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Ⅴ.告白 with コイの街

 “きのうはごめん”


 というメッセージをメール――当時はまだLINEを使っていなかった――に何度か入れ、入れては消した。

 図書委員交流会の翌日は土曜で、私はベッドの上でゴロゴロしていた。

 そんな短いメッセージさえ、送るだけの勇気がなかった。いや、オシエの方から何かが届くのを待っていたのかもしれない。


 とにかく私は馬鹿だ。

 こんなに後悔して土日を悶々と過ごさなくちゃいけないのなら、あんなこと言わなきゃよかったのに。その場から逃げなきゃよかったのに。

 オシエは何も悪くない。悪いのは、頭の中で一人相撲をとって、みごとにウッチャリを食らった自分なんだから。

 でも。

 あの場あの時の私には、そうするしかなかった。そうやって彼女に強く訴えたいと思ったんだ。


 訴えるって、何を? 


 機嫌悪いってことを? 怒ってるってことを? ヤキモチ焼いてるってことを?

 そうじゃないんだ。私は間違っている。私はまだ伝えるべきことをちゃんと伝えていない。


 いい加減朝ごはんを食べなさいと階下にいる母親から声をかけられ、しかたなく一階に降りて食事を済ませ、またベッドに寝転がる。両親はこれから買い物に出かけて夕方に戻るという。

 エアコンをつけてはいるものの、四方八方から聞こえる蝉の声が体感温度を上げる。旭川でも夏は暑かったが、湿度が圧倒的に違う……ひょっとして、落ち込んでいるのは夏バテのせい? いやさっき、朝ごはんは全部きれいに平らげた。


 つい最近まで、夜はカエルの大合唱のステージだったのに、いつのまにか主役は日中の蝉に変わっていた。私はその流れにカンペキに取り残されている。うかうかしていると、虫や動物からも、季節からも取り残されてしまう。そして学校からも……オシエからも。


 ケータイを手に取って眺める。メールを打ってみて途中で消す。オシエから借りた本を手に取り、すぐに閉じる。積読つんどくしていたラノベを手にとり、すぐに放り投げる。作り置きの昼食をはさんでこれを五セット繰り返したら、いつの間にか夕方になってしまった。結局土曜の昼間をムダに消費した。今日はお風呂も入りたくない。きっと明日もこんな感じだろう。



 居間に降りてテレビをぼーっと眺めていると、両親が帰ってきて、クルマから荷物を運び入れるのを手伝えという。一日中何もやっていなかったので拒否する権利はなかった。

 冷蔵庫の前で、ショッピングセンターで買い出してきたソコソコ有名なお店のお惣菜のパックを眺めていた時、メールの着信音が鳴った。オシエからだ。


 “ねえキクノ、明日空いてる?”


 すごくシンプル。これこそがコミュ力高い子のテクニックなのかもしれない。

 昨日はあーだったこーだったとか一切触れず……私がごちゃごちゃ返事しなくてもいいように気をつかっているのか。いや、そんなメール文を見たくないだけなのか。


 “うん、空いてるよ”

 だから、私もシンプルにメッセージを返した。


 “よかった! じゃあ、デートしない?”

 デッ、デート?


 “いいけど、何するの?”

 “蔵の街、とちぎめぐり”


 ……普段学校に通っている街で休日デートするのはどうなんだろうとも思ったが、彼女に何か考えがあるのかもしれない。

 私は、わかったと返事して、JR栃木駅の改札口で十時二十七分に待ち合わせることにした。中途半端な時間だが、一時間に一本しかない両毛線を使うので、その到着時間に合わせることになる。


 夕食の後は、お風呂に入り、着ていくものに悩み――何せ、オシエと私服で会うのは初めてだ――歯を磨いてベッドに寝転がるとタオルケットをかけて、彼女から借りた本を開いた。何ページか読むと眠くなり、重い単行本が顔の上に落下して目が覚め、再び読み始め、また眠くなり再び本が落下し……それを繰り返しているうちに本当に眠り込んでしまった。


 〇


 傘をたたんで素早く電車に乗り込むと、目の前にオシエが立っていた。


「ひょっとして、キクノ、雨女?」

「失礼な! 今までそんなこと言われたことないよ……オシエこそどうなのよ」

「アタシが雨女に見えっけ?」

「……まったく見えない」

 そう。イメージとしては、彼女なら大嵐も鎮めて太陽を輝かせてくれそうだ。


 二人とも同じ電車を利用して栃木に行くのだから、電車の中で会ってもおかしくなかった。しかも階段の位置の都合上、最後部の車両に乗る確率は高い。


 電車はゆっくりとホームを滑り出し、車窓についた水滴が後ろに流れる。

 それを眺めながら『あーあ、雨かあ』とオシエがつぶやく。彼女の服装は、濃紺のミニTシャツに、ブルーのストライプの半袖シャツを羽織り、ボトムはアイボリーのデニムのショートパンツ。そこから小麦色の足がスッと伸びている。背景は夏の晴れ空が似合うに違いない。

