
それだけでも、できるだけすごい。
「ふふ、あなたも見知った道なら地図いらないでしょ?」
「そうだね。それと同じかな」
アリスは頷いた。
「じゃあさ、その再思の道ってどれくらいでつくの?」
私の質問に、アリスはしばらく黙った。
「そうね、だいたい……。日が登り切る前には着くわ。そんなに遠くないわ」
正確な時間は教えてもらえなかったが、わからないのはアリスも同じだろう。
「そうなんだ。ありがとうアリスお姉ちゃん」
私たちはそれからしばらく黙って森を歩く。
昨日、聞きそびれたことがあったのをひとつ、思い出した。しかし、聞いてもいいのかどうか、悩む。
私の手を握りながら歩くアリスを見上げる。綺麗で、優しくて強い私のお姉ちゃん。嫌われたくないし、嫌いたくないのだけれど。
「ねぇ、アリスお姉ちゃん。一つだけ、聞いていい?」
「いいわよ」
「東野、どうなったの?」
アリスは黙った。目を閉じて、何かを考えている。
「……澪。あなたは優しい子よ」
「え、あ、うん、ありがとう」
優しくなんかない。私は、東野に死んでいてほしい、って思うような悪い子なのだ。優しいなんて、間違った評価だ。
「だから、言うけど。
……東野は、死んでないわ」
私が驚いたのは、嬉しかったからか、怖かったからか。わからなかった。
「え?」
「そりゃ、酷いことされかけた澪からしたらあいつが生きてるのは居心地悪いかもしれないけど、大丈夫よ。あいつ、二度と悪さできないから」
そうは言われても、不安ではある。また、襲って来たら。今度、私は助かることができるのか。最後の最後、彼は私に興味を持っていた。もしかしたら、というのもあるかもしれない。
「……どうしても、っていうなら、妹紅のところに私が出向いて、その」
「いい。……私は大丈夫。東野が生きていても、気にしない」
私は言いにくそうに言葉を濁すアリスに無理をして言った。本当なら、殺してと言ってしまいたかった。でも、それをすればそれこそ本当に私は十字架を背負ってしまうことになる。そうなれば間違いなく、東野は私の中でずっと残り続けるだろう。そんなのは、ごめんだった。
「そう。ありがとうね、澪」
「教えてくれてありがとう、アリスお姉ちゃん」
私は精一杯の感謝を込めてそう言った。表情が動いたのなら、どんな顔になっているだろうか。
「ねぇ、再思の道ってどんなところなの?」
「三途の川と地獄を結ぶ長い道よ」
「ふぅん」
三途の川、か。渡っていたら死んでしまったりして。
……いや、あるいは、もう私は死んでいるのかも。アリスはちょっと変わった死神で、私に同情してしまい、こうして家族ごっこを続けている。本当なら、巨大な鎌で私の魂を刈り取らなければならないというのに……。
そんなストーリーが頭に浮かんだ。
「ねぇ、アリスお姉ちゃん」
「ん?」
「私、実は死んでて、ここはあの世、ってことはない?」
アリスは否定も肯定もしなかった。なぜだろう。
「……なんとも言えないわね」
「どうして?」
「前に、自分が死んでた事に気付かずここに来た人がいたことがあったから……」
私も、そんな人間の可能性がある、ということか。
死んだと気付かず、存在しない体を守るため、必死になる人間は、さぞかし滑稽だろう。笑い話にすらなるかもしれない。
「アリスお姉ちゃんは、どう思う?」
「あなたなは生きてるわ。保証する」
アリスの言葉がきっかけで、私は思い出した。……よく考えたら、私は足を切ったり腹を貫かれたりしたではないか。痛みも感じた。それは何よりの、生きている証拠であろう。……痛みを感じたことを喜ぶなど、変な私。
「そう? なら、信じる」
私の中ではもう結論が出ていたけれど、そう言った。このことだけじゃなくて、私がアリスに何かを騙されている可能性は、否定しきれないけど。
……まあ、別にアリスになら、騙されてもかまわない。割と本気でそう思う。
「ふふ、とっても嬉しいわ」
アリスは笑ってくれた。私に本当の姉がいたら、こんな感じなのだろうか。
「ねぇ、アリスお姉ちゃんには、妹いる?」
「ん〜? あなたがいるわ」
「本当の妹」
アリスは寂しそうに首を振った。
「いないわ。……そういえば、ちょっと気になったことがあって」
「何? なんでも答えるよ」
こちらからばかり聞くのもどうかと思っていた矢先、アリスがそう言ってくれた。
「あなた、普段は……どうやって生活してるの?」
「……普通に」
「でも、ご両親二人ともいないんでしょ?」
昨日も交わしたような質問だった。私は昨日はぐらかすような答え方をした。しかし、今は違う。今は、ちゃんと答える。
「ううん。母がいないだけで、お父さんはまだ生きてる」
「え? ……でも、昨日は」
