第十二話「異端は、祈りを武器にする」
朝は、音もなく来た。
太陽が昇ったのではない。
白が、少しだけ薄くなっただけだ。
無祈の原では、それを「朝」と呼ぶ。
レイは、集落の外縁に立っていた。
昨夜の“歪み”――
使徒の残滓は、もうない。
だが、
空気が、戻っていなかった。
「……来る」
声に出した瞬間、
背後で骨の扉が鳴る。
エナだった。
「何が?」
「祈りを、持ったやつだ」
彼女の目が、細くなる。
「……異端使徒」
その名が、
この地で語られることは稀だった。
◆
昼。
集落の中央――
白骨の広場に、影が落ちた。
人ではない。
かといって、
使徒とも、少し違う。
布をまとい、
顔を覆い隠した存在。
その周囲だけ、
音がある。
衣擦れ。
足音。
呼吸。
祈りの“気配”が、
濁流のように流れ込んでくる。
「――ああ、なんて静かな地だ」
声は、男とも女ともつかない。
「神の声が、
ここでは聞こえない」
エナが、一歩前に出る。
「ここでは、祈らない」
「知っている」
異端は、笑った。
「だから来た」
◆
「我らは、神を否定しない」
「だが、神を一人にしない」
異端使徒は、胸に手を当てる。
「祈りは、集めれば形になる」
「信仰は、武器になる」
その瞬間。
地面が、きしんだ。
白い大地に、
亀裂のような文様が浮かぶ。
集落の人々が、後退する。
「……やめろ」
エナの声は低い。
「ここは、壊れる」
「壊れないさ」
異端は、楽しそうに言う。
「だってこれは、
正義の祈りだから」
レイの右腕が、
わずかに疼いた。
だが、
聖痕は目覚めない。
使えない。
――使ってはいけない。
◆
異端は、手を広げる。
「見せてあげよう」
「祈りがない世界に、
祈りを与えるということを」
集落の外。
丘の向こうから、
“それ”は現れた。
巨大な人型。
だが、
構成しているのは――
「……祈り、だ」
誰かが、呟いた。
無数の声。
願い。
正しさ。
それらが、
無理やり形を与えられた存在。
「これが、我らの神だ」
異端は、誇らしげに言う。
◆
エナは、レイを見る。
「……あんた、祈れる?」
「……できない」
「じゃあ」
彼女は、震える息を吐く。
「祈らずに、止めて」
レイは、一歩、前に出た。
巨大な祈りの塊が、
こちらを“見る”。
殺意はない。
ただ、
正しさだけがある。
レイは、剣を捨てた。
右腕も、下げた。
そして、
声を張る。
「――お前は、神じゃない」
異端が、嗤う。
「何を根拠に?」
「祈りが、
誰かを踏み潰してる」
静寂。
祈りの巨像が、
わずかに、揺らぐ。
「神は、
それをしない」
レイは、続ける。
「少なくとも、
人を“正しいから殺す”存在は」
その瞬間。
巨像に、亀裂が走った。
祈り同士が、
互いを否定し始める。
「な……!」
異端が、後退する。
「ばかな、
祈りは絶対だ!」
「違う」
レイの声は、低い。
「祈りは、
矛盾できる」
◆
崩壊は、音を立てなかった。
祈りの神は、
砂のように崩れ、消えた。
異端使徒は、
膝をつく。
「……理解できない」
「祈らずに、
どうして立てる」
レイは、答えた。
「祈らないからだ」
「俺は、
選び続ける」
異端は、
笑うような、泣くような声を出し――
霧となって消えた。
◆
夕方。
集落は、まだ無事だった。
エナが、静かに言う。
「……あんた」
「うん」
「ここを、
守れるかもしれない」
レイは、空を見る。
白いままの空。
「でも、
ずっとはいられない」
エナは、頷いた。
「わかってる」
「祈りは、
追ってくる」
レイの右腕が、
わずかに、熱を持つ。
遠くで、
鐘の音。
――次は、
この地を選ぶか、世界を選ぶか。
その選択が、
近づいていた。




