第十五話「名前を失った場所で、呼ばれた声」
白い。
空も、地面も、境界も。
ここには、影がない。
エナは、目を覚ました。
……いや、
目覚めたという感覚すら曖昧だった。
「……ここは……」
声は出た。
それだけで、少し安心する。
少なくとも、
“無”ではない。
◆
立ち上がろうとして、気づく。
足が、
地面に触れていない。
浮いているわけでもない。
存在が、接続されていない。
「……ああ」
エナは、静かに理解した。
「私は、
世界から外れたんだ」
祈らなかった。
選ばなかった。
だから、
記録されなかった。
◆
遠くで、
音がした。
鐘ではない。
祈りでもない。
足音。
この場所に、
来るはずのないもの。
「……誰?」
答えはない。
だが、
白が、歪んだ。
そこから、
人影が現れる。
黒衣。
だが、祈祓師ではない。
外套の下に、
刃を隠した者。
「……生きてる?」
ぶっきらぼうな声。
女。
「それとも、
死に損ない?」
「……あなたは」
女は、肩をすくめた。
「名乗るほどのものじゃない」
「私たちは、
拾う側」
◆
「拾う……?」
「世界から、
零れたものを」
女は、周囲を見る。
「ここは、
“名を失った地”」
「祈りにも、
拒絶にも、選ばれなかった者が落ちる」
エナは、苦笑した。
「……ゴミ捨て場、みたい」
「違う」
女は、即答する。
「再利用場だ」
◆
歩き出すと、
地面が“繋がった”。
足裏に、
感触が戻る。
「……条件は一つ」
女は言う。
「名前を、
自分で決めること」
「世界は、
もう与えてくれない」
エナは、立ち止まる。
「……名前、か」
少し考えて、
「いらない」
女は、目を細める。
「珍しい」
「名前があると、
呼ばれる」
「呼ばれると、
連れ戻される」
エナは、白い空を見る。
「私は、
戻らない」
◆
女は、少し笑った。
「……いい」
「じゃあ、
呼び名だけつける」
「“エナ”でいい?」
一瞬、
胸が痛んだ。
「……それは」
誰かが、
呼んでいた名前。
遠い声。
「……いい」
エナは、頷く。
「それで」
◆
歩く。
白い世界の奥へ。
途中、
“人だったもの”を見る。
形が曖昧。
声もない。
「あれは?」
「選べなかった人」
「祈るか、
拒むか」
「どちらもできなかった」
エナは、拳を握る。
「……私は」
「選んだ」
女は、横目で見る。
「だから、
まだ形がある」
◆
やがて、
白が終わる。
そこにあったのは――
夜。
星はない。
だが、
火があった。
焚き火。
人々。
祈具を持たない者たち。
「……ここが?」
「“狩人の縁”」
女は言う。
「祈らない」
「拒絶もしない」
「奪われないために、狩る」
◆
焚き火のそばで、
エナは座る。
手が、震えている。
遅れて、
恐怖が来た。
「……私は、
一人?」
女は、少し黙ってから言う。
「今は、ね」
「でも」
焚き火の向こうを見る。
「君を、
探してるやつがいる」
◆
その瞬間。
胸の奥が、
熱くなる。
祈りじゃない。
拒絶でもない。
ただの、
記憶の反応。
「……レイ」
名前を口にした瞬間、
白い石の感触が蘇る。
女は、口笛を吹いた。
「なるほど」
「君は、
まだ“繋がってる”」
エナは、顔を上げる。
「……会える?」
「条件次第」
「世界は、
君を拒んでる」
「でも」
女は、焚き火に薪をくべる。
「世界の外なら、会える」
◆
夜が、
少しだけ、暖かくなった。
エナは、火を見る。
「……名前は、
まだ決めない」
「呼び名だけで、
いい」
女は、笑う。
「了解」
「じゃあ、生きよう」
「選び続けられる限り」
遠く。
誰かが、
同じ夜空を見ている。
白い石を、
握りしめながら。
物語は、
再接続へ向かって動き出す。