 一方私は、モスグリーンの半袖ブラウスに黒のミディスカート。夕べけっこう悩んだが、わりと無難なところに落ち着いた。普段下ろしている長い黒髪は、ローポニーテールでまとめてみた。どっちが雨女っぽいかというと、圧倒的多数意見で私の方に軍配があがるだろう。


「オトナカワイイいね」

 彼女は私の体の上から下まで視線を動かし、そうコメントを漏らした。

「オシエの方こそ……なんかオシエっぽくて……『さわやかな夏』って感じでいい」

「ありがと」

 そう答え、右手をあげて親指をピンと立てた。


「あの……」

 私は謝っておくべきか少し迷った。

「?」

「昨日はごめん」


「何だっけ?」

「……意地悪、とか言っちゃって」

「ああ、そのことか……いいよ、そんなの」

「いやホント謝る」

「さてはヤキモチだんべ?」

「……はい」

「おー、素直」


 彼女はフフフと笑って、その話はおしまいとなった。

 面と向かって口に出してしまうと、意外と簡単だった。

 いや、オシエが簡単にしてくれたんじゃないか?

 いいよ、とあっさり許してくれたし、ヤキモチっていう単純な言葉にまとめて片づけてくれたし。

 だから、なんでわざわざ休みの日に私を誘ってくれたかも、だいたい察しがつく。彼女はよく気の回る子なのだ。



 栃木駅に着いても、雨はシトシトと降り続いていた。予報によると、今日は一日中こんな天気らしい。空はまだらな灰色の雲に覆われ、初夏だというのに少し肌寒い。最近『蔵の街』として観光客増えてきているそうだが、今日は初老のご婦人のグループが目につく程度で、休日だというのに人影がまばらだ。


 オシエの計画では、まず始めに巴波うずま川を往復する遊覧船に乗る予定だったが、あいにく雨天のため運休。

 しかたがないので傘をさして、二人並んで遊歩道を歩く。

 普段の通学路は、遊歩道の途中で左に曲がるが、今日はそのまま真っ直ぐ進む。川沿いに、長い黒塀に囲まれた白壁の蔵・黒壁の民家が連結したような大きな建物が見えてきた。灰色の屋根瓦で覆われている。木製の看板には『塚田歴史伝説館』と描かれている。元は材木を扱う豪商の屋敷だったそうで、入場料を払って中に入ると、昔から使われてきた道具などが展示されていた。目を引いたのは、畳の上で三味線を弾くおばあちゃんのロボット。この界隈の伝説『うずま川悲話』を紹介してくれた。天気のせいもあってか、建物の中はひっそりと静まりかえり、陰鬱さが漂っている。


 建物を出て再び川沿いを歩く。

 橋の上から川を見下ろすと、川幅が広く、深くなっているようで、そこには沢山の鯉が泳いでいた、というよりひしめき合っていた。一匹一匹、みんな大きい。

「なんか鯉って……イメージしてるのと、実際に見るのでは随分違うね」

 私が率直な感想を漏らすと、オシエが謎のコメントを述べた。


「コイ……あ、こっちはラブ(恋)の方ね。これも案外イメージとリアルではだいぶ違うかもね」

「え、どういうこと?」

「思ってたのより、グロくてデカイ」

「……それって、エロい話?」

「どう解釈するかは、そのひと次第」

 それは何か、彼女の実体験にもとづくものなんだろうか?


