第十三話「壊滅前夜、選ばれなかった祈り」
夜は、黒ではなかった。
無祈の原の夜は、
白が、静かに沈む。
集落の中央、
人々は円を作って座っていた。
祈りはない。
声もない。
ただ、
確認だけが交わされる。
「怒りは?」
「……三回」
「誰に?」
「自分に」
それで、終わり。
レイは、その輪の外にいた。
右腕が、
ずっと疼いている。
嫌な予感ではない。
――呼ばれている。
◆
「……今夜だ」
エナが、隣に立つ。
「壊れるの?」
「たぶん」
彼女は、淡々と言った。
「壊される、
と言ったほうが正しい」
レイは、拳を握る。
「異端使徒?」
「それだけなら、
まだマシ」
エナは、空を見上げる。
「……正統が来る」
その言葉で、
意味は十分だった。
祈祓師。
教会。
“世界を守る側”。
◆
深夜。
空に、
線が引かれた。
光ではない。
意味だ。
世界が、
「ここを消す」と決めた印。
レイの聖痕が、
激しく脈打つ。
今なら、
使える。
否――
使ってしまう。
「……行くな」
エナの声。
振り返ると、
彼女は首を振っていた。
「祈ったら、
あんたは戻れない」
「……それでも」
「違う」
エナは、一歩近づく。
「祈ったら、
ここは救われない」
その言葉が、
レイの胸に突き刺さる。
◆
来た。
白い空が、
割れる。
降りてくるのは、
人。
黒衣の祈祓師たち。
先頭に立つのは――
「……ユン」
レイは、名を呼んだ。
ユンは、
ゆっくりと目を細める。
「久しぶりだね」
笑顔は、
あの頃のまま。
だが、
後ろに並ぶ者たちは違う。
武装した祈り。
「命令だ」
ユンは、淡々と言う。
「無祈の原は、
“危険思想の温床”と判断された」
「……思想?」
エナが、前に出る。
「私たちは、
何も信じていないだけ」
「それが、問題なんだ」
ユンは、視線を逸らさない。
「信じない者は、
止まらない」
◆
「レイ」
ユンは、彼だけを見る。
「戻ってこい」
「君の居場所は、
ここじゃない」
聖痕が、
呼応する。
祈りの言葉が、
喉まで上がってくる。
言えば、
全てを止められる。
祈祓師も、
異端も、
この地さえも。
「……壊さずに、
守る方法はないのか」
レイの問いに、
ユンは一瞬、黙った。
「……ない」
小さな声。
「だから、
僕らは祈る」
◆
最初の祈りが、
放たれた。
光が、
集落の外縁を削る。
骨の建物が、
音もなく崩れる。
悲鳴は、
上がらない。
この地では、
叫ぶことすら、祈りだから。
レイは、
エナを見る。
彼女は、
微笑っていた。
「……選びな」
「世界か、
ここか」
◆
レイは、
一歩、前に出た。
祈りは、
口にしない。
右腕を、
自分の胸に突き立てた。
「――っ!?」
聖痕が、
逆流する。
拒絶が、
拒絶を噛み砕く。
ユンの目が、見開かれる。
「やめろ、レイ!」
「祈らない」
血を吐きながら、
レイは言う。
「……でも」
顔を上げる。
「壊させない」
聖痕が、
沈黙の波を放った。
祈りを、拒む力。
光が、消える。
祈祓師たちが、
膝をつく。
祈れない。
◆
だが。
地面に、
亀裂が走る。
無祈の原が、
耐えきれず、悲鳴を上げる。
エナが、叫ぶ。
「……レイ!」
「わかってる」
彼は、静かに言う。
「ここは、
もう助からない」
沈黙の力は、
世界そのものを削っていた。
◆
夜明け。
無祈の原は、
消えた。
焼け野原ではない。
更地でもない。
ただ、
**“存在しなかった場所”**になった。
祈祓師たちは、
立ち尽くす。
ユンは、
膝をついた。
「……君は」
震える声。
「何を選んだんだ……」
レイは、
答えなかった。
右腕は、
もう、光っていない。
代わりに、
ひび割れていた。
エナの姿は、
どこにもなかった。
ただ一つ、
彼の手の中に残ったのは――
祈りも、文字もない、
白い石。
次の章は、
「失われた者を、背負って進む話」。