「昨日は、お父さんは病院に連れて行ってはくれないという意味」
後付けだけど、嘘をついていました、よりは遥かにマシだと判断した。
「……ふふふ。隠さなくても大丈夫よ。昨日はまだ、警戒してたんでしょ?」
「アリスお姉ちゃん。私は、あなたのことが嫌いなんじゃなくて」
「わかってるわ」
必死で言い訳をし始めた私に、アリスは微笑んでくれた。
「警戒心があるのは悪いことじゃないわ。出会ってばかりの人に家庭の事情を話せ、っていう方が無理よ。だから、気にしなくていいわ」
そう言ってもらえて、私は安心した。
「ごめん、アリスお姉ちゃん。でも、今度はちゃんと話すから」
「辛いのを無理に話さなくていいのよ?」
大丈夫。私はそう言って、何から話すかを頭の中で整理してから、口を開いた。
「私のお父さんは、物凄く偉くて、物凄く働いてて、物凄く稼いで、私にたくさんのお金を贈ってくれるの。
お父さんは、いないのと同じもの。でも、世界で一番愛してる。きっと私は、お父さんがいるから、元いた世界に帰りたいんだと思う」
「お金って……。もっと他にあるでしょ?」
「ない。でもいい。
お金が、私とお父さんとの愛の証。見えない、あやふやなものでなく、愛を形にしてる。毎月、お父さんはたくさんのお金を贈ってくれる。一度計算してみたけど、毎日山のように食べて、遊び倒してもまだ余るくらいにお金をくれる」
「いや、お金のことはもういいから、他の」
「それが、お父さんが私を想ってくれているという証拠。だから私は、お父さんの愛を無くしたくないから、ギリギリで生活していた。
毎日、五百円に食費を抑える。光熱費、水道代、削れる所は全部削って、お父さんの『愛』を残せるだけ残す。いつか、数えきれないくらいの『愛情』を集めて、会いに来てくれたお父さんにどれだけ私がお父さんを愛したか、わかってもらう。きっとそうすれば、お父さんだって私と一緒に暮らしてくれる」
「いや、あのね、澪」
「お父さんは私のことを愛してくれてる……はずだと思う。一緒に暮らしてくれないのは、きっと母を思い出してしまうから。だから、きっといつか、私を認めてくれれば、多分、一緒に暮らしてくれるはず」
「澪」
話し終わった私に、アリスが話しかけてくれた。
「……あなたの想いはよくわかったわ」
「わかってくれた?」
私はうれしくなる。やっと、私達の愛を理解してくれる人が現れた。やっぱり、アリスは優しいな。
「ええ。ごめんなさい。私、気付いてあげれなかった。あなたは、まだまだ、子供だったのにね」
「私は、一度も大人になったことないよ」
「ごめんなさいね、澪。元の世界に帰れば、あなたは、暖かいご飯が用意してあって、ご両親が迎えてくれると勝手に思ってた。だから、今こそ言うわね」
アリスが、私の手をしっかりと、握りしめてくれる。
「私とずっと……いえダメ、まだ、速いか……。帰りたくなくなったら、言いなさい」
「え?」
「だから、もし元の世界に帰りたくなくなったら、私に言いなさい」
アリスは奇妙なことを言った。
「なんで? 私、絶対に帰るよ?」
そう私が断言すると、アリスは残念そうに首を振って、小さく、本当に小さく何かを呟いた。
「こんな家庭で育って歪まないはずがないじゃない。……なんで気付かなかったのよ、私のバカ」
私には聞こえなかったけど、アリスの顔は悔しそうだった。
「どうしたの、アリスお姉ちゃん」
「なんでもないわ。……さ、もうすぐ森を抜けるわよ」
森の木々が晴れ、私の視界は一気に広くなった。地平線の向こうまで続く長い道の周りを、赤々しい彼岸花が咲き誇っている。そんな道を、私とアリスは行く。
「ここが、再思の道?」
アリスは頷いた。ここまで綺麗な道を歩くのはどこか気が引ける。
「ええ。ここは本来、死にたがりを思い直させるための道なのよ」
「……」
死にたがり……。自殺志願者か。気持ちはわからなくもないが、ある命を自ら捨てるというのはやはり、理解に苦しむ。
「あなたは?」
「?」
「あなたは、死にたい?」
アリスは奇妙なことを聞いてきた。
私は首を振って答えた。私が、死を望んでいる? あり得ない。
「そ、そう。変なこと聞いてごめんなさい」
アリスは慌ててそんなことを言った。
「アリスお姉ちゃんは?」
「え」
「アリスお姉ちゃんは、死にたいって思ったこと、ある?」
アリスは否定も肯定もしなかった。なぜだろう。
「……興味ある?」
「何に?」
「人が死に関してどう思ってるか」
興味。ないわけでは、ないだろう。けれど、こんな質問をする、ということは、アリスとしては聞かれたくない部類の質問なのではないだろうか。
「あるよ。でも、アリスお姉ちゃんが嫌なら、言わなくていいよ」
アリスはクスリと笑った。
