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灰祈(はいき)の聖痕(スティグマ)  作者: 波浪


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第十六話「火の向こう側で、名を呼ばれなかった」

夜は、冷たかった。


 星はなく、

 月も薄い。


 レイは、焚き火を避けて歩いていた。


 目立つからじゃない。


 祈りを呼ぶからだ。


 ◆


 街道から外れた森。


 人の気配が、

 複数。


 だが、

 祈りの揺れはない。


 ――祈祓師じゃない。


 足音を殺し、

 影に身を預ける。


「……来たな」


 低い声。


 前方の闇から、

 人影が現れる。


 外套。

 刃。


 祈具なし。


「祈らない旅人は、

 珍しい」


 女だった。


 白い世界で、

 エナに声をかけた女。


 だが、

 レイは知らない。


「……道を探しているだけだ」


 レイは、剣に手をかけない。


 右腕は、

 包帯のまま。


「なら、

 引き返せ」


「この先は、

 狩場だ」


 ◆


 背後。


 枝が鳴る。


 囲まれていた。


 五人。


 誰も祈らない。


 誰も、

 正しさを名乗らない。


「……狩人、か」


 レイが呟く。


 女は、少し驚いた。


「知ってる?」


「噂だけ」


「祈祓師にも、

 異端にも狩られない連中」


「“世界の外側”で生きる者」


 女は、笑った。


「悪くない評判だ」


 ◆


「目的は?」


 女が問う。


「人探しだ」


「名は?」


 レイは、少し黙る。


「……呼ばれていない者だ」


 その言葉に、

 女の目が、わずかに動いた。


「……厄介だね」


「そういうのは、

 大抵、近くにいる」


 ◆


 その時。


 風が、変わった。


 焚き火の匂い。


 人の匂い。


 レイの胸が、

 ざわつく。


 理由は、

 わからない。


 だが、

 足が止まる。


「……行かないほうがいい」


 女が、静かに言う。


「今夜は、

 会わないほうがいい」


「なぜだ?」


「会ったら、

 戻れなくなる」


 ◆


 遠く。


 火の向こう。


 誰かが、

 こちらを見ている。


 姿は、見えない。


 だが、

 視線だけが重なる。


 呼ばない。


 呼べない。


 呼んだら、

 世界が繋がってしまう。


 ◆


 レイは、

 一歩、後ろへ下がる。


「……わかった」


 女は、安堵したように息を吐く。


「賢明だ」


 ◆


 別れ際。


 女は、ふと聞く。


「……もし、

 名を呼ばれたら?」


 レイは、即答した。


「拒まない」


「でも、

 戻らない」


 女は、

 小さく笑った。


「……その答え、

 あの子と同じだ」


「……?」


「なんでもない」


 ◆


 夜が、

 少しだけ、深くなる。


 焚き火の向こう。


 エナは、胸を押さえていた。


「……今の、何?」


 隣の狩人が言う。


「近かった」


「でも、

 まだ繋げない」


 エナは、火を見る。


 名前を、

 呼ばなかった。


 呼べば、

 会えた。


 でも――


「……まだ」


 小さく呟く。


「今じゃない」


 白い石が、

 かすかに、温かい。


 物語は、

 再会を引き延ばしたまま、次へ。

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