Ⅲ.立ちそば on ホーム
橋田紀志江。通称オシエは、あだ名の通り学内のこと、クラスメイトのこと、栃木の街や県民性? など、色々なことを教えてくれた。転校して間もない私が困らないように。不安がらないように。そして、少しでも楽しく女子校生活を楽しく過ごせるようにだよって言って。
実は私、転校には慣れっこだった。正確に言えば、慣れっこのはずだった。父親が転勤族のため、小学校は福岡の北九州に始まり、東京、札幌、そして旭川市内で二校と、五回も学校が変わった。旭川の中学に入学し、一年の夏、父親に転勤の話がきた。場所は釧路。父と母は私たち兄妹――兄と私と妹――に淡々とそのことを伝えた。今までそうだったように、子供たちは何も言わずについてきてくれると思ったのだろう。
しかし、私はブチ切れた。反抗期まっさかりだったし、ブラバンの部活に入って毎日のように仲間と練習に明け暮れ、楽しくて仕方がなかったからだ。そんな宝物のような日々を奪われてなるものか。合計、一リットル……オーバーか。百㏄くらい涙を流して泣き腫らし、自分の部屋に閉じこもった。父は結局単身で釧路に赴任した。
家族をバラバラにしてしまったという負い目もあったので、高校に入って一年目の冬に父から内地――北海道では本州をそう呼ぶ――に戻ってこいとの連絡があった時は、さすがに断り切れなかった。
小学校で重ねた転校で身につけたのは、『みんなとすぐに仲良くなる、でも仲良くなり過ぎない』という処世術だった。あまり親しくなりすぎると、別れるときがつらい。別れの時は必ずやってくるので、その時に備えてのことだ。
誰にも話したことがない『転校の処世術』をオシエに話した。転校して間もない頃なのに、他人によくこんなことを話したなと思う。多分彼女は、教えるだけでなく、人の話を聞くのもうまかったからだと思う。『ふんふん、そんで?』 と本当に興味深げに話のその先を催促してくれる。あ、一応『オシエ』、『キクノ』と、私たちは名前(実はあだ名)で呼び合う仲にはなっていた。
「五回も転校!?」
彼女は目を丸くして驚いた。右手の親指と人差し指でアゴを触り、何かを考えている。
「キクノは、コスモポリタンなんだねえ。転校してきた時からずっと淡々としてっからさ。納得いったよ」
「コスモポリタン?」
「うん、世界を股にかけ、世界を自分の国って考えてる人」
「……いや、私の場合、日本の中だけでの話だし、それを全部自分のナワバリだなんて考えてないし」
「コスモポリタン……少しナポリタンに似てんべさ、そんなスパゲッティあるかな?」
なんか話が横道にそれた。彼女は時々そういうところがある。私は、キャビアやらトリュフやら海苔やら、世界各国の具材が入った明太子スパゲティみたいなのを頭の中に思い浮かべた。最近になって某グルメドラマで知ったことだが、実際にスパゲティ・コスモポリタンというのがあって、どうやらホワイトソースがベースになっているらしい。
「『みんなとすぐに仲良くなる、でも仲良くなり過ぎない』かあ……キクノさ、それ、アタシに対してもそーなん?」
オシエはいきなり話を戻した。そして栗色の瞳に悪戯っぽい笑みを浮かべ、私を見つめる。
「い、いや、そういう性格は直したいなあと思って……」
うまい答えにはなってなかったけど、彼女はそれ以上追求しなかった。
オシエは放課後も色々な場所に連れて行ってくれ、教えてくれた。
「ここ、アタシの一番好きな場所。」
そう言って真っ先に案内してくれたのは、高校から歩いて五、六分のところにある栃木市立文学館。建物は旧栃木町役場を利用したもので、グリーンを基調とした洋風の建物だ。昔はこの辺りに栃木県庁もあったらしい。
「教えてあげっけど、アタシ実は文学少女でさ、ここで展示されている、山本有三、吉屋信子、柴田トヨの作品とかいっぱい読んでるんだ」
山本有三は知っている。確か『路傍の石』の作者だ。あらすじは何となく覚えているような、いないような。
オシエが文学少女というのは少し意外だった。彼女は小麦色の肌だし、身のこなしも表情も快活だから、どっちかと言えば体育会系だと思っていた。
私達は、木造の建物の二階の床をギシギシと言わせながら常設展や企画展を見て回った。
「最近サボリ気味だけどアタシ、図書委員をやってるんだ……そうだ、夏んなったらさ、隣りの男子校の委員と一緒に交流会やんだけど、キミも来ね?」
「交流会?」
「うん、テーマの本を決めといて、グループに分かれて感想や意見を言い合うの」
