Fin.ひとひら from 何処から
それからの私たち。
みんなと同じ教室にいながら、
別の空間に存在した。
卵膜の中に、二人だけ。
薄い膜の外側で、
私たちに気遣うクラスメイト。
薄い膜の内側で、
気にしなくて、いいよとオシエ。
そうね、と。
彼女の手をとる、私。
心もとないシールドの中で。
入道雲の下、
ソフトテニスを手取り足取り。
教えるオシエ。
教わる私。
共に、汗を流す。
収穫の終わった、
田んぼのあぜ道で。
枯草と、寂しさを蹴とばし、
笑い合う、私たち。
めったに降らない雪が
木枯らしに混ざり。
お互いのダッフルコートをかけあい。
暖めあい。
寒いね、と照れあい。
そして。
出会いから、巡って一回り。
桜の季節、一歩手前。
突然の、別れが、
当然の、ように。
……ほら、やっぱり。
オシエの口から、漏れ出た。
オシエてあげんべと。
父さんは中国シンセンへ。
ついていくさ、アタシは。
だって。
母さんが死んで、父さんは。
一人きりの、家族だから。
アタシもコスモポリタンになれっかな。
そんなことも、知らないで。
彼女ヅラしていた、私。
どうにも、ならないの?
どうにも、なんねえ。
だって、アタシも。
キクノも、まだまだコドモだ。
だけんど。
これで、いいのかも。
どこが?
なにも、いくない。
アタシは、トクシュ。
キクノは、ノーマル。
ナニ、ソレ?
ナニも変わらないよ。
オシエとワタシ。
キクノは、これから。
誰でも、愛せる。
やり直せる。
やり直し、って何を?
今までの私たちは、間違い?
間違っては、いねえけど。
正解でも、ねえ。
もっといい答えがあるさ。
……たったひとりしかいねえ自分を、
たった一度しかねえ人生を、
マジに生かさなかったら、
生まれてきた甲斐がないじゃん。
こんなところで、
有三の言葉を持ち出さないで!
〇
春、別れの日。
荷物を抱えたオシエと一緒に両毛線に乗っていた。
下校の学生でごった返す車内。
思川駅に着き、誰かがドアを開ける。
「じゃあね、キクノ」
「あっち、ケータイ通じる?」
「多分、通じんじゃねえかな」
私はその言葉に半信半疑だった。
だから、ドアが閉まる間際。
私はオシエを引きずり下ろした。
ホームに倒れる私。
荷物ごと覆いかぶさるオシエ。
ホームの脇に咲く、満開の桜が眼に入る。
「こういう時、やることが大胆だね。普段はおとなしいくせに」
そう言って空いている方の手を差し伸べ、私を引き起こした。
「電車、あと一時間来ねえよ」
「そう、だから一時間。ちょうだい」
オシエは歩き出す。
後をついていく私。
「どこに行きたい?」
そう言って彼女はホームに立っている駅の周辺案内版に見入る。
「『篠塚稲荷神社塚古墳』。おもしろそうだけど、歩ってニ十分か。この荷物持ってちゃ、遠いなあ」
「その辺でいい」
「そしたら、こうすっか?」
「?」
「キクノん家行って、ご両親に挨拶すんの」
「あ、挨拶って?」
「『娘さんをください、中国に持っていきますんで』って」
オシエは悪戯っぽく笑う。
「それでもいいよ……マジに」
私がそう言うと、彼女の顔から笑みが消えた。
「ごめん。ふざけ過ぎた」
「まあ、その辺ブラブラすんべ」
そう言ってオシエは階段を上り始めた。
彼女の荷物を一つ受け取り、後をついていく。
ほとんど人とすれ違うことなく、こじんまりとした商店街を抜ける。
公民館の前まで来ると、陽光とともに花びらがあふれて出てくる広場があった。
「キクノ、この場所は?」
「私も入ったことないけど、確か、戦争で出征して亡くなった兵士のための記念碑があるって」
二人で自転車止めが備え付けられている入口を通ると、そこは小さな公園になっていて、黄色と赤のペンキが塗られた滑り台とブランコがある。木々の間に石碑や石塔が見えた。
そして広場を囲む、桜の木。花びらは公園だけでなく、周囲の道路、その道路の先まで舞っていく。
カバンと荷物を地面に置き、二人で別々のブランコに乗る。高校生には椅子の位置が地面にギリギリすぎる。
「どれ、漕いでやっか?」
オシエが私の後ろに回り、軽く背中を押す。
「それ以上強く押さないでよ!」
