第九話「第八位《エルム》、祈りを喰らう者」
夜空が、裂けていた。
黒衣の館の上空。
逆十字の光が、ゆっくりと回転している。
「……圧が、違う」
グロウの義肢が、嫌な音を立てた。
「今までの使徒とは、格が違う」
風が、止まる。
そして――
“降りてきた”。
人の形をしている。
だが、顔がない。
仮面ですらない、何もない顔。
「――第八位使徒」
セリスが名を告げた。
「祈りを“食べる”存在」
エルムは、首を傾げる。
「……食べる、は違う」
声が、直接頭に響く。
「理解するのだよ」
レイの右腕が、強く疼いた。
「……来る!」
ユンが叫ぶ。
次の瞬間、
祈祷陣が消えた。
「……え?」
床に刻まれていたはずの術式が、
跡形もなく消失している。
「祈りを……無効化……!?」
エルムは、ゆっくり歩く。
「君たちの力は、祈りから生まれる」
一歩。
「ならば」
また一歩。
「祈りを理解し、受け入れればいい」
エルムの周囲で、
消えた祈祷陣が“再生”する。
だが――逆の形で。
「……返された……!」
歪んだ祈りが、
祈祓師たちを襲う。
「くっ……!」
グロウが吹き飛び、壁に叩きつけられる。
セリスの影が、霧散した。
「影が……食われてる……」
レイは、前に出た。
「……俺が行く」
「待て!」
ユンが腕を掴む。
「君は“切り札”だ!」
「だからだ」
レイは、静かに言う。
「俺の祈りは……
食われない」
右腕の包帯を、外す。
聖痕が、完全に露出する。
空気が、震えた。
「……神殺しの祈り」
エルムが、初めて“興味”を示す。
「なるほど……
拒絶そのものか」
レイは、深く息を吸う。
「――《灰祈・拒絶展開》」
世界が、白黒に塗り替えられる。
エルムの祈りが、弾かれる。
「……理解、不能……?」
エルムの声に、初めてノイズが走る。
レイは、踏み込んだ。
「俺は、祈らない」
拳を、叩き込む。
「壊すためじゃない」
衝撃。
エルムの身体に、亀裂が走る。
「……拒絶……拒絶……!」
だが次の瞬間。
エルムは、レイの右腕に直接触れた。
「――理解、完了」
「……っ!?」
視界が、反転する。
レイの中に、
無数の祈りが流れ込む。
――助けて。
――救って。
――壊して。
「……う、あ……!」
膝をつくレイ。
聖痕が、限界まで軋む。
「レイ!」
ユンが叫ぶ。
だが、近づけない。
その時。
「――触るな」
低い声。
ミラだった。
彼女は、完全に“影”を解放していた。
「……ミラ!
それは……!」
「いいの」
彼女は、レイを見る。
優しく。
「……君は、戻る役」
影が、エルムを抱きしめる。
「私は……
止める役」
「ミラ、やめろ!」
エルムが、初めて悲鳴を上げた。
「……理解、過剰……!」
影が、祈りを抱え込んで圧縮する。
「《影祈・完全封印》」
爆音は、なかった。
ただ、
エルムが“消えた”。
影も、霧散する。
「……ミラ……?」
そこには、彼女はいなかった。
床に残っていたのは、
祈祷用の首輪だけ。
静寂。
遠くで、逆十字が一つ、消えた。
「……第八位……撃破……」
誰も、喜ばなかった。
レイは、首輪を拾い上げる。
手が、震える。
「……俺が……」
ユンが、静かに言う。
「……違う」
だが、声は弱かった。
セリスが、空を見る。
「……一つ、分かったことがある」
「……何ですか」
「使徒たちは、
あなたを“理解しよう”としている」
レイは、拳を握る。
「……理解されたら……」
「終わり」
鐘が鳴る。
それは、勝利の鐘ではない。
――代償を数える鐘だった。
レイは、首輪を胸に抱いた。
そして、誓う。
次は、奪わせないと。




