第八話「蓋が軋む音、祈りは誰のために」
夜だった。
黒衣の館の地下、封祈区画。
祈祷陣と鎖、そして失敗の痕跡が積み重なった場所。
レイは、そこに一人立っていた。
右腕が、呼吸している。
「……静かにしろ」
包帯の下で、聖痕が淡く脈打つ。
――壊せ。
――救え。
――もう、遅い。
「黙れ……!」
壁に拳を叩きつける。
だが、痛みは感じない。
感じるのは、快楽に似た軽さ。
「やっぱり、ここにいた」
背後から、ユンの声。
「……来るな」
「無理」
軽い調子。でも、目は笑っていない。
「君、もう“限界”超えてる」
レイは振り返る。
その瞬間、床の祈祷陣が歪んだ。
「……っ!」
空間が、捻れる。
レイの右腕から、白と黒の光が溢れ出す。
「――《灰祈・自壊段階》」
誰の声でもない。
腕そのものが、詠唱した。
「レイ、やめろ!」
ユンが駆け寄る。
だが、近づいた瞬間――
吹き飛ばされた。
「ユン!」
影が伸び、セリスが受け止める。
「……間に合わない」
彼女の声が、初めて揺れた。
レイの視界が、赤く染まる。
過去が、流れ込む。
――壊れた神像。
――泣き叫ぶ祈り。
――名前を呼ばれなかった棺。
「……全部……」
レイの声が、低く歪む。
「……俺が壊せば、終わる……」
聖痕が、完全に露出した。
それは、祈りではない。
拒絶の塊。
その時。
「――やめなさい」
澄んだ声。
封祈区画の扉が、音もなく開いた。
ミラだった。
だが、いつもの笑顔はない。
「……ミラ……?」
彼女は、レイの前に立つ。
真正面から。
「それ以上いくとね」
静かな声。
「君、戻れなくなる」
「……戻る場所なんて……」
「あるよ」
ミラは、指でレイの胸を軽く突く。
「ここ」
次の瞬間。
ミラの身体が、歪んだ。
「ミラ!?」
「ちょっと借りるね」
彼女の背後に、
巨大な祈りの影が立ち上がる。
「……っ、これは……!」
セリスが息を呑む。
「彼女……
封じられた失敗作……!」
ミラは、微笑んだ。
でも、その目は泣いていた。
「君と同じ」
「……え?」
「私は、“蓋になれなかった”」
影が、レイの聖痕に直接触れる。
「だから知ってる」
囁き。
「蓋が壊れる瞬間の、音」
――ギギ……ッ。
確かに、何かが軋んだ。
だが。
完全には、開かなかった。
「……っ、は……!」
レイは、膝をついた。
光が、収束する。
封祈区画に、静寂が戻る。
ミラは、ふらりと倒れた。
「ミラ!」
ユンが駆け寄る。
「……大丈夫」
弱々しい声。
「……今回は……止めただけ……」
セリスが、レイの前に立つ。
「見たでしょう」
静かに。
「あなたが暴走すれば、
仲間が最初に死ぬ」
レイは、唇を噛みしめた。
「……俺は……」
「それでも」
ユンが、笑った。
疲れた笑顔。
「君を止める役目は、
俺たちがやる」
レイは、目を閉じた。
初めて、誰かに預ける祈りだった。
その時。
館全体に、低い振動。
遠くで、逆十字が灯る。
セリスが、空を見る。
「……使徒たちが」
カイルの声が、通信に割り込む。
『全班に告ぐ。
第八位、確認』
ユンが、息を呑む。
「……番号が……」
ミラが、薄く笑った。
「上がってきたね」
レイは、立ち上がる。
右腕を、静かに包帯で覆う。
「……次は」
拳を握る。
「俺一人じゃ、戦わない」
仲間を見る。
「一緒に、止めてください」
誰も、否定しなかった。
鐘が鳴る。
それは、絶望の音じゃない。
――決戦前夜の合図だった。




