第一話 暗殺夜行
R産業での企業アドバイザー契約を解除されたその帰り道、明鏡は何者かに地下鉄階段から突き落とされた。その犯人が逆光の中で見せた見覚えのある仕草に、明鏡はなぜなのかがわからぬまま意識を失って行った。
第一章 暗殺夜行
「おい、聞こえるか! 聞こえたら手を握って!」
「……こちら第一管区芝署の第七班救命士の金森。三十代男性痩せ型、地下鉄階段で地上からおよそ一〇メートル下まで転落した模様。意識レベル二〇〇、血圧一九三の一二九、脈拍は一二四、外傷は左側頭部から出血あり、緊急処置を要します。胸部と背中に打撲跡数カ所、あれ、左助骨が折れてるか、あと右下肢に出血と足首骨折が疑われます。三次救急の受け入れ先を要請します……」
入院
怪我人は、東京都港区内にあるSケ《ガ》崎総合病院に受け入れ先が決まり搬送された。
所持していた免許証からこの怪我人は港区に住む朱鷺谷明鏡という人物であることが判明した。地下鉄駅構内への降り階段で足を踏み外し転落、これによる全身強打、意識がハッキリしないままSケ崎総合病院の集中治療室に運ばれていた。その後のMRIの所見としては、幸いなことに脳内に損傷は見られなかったものの、脳波に乱れがあるとして再検査ののち経過観察となった。頭部以外の怪我については、右足首関節内骨折で四週間の入院治療を含めた全治三ケ月との診断だが、意識が戻ってからも混濁が見られたため、整形外科病棟ではなく脳神経外科病棟での治療が進められた。
そして十日程経過した頃、朱鷺谷は整形外科病棟に部屋を移した。
R産業とのアドバイザー契約が打ち切られたあの日から、ちょうど十日過ぎた日のことであった。
霧の中の真実
「お待たせしました、お食事です。こちら、置いておきますね」
「ありがとうございます」
右足首は石膏で固定されているし、胸部から腹部にかけ圧迫固定のためのコルセットが稼働域を制限するため、食事一つもまともに食べられない。
「行きますよ。せーの、よっ!」
「バタっ、うぅぅ……ふぅ」
「すみません」
「さぁ、しっかりお食べくださいな」
「はい」
看護師に身体を起こしてもらい、漸く食事にありついている。この日常を保つことができる入院生活には感謝しかない。
しかし、食事以外にも不便なことは沢山あり、身体が元に戻らないことには、当たり前にあった幸福とやらには出くわせない。
あの地下鉄階段で私の背中を押した輩のシルエットが、立ち込めた霧の中からチラリと覗かせる。
「あの人……なのか?」
「お待たせ、明鏡くん。頼まれたパソコン持ってきたよー」
「済まないね、神楽。こんな真っ昼間に仕事の方は良かったの?」
「仕事? 大丈夫、大丈夫。編集長がね、止水先生のとこに行って、しっかり看病してこいってね」
「へぇー、あの編集長が? さっさと原稿書かせてこい! じゃなくて?」
「あははは……ああ見えても、慈悲深い人だった、ということですよ」
「にわかには信じ難いが」
「あはははは……」
とりわけ神楽には真実を伝えておかねばと、地下鉄階段からの転落事故について語り始めた。
「あのさ。この大怪我……命を狙われたのかも知れないんだ」
「えっ、殺人?」
「おいおい、まだ死んでないから、殺人未遂だよ。そして事故じゃなくて、事件なんだ」
「殺人未遂事件?」
「あの時の僕には逆光だったから、シルエットはぼんやりと見えたんだけど、いざ、思い出そうとすると、犯人像は深い霧の中にいて朧げなんだ」
「事件なんだから、警察には相談した方が?」
「まあ、とにかく聞いてくれよ」
「はぁ」
「R産業関係者に限らず、シリウス監査法人時代の逆恨みも含めて考えれば、犯人候補は数え切れないしね」
「命を狙っているとしたら、僕が生きている以上また同じことが起きるに違いない」
「ちょっと……それ怖いよ」
「ごめん。でもまぁ、アドバイザーを降りた僕の命が、誰かの利益や損失に繋がるようなことは考え難いし。ん……となると、これは警告? R産業内で起きた権力争いの勝者について知り得た秘密の口封じか。でも、あのシルエットから感じ取れたものは、そんなのとは違う気もする。これってどういうことなんだ?」
「怖いけど、聞いちゃった以上看過はできないよ。私にも協力させて!」
「ありがとう。でも、しばらくは静観しよう。とりあえずここは病院の中だから、犯人とてこちらの居場所を見つけられたとしても、容易に手出しはできないと思うんだ。まあ、防犯カメラも至るところで監視しているからね。頭の霧が晴れたら、きっと犯人の手掛かりになるだろうし」
「わかった。任せる」
「あゝそうだ……僕のスマホ、見なかった?」
「スマホ? あるわよ……ほらここに。充電しといたわ、はい」
「あったんだ。失くしたかと思ってたよ。ありがとう。あとミニに乗ってあげて欲しい、当分乗れないからさ」
「チャラララ」
「ミニの鍵だ」
「言われなくとも乗ってるわ」
「その鍵四本あるけど……」
「わかってますよ。この一番長い鍵がエンジンキーで、平たいのがフューエルキー、これとこれがドアキーとハッチキーだよね」
「おおっ、お見事。いつも勝手に乗り回しているだけあるな」
「まあねえ……そうそう、シリウス監査法人の霧香さんが心配されてたわよ。約束反故にされたって。あとあなたが寝ている間に、ミンタカ監査法人の理事さん……確か武中さんがお見舞いに来て見えたわ」
「そうだったんだ。でも霧香さんのその見舞いって本当に心配してくれてるのかな?」
確かにこの十日間は、私にとっては空白の期間であったが、この期間を抜けた先にもまだ、深い霧が立ち込めていたのであった。
会長の入院
入院から二週間が過ぎようとした頃、R産業会長一之瀬富士男氏が私のいる病院のがん治療専門病棟に入院したことを、同産業監査室の小林くんから聞かされることになった。
「もしもし、えっ、先生ですか! 小林です。お聞きしました。今は大丈夫なんですか? こちらからは掛けにくくて……」
「心配かけたね。すまなかった。命に別状はないよ」
「良かったです。そうだ、先生の入院先ってSケ崎総合病院ですよね?」
「そうだけど……」
「明智監査役からこっそり聞いたんですが、うちの会長で筆頭株主の一之瀬富士男さんが、先日自宅で倒れ、そちらに入院されたみたいなんです」
「えっ、どうされたの?」
「明智さんと会長は親しい間柄らしく、私に聞かせてもらえたのは、会長は末期がんであることでだけでしたが」
「……やはり、体調に不安があったんだな」
「知って見えたのですか?」
「いや、がんの末期であることは知らなかった。そうだ、この病院って、がんの最先端治療をしているはずだったな。どっかで聞いたことあったな」
「そう。先生も知っての通り、そちらはがん細胞の遺伝子治療をやってますよ。末期患者があっという間に完治してしまうって噂を聞いたことがあります」
「えっ、末期で?」
「ええ、確か……それもたった一箇月で。でもそれと合わせて黒い噂も聞こえています。治療法が過激すぎて、命を更に縮めているとも」
「なるほど、末期がんの患者にとってはのるかそるかの過激な荒業でも、治療の選択肢になるんだろうね」