 川沿いの道を離れ、街の東側、蔵の街大通り沿いに移動する。

「ここさ、なんか気がつかねぇ?」

 そう言ってオシエは傘を上げ、顔も上に向ける。

「……気のせいかな、空が広いね」

 上空は相変わらず雨空だが解放感はある。

「そう、電柱がないのよね」

「ほんとだ、ごちゃごちゃがない。スッキリしてる」

「教えてあげっけど、昔、蔵の街の景観をよくしようと電線を地中化したんだって」

「なるほど」

 この通り沿いの建物は、木造、コンクリート造りの両方とも和風で統一されている。


 通りを少し進んだ角地にファミマがあり、そこで飲み物を買うことにした。

 コンビニの店舗は周囲の建物と同様に、白と黒のトーンで統一されており、ロゴの文字色も黒っぽく、徹底している。

 オシエは伊右衛門、私はボルヴィックを買い、外に出てドアの横にあるバーに腰かけ、キャップを開けた。

「教えてあげっけど……ここはね、コンビニが建つ前は『鯉保こいやす』っていう旅館と宴会場だったんだって。女優さんの実家だったみたいよ」

 そう言ってオシエは女優さんの名前を教えてくれた。うちの高校のOBらしい。

「その人知ってる、結構有名じゃない!……それから確か、うちの両親、『栃木のコイヤス』で式を挙げたって言ってたような……」

「へー、そうんなん!? うちの親も鯉保だよ。昔はココで式を挙げるのが一種のステータスだったのかもね」

 うちの親とオシエのご両親に意外な接点があったことに驚き、少し嬉しくなった。


 道路沿いには『山本有三ふるさと記念館』という蔵造りの建物があって、中に入ると作家が愛用していた道具や原稿の展示などがされていた。この街は、山本有三推しのようだ。


 パーラーと名のついたお洒落な洋館のレストランで昼ご飯を食べる。

『土地のご飯』という、プレートにヘルシーなおかずが色々盛りつけられたランチメニューを一つ注文して分け合うことにし、隣りのテーブルで食べているのが美味しそうだったのでプリンは二つたのんだ。正解だった。


 食後、再び巴波川沿いの遊歩道に戻る。

 雨は強くも弱くもならず、一定のペースで降り続けている。

 傘を打つ雨の音も絶えず鳴り続けていて、その音に紛れながらオシエの声が聞こえた。


「どう? 栃木の街は」

「……そうだね、こういう天気のせいか、少し静かで寂しいね。晴れていると観光客とか大勢いて、雰囲気違うのかもだけど」

「そう思うんだ……アタシもこの街のことキクノと同じように感じてるんだ。天気に関係なくね」


 巴波川は公園の敷地に流れ込んでいて、私たちはいつの間にか遊具やベンチが並んでいる広場に入っていた。雨の公園には誰もいない。



 着ている服とトーンを合わせたのか、水色の傘をさしたオシエが私に向き合う。私の傘はといえば、特に色のバランスなんか考えていないウス黄色。彼女の傘がスピーカーみたいな役割を果たし、私の傘が集音器のような役割を果たして彼女の声がくっきりとよく聞こえる。


「かつては県庁があった、昔の街。川沿いには、蔵づくりの建物……ねえ、こんな世界に入ってみて、どう感じた?」

「……そうね、外から遮断された空間。まあ、蔵ってそういうもんなんだろうね。そこだけ、違う空気が流れてる」

「アタシはね。今日ここに来て、すごく強く感じたんだ。キクノと自分だけ……二人だけがこの世界にいるんだっ……て」

「どういうこと?」

「覚悟っつーか、決心っつーか……そういうものができたの」

「?」

「二人だけの淋しい世界、二人だけの孤独な世界でも生きていけるって……キクノはどうかな?」

「……私は――前にも言ったかもだけど――人と少し距離を置いて生きてきたから、全然平気だと思う。でもオシエはそれでいいの?」

「だから、覚悟した。決心した」

「……でもさ、一昨日おとといの図書委員の交流会でよくわかったんだけど、オシエの周りには友達がいっぱいいて、みんながオシエとつながりたがっている……それでも、いいの?」

「私は、君……キクノ一人だけを選ぶって決めチったんだ」

「え!?」

「ほんとよ」

「……独りぼっちは寂しいけど、きっと『二人ぼっち』は、もっと寂しいよ……それでもいいの?」

「もう、しつこいなぁ。……それともキクノは嫌なのけ?」

「やなわけないじゃん、意地悪!」


 私は自分の傘をたたみ、オシエの傘の中に飛び込んだ。


 彼女の肩に顔をつけると、頭にやさしく手を回してくれた。


「……また意地悪って言ったな」

「だって、ほんと意地悪なんだもん……でもね」


「?」


「オシエ、じゃなくて紀志江……あなたのことが好き」


「……ありがとう、アタシも菊乃が大好き」


「……私もちゃんと覚悟した。あなたのおかげで決心できた」


「ありがとう」



 雨だか涙だかわからないけど、傘の中でも私たちはずぶ濡れになってしまった。

 でも、

 ずっとそうしていた。

 ずっとそうしていたかった。


 ここは通学路だけど、構うもんか。

 誰に見られても構うもんか。


 だって、私たちは二人だけの居場所、外とは違う空気と時間が流れている世界を手に入れたのだから。


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