「それはどうかな? オシエだし」
「なにそのダジャレ」
しばらくそうやって私は彼女に漕がれていた。
やがて揺れ幅が小さくなり、オシエがブランコの鎖を持つ私の両手を掴む。
「手、冷えちったな……」「……うん、あったかい」
私とオシエの間をゆっくりと花びらが舞い落ちる。
そのうちの一片が私の額に舞い降りたのか、彼女が指でつまむ。
その瞬間。私がやらなければいけないことを理解した。
ブランコから立ち上がり、オシエの栗色の瞳を見つめる。
その瞳が閉じられた。
私は唇を重ねる。
柔らかく、でもやっぱり冷えていた。
彼女の手が私の胸を探る。
そして、厚手の制服の上からでも一ミリの誤差もなく、私の胸のてっぺんを見つけ、中指の背で優しく撫でる。
その時、息が止まった。時も止まる。
私と彼女の唇から唇へ、指から胸元へ、金色の熱が通いあう。
私も負けじと彼女の胸元を探り、やり返す。
そして私たちは時を止めたまま、ささやかな接点で繋がりあった。
〇
『思川軒』
広場の前にお店があり、乳白板の電飾に縦書きの太い明朝体で書かれている。
一軒屋の店舗の横にサンプルが並んだショーウィンドウ。
こんな時でも育ち盛りの私たちはお腹が空く。風情ある店名にも惹かれた。
「食べていくべか?」
「うん!」
オシエの提案に即答する。
タンメンと玉子丼を頼み、取り皿をもらって二人で分け合う。
「やさしいんさね」
オシエがぽそった。
え! 私が? ……自分のことを指さす。
「……タンメンと玉子丼の味なんだけんど。いいよ、キクノってことにしといてやんべ。」
「はず……」
私たちは笑いあった。
〇
結局。二本分電車をやり過ごし、思川駅のホームに立つ。
遠くに聞こえていた『カタッコトッ』がだんだん大きくなり、『ガタンゴトン』と響きも変化する。
夕闇の中、ライトを光らせた四両編成が滑り込んできた。
電車が停まっても、手動式のためボタンが押されたドアしか開かない。
仕方なく、私はドア横のボタンを押す。
プシューッと大きな音を立ててドアが開き、車内から明かりが漏れる。高校生の姿がチラホラ見えるが、部活帰りだろうか。
オシエは荷物と一緒にヨイショと電車に乗り込み、ドアの前に立った。
逆光のため、表情は見えない。
お互いに手を振り始めたら、文字通り機械的にドアが閉まった。
そしてゆっくりと電車は動き出す。
『ガタンゴトン』は再び『カタッコトッ』に変わり、夕暮れの田んぼにコダマする。
大地は春霞でぼんやりしていて、その中を電車は進み、音とともに遠ざかっていく。
どこか知らない世界にオシエを乗せていってしまうんじゃないかと思えて。
〇
また花びらが一片。
JR小山駅のホームに舞い降りた。
十二番・十三番線、赤羽新宿・上野東京方面のホームには、お目当てのものは無かった。
辛うじて、かつてそこに店舗があった痕跡が、アスファルトの色の違いとして残っている。
私は高校を卒業すると、都内の大学に入り、そのまま東京に本社がある会社に就職した。大学も職場も実家から通おうと思えば通えたが、なんとなく栃木を離れたかった。あまり実家にも寄りつかなかった。何がそうさせたのかは、わからない。
母親が体調を崩し入院したため、慌ててここに帰ってきたが、経過は順調とのことで、東京にトンボ返りする。
ふと、小山駅のホームにあった『きそば』を思い出し、昼ご飯も食べ損ねたので、せっかくだから食べて帰ろうとしていたところだ。
あのお店が消えてしまったことで、忘れようとしても忘れられなかった、たった一年の思い出が……胸の内側を疼かせる思い出が、一緒に消えていくような気がした。
気づく、ちょっとしたきっかけで。
忘れる、ちょっとしたきっかけで。
人との出会いと別れなんて、そんなもんで出来てるんだろう。
みたび、花びらが舞う。
その行方を目で追っていた先に、佇む女性。
栗色のセミロング。髪型は変わったものの、茶目っ気のある栗色の瞳は変わらない。
「教えてあげんべ……店はなくなっちったけども、この辺でイベントがあるとさ、その店のキッチンカーが出んだよ……今度一緒に行くべか?」
そう言ってオシエは少し首を傾げ、悪戯っぽく微笑んだ。
(了)