第四話「仮面の使徒と壊れた祈り」
黒衣の館に戻った夜、
レイは眠れなかった。
右腕が、静かすぎた。
いつもなら微かに脈打つ聖痕が、
まるで“何かを待っている”ように沈黙している。
「……嫌な感じだ」
廊下を歩いていると、礼拝堂の扉が開いていた。
中では、セリスが一人、膝をついている。
影が、彼女の背後で十字の形を作っていた。
「……セリスさん」
「レイ」
彼女は振り返らない。
「あなた、今日初めて“躊躇”したでしょう」
胸を突かれた。
「……はい」
「それは、良い兆候でもあり、悪い兆候でもある」
セリスは立ち上がり、
影がゆっくりと床へ戻る。
「祈祓師は、迷った瞬間に死ぬ。
でも――迷えなくなった瞬間、人でなくなる」
その言葉を、レイは返せなかった。
次の瞬間。
――警報ではない音が鳴った。
館全体が、軋む。
「侵入……!?」
廊下の壁が内側から腐るように崩れ、
黒い霧が流れ込む。
その中心に、あの仮面の男が立っていた。
「こんばんは、祈祓師諸君」
拍手。
音が、やけに大きく響く。
「館まで来るとは……随分、舐められたものだな」
カイルが銃を構える。
「名乗れ」
仮面の男は、楽しそうに首を傾げた。
「私は使徒第七位」
その瞬間、
ユンが、初めて顔色を変えた。
「……第七位?
そんなクラスが、前線に出てくるわけ……」
「あるさ」
ノクスは仮面越しに、レイを見る。
「“神殺しの聖痕”が目覚め始めたからね」
レイの右腕が、激しく疼いた。
「知ってるよ、レイ=アルカ」
ノクスは一歩踏み出す。
「君の右腕は、武器じゃない」
――視界が歪む。
「“蓋”だ」
次の瞬間、
ノクスの影が無数に分裂し、館を侵食する。
「セリス、結界!」
「間に合わない!」
グロウの義肢が唸り、壁を支える。
ユンが歯を噛みしめる。
「……くそ、こんな所で――!」
ノクスは、レイの目の前に現れた。
近い。
仮面の奥から、人間の匂いがしない。
「聞こえるだろう?」
囁き。
「右腕の奥で、
“何か”が起きている声」
レイの視界に、
知らない“祈り”の映像が流れ込む。
――血。
――崩れる神像。
――泣きながら剣を振るう、幼い自分。
「……やめろ……!」
「やめられない」
ノクスは、満足そうに言った。
「君は、
世界を壊すために祈る存在だから」
次の瞬間。
「――《影祈・断絶》!」
セリスの影が、ノクスを貫く。
しかし、手応えはない。
「今日はここまで」
ノクスの身体が霧に溶ける。
「次は、
君が“自分の祈り”を思い出した時に会おう」
静寂。
館は、辛うじて立っていた。
レイは、その場に膝をついた。
「……俺の右腕は……何なんですか」
誰も、すぐには答えなかった。
やがて、ユンが静かに言う。
「……君と同じ“症例”を、
昔、見たことがある」
レイが顔を上げる。
「その人は――」
ユンは、目を伏せた。
「祈祓師を半分、殺した」
遠くで、鐘が鳴った。
それは、出撃でも警告でもない。
――追悼の鐘だった。