「へえ、なんか面白そうだね」
「男好きなキクノは高校男子に巡り合える絶好のチャンスだし」
「あの私、男好きなんて、いつ言いましたでしょうか?」
私はちょっとムッとしてそう訊ねた。
「冬、編入試験に来たときさ」
「い、いや、今度入る学校が女子高かどうか聞いて驚いただけで」
「驚いてたっていうか、何かがっかりしてたじゃねぇ?」
見抜かれていた……
「いや普通、男女共学の方がいいって思うじゃない?」
「普通ならそうかもね」
彼女は少しうつむき、表情も一瞬かげったような気がした。
「……でも、女子高もなかなかいいもんだべ?」
「……まあ、ね。オシエもいてくれるし」
一変して彼女の顔色がぱあっと明るくなった。結構表情が変わりやすい、わかりやすい子だ。
「ねえ、キクノもこの際、図書委員になっちゃわない?」
「えーでも、私あまり本読まないし、読んでもアニメで見て知ったラノベくらいだし……」
「あ、学校の図書館にけっこうラノベ本置いてあるよ……だからさ」
「……うーん、考えとく」
そんな風に、彼女は色々な場所に案内し、教えてくれた。
「栃木の焼きそばは、ジャガイモが入ってんだよ、ソウルフードさ。」
ある日の放課後、学校から駅とは反対方向にある、真っ赤でド派手な看板のお店に連れて行かれた。四百五十円の焼きそばを二人で割り勘で買い、分けて食べる。他にも二組の高校生がいたが、同じように分け合って食べている。具はジャガイモとキャベツだけだが、麺が太目でモチモチしていてソースは甘く、ジャガイモによくあった。
別の日の放課後。
唐突にオシエが訊ねる。
「キクノってアニメ好きだんべ? 『秒速5センチメートル』って観たことある?」
「うん、あるよ。結構好き」
確か、両毛線の先にある岩舟駅周辺が物語の舞台になっていたはずだ。
「じゃあ、いいとこ教えてあげんべか?」
「ひょっとして、岩舟に行くの?」
「ううん、その逆」
私たちは両毛線に乗り、思川駅を通過して小山駅のホームに降りた。オシエはこの駅がある街に住んでいる。
両毛線の専用ホームから階段に上ろうとしたとき、彼女はいきなり立ち止まったので背中にぶつかってしまった。
「いて!」
「あ、ごめんごめん……ほら、振り返って見てみ」
言う通りに振り返ると、『のりば 6 栃木・佐野・桐生・高崎方面 8』と書かれた電飾のホームの案内表示がぶら下がっているだけだ。
「柱のあの辺にあったんだよね……アニメのシーン、思い出してみ」
「あ、ひょっとして、おそば屋さん?」
「当たり! ……でも、もうないんだよね」
雪混じりの寒風が吹き込むホームに佇む主人公の男の子。お腹が空いて食べようかどうか迷っていた、立ち食いそばのお店。確かにそのお店がソコにあったはずだ。
「オシエは、食べたことあるの?」
「うん、閉店の少し前に一回だけ」
「そっか、食べてみたかったな」
「ほうけ? そんなら、いいこと教えてあげんべ」
そう言って彼女は階段をずんずん上っていった。私は慌ててついていく。
二階の連絡通路を歩き、十二番・十三番線、赤羽新宿・上野東京方面のホームに降りる。
ホームを少し東京方面に進むと、『きそば』と電飾看板に書かれたお店があった。
「ここ、両毛線のホームにあったのと同じとこがやってる『きそば』だよ」
そう言うとオシエは小さな自販機に小銭をチャリンチャリンと入れ、『天ぷらそば』のボタンを押した。
「あ、割り勘!」
私は慌てて財布から代金の半額分の小銭を取り出し、彼女に渡した。
「もう、いいのにさ」
「だーめ」
天ぷらそばは、すぐにカウンターの上に置かれた。
天ぷらといっても、小エビの入ったかき揚げだ。わりと硬そう。
オシエは割りばしを二膳ケースから取り出し、一つを私に手渡してもう一膳をパチンと割り、かき揚げを器用に二等分した。
「さあ、どうぞ」
お言葉に甘えて先にいただく。代わりバンコで一人前のおそばを食べる。
『取り皿、あげようか?』とお店の人が親切に言ってくれたが、彼女は『あ、いいです』と断った。
おそばの麺は少し黒っぽく太目で、甘くて濃いつゆとよく合う。
かき揚げはかじってみたり、つゆでふやけたものを割りばしですくって食べたり。
「はい、交代」
私はオシエにドンブリを譲る。こうして、それぞれ三交代して、天ぷらそばをきれいに平らげた。
「なんか私たち、食べてばっかじゃない?」
「ハハハ」
彼女は屈託なく笑う。
私もつられて笑う。
今まで知らなかった、楽しい時間。
こんな風に私たちの季節はすこしずつ、進んでいった。