「ふふ、ありがと。澪は、本当にいい子ね」
「そんなことないよ」
私達はそれきり、しばらく黙って歩いた。
彼岸花が綺麗。道の脇を固めるようにして咲く花々は不思議で、本当に死者の国に来たみたい。
「ねぇ、澪」
「なぁに」
「あなたは、お父さんのこと、好き?」
私は首を振った。
「愛してる」
何よりも、誰よりも。
「……そう」
アリスはそういうと、何も言わずに歩く。私も疑問を口に出さず、アリスと手を繋ぎながら歩く。
しばらく変わりばえのしない道を歩いていると、前の方から女の人が歩いて来た。
「ん? ……アリスじゃないか! どうしたんだ、こんなところに!」
その女の人は、ほとんど一瞬、いや、一歩でこちらのすぐ前まで来た。
「あなたのところの閻魔に用があって来たのよ」
「へえ、映姫様に?」
アリスは頷いた。構わず歩いているのだが、その女の人は私達について歩いている。
女の人は着物のような古式ゆかしい服装で、腰には大量の古銭を吊り下げ、手には大鎌。髪の色は赤みがかっていて、眼光は鋭い。チャキチャキの姉貴風、といえばわかりやすい……のだろうか。
「小町、あなたこそ何の用? 仕事はいいの?」
「いいんだよ。最近外界から裁判所に来ることが多くなってな、あたしは商売あがったりさ! ま、困るかそうでないかといえば、困らないんだけどね! あははははははは!」
コマチ、という人は豪快に笑った。ひとしきり笑ったあと、ようやく私の方に視線を向けた。
「うん? アリス、こいつ誰?」
「澪よ。ほら、澪、自己紹介」
アリスに促され、私は口を開いた。
「私はミオ・マーガトロイド。外来人で、幻想郷にいる間だけアリスお姉ちゃんの妹にしてもらいました。よろしくお願いします」
私は簡単にそう言うと、軽くおじぎをした。
「へぇ、よくできた子供じゃないか。あたしは小野塚小町。三途の川の舟守さ」
三途の川……。舟で渡るのか。知らなかった。
「にしても、お前、死にたいのか?」
「どうして?」
「いや、普通の子供は地獄になんて行きたがらないからさ。もしかしたら、って思ってな」
確かに、私だってアリスがここに用事がなければ来たいと思わなかっただろう。
「私は、死にたくないから」
「そりゃ重畳。一つしかない命、粗末にすんなよ」
「ありがとう、コマチさん」
「小町でいいよ」
そう言いながら、コマチは快活に笑った。
「そうやって諭してると、死神っぽいのだけれどね」
「うるさい、あたしはいつでも模範的な死神さ!」
「どの口が言うのよ……」
アリスは笑っているけど、怖くはないのだろうか。この人は、死神を名乗っているのに。
私の怯えを、コマチはいともたやすく読み取った。
「うん? 澪、あんたあたしが怖いのかい?」
「……ごめんなさい」
私が謝ると、意外にも彼女は嬉しそうに笑った。
「気にすんな! こんなでも怖がってもらえるんだな! いやぁ、アリス、本当にこの子はいい子だな!」
「あのね。もうちょっと弁明しようとは思わないの?」
アリスが言うと、コマチは何かに気付いたような顔をした。
「ま、怖がらせるのは悪いよな。澪、あたしは死神だけど狩る方じゃない。運び屋さ」
「……そうなの?」
私が聞くと、コマチはニカリと笑った。
「おおよ! その証拠を見せてやる! ……アリス、目的地は映姫様んとこでいいんだな?」
「まぁ、送ってくれるってんならありがたいけど」
「おっしゃ!」
そうコマチは嬉しそうに言うと、死神の鎌を振り上げ、遥か遠くを見つめた。
「澪、これがあたしの……力だ!」
ヒュカ、と地面に鎌が突き立った。が、特に変化は見られない。
「さ、一歩踏み出しな。そうすれば、あたしの力の凄さがわかるよ。じゃあね、澪、アリス」
そこにいて、これからもかなり歩かなければならないのに、コマチはまるで目の前に目的地があるかのような口ぶりだった。
「ありがと。じゃあね」
アリスは一歩踏み出した。すると、消えた。
「……アリスお姉ちゃん?」
「ほら、あんたもついて行くんだよ! 死神妙技、名付けて縮地! とくと味わいな!」
「それは仙人の……」
言葉を言い切る前に、私はコマチに押され、一歩進んだ。すると、景色は一変していた。花の咲き誇る美しい道から、荘厳な裁判所の入り口まで、一瞬で移動していた。後ろに下がっても、また景色が一変する、ということはなかった。
裁判所の前で待っていたアリスの前まで駆け足で行く。
「すごいでしょ、小町の能力」
私は頷いた。本人は縮地と言っていたが、それとはまた違うような気がした。
「さ、三時間ほど短縮できたわね。運がよかったわ。さ、映姫に会いにいくわよ」
そう言うとアリスは裁判所の扉を開けた。
「……え」
その向こうには、驚くべき光景が広がっていた。