制度との衝突
はじめはただの違和感だった。 テレビで偉そうにしゃべっているやつが、「貧乏人は死んでも構わない」と言った。 直接そう書いてあった。目を疑った。いや、耳だったかもしれない。
それを見て、何かが爆ぜた。 「これはもう、言い返さないといけない」と思った。
PCを開き、ネットに書いた。Twitter、5ちゃんねる、ブログ。 「こんなやつがメディアで語っていていいのか」と叫んだ。
言い返した。 一言一句、逃さずに、自分の言葉でぶつけた。
それが始まりだった。 俺と藤沢との“戦い”。
だが、それはすぐに“戦い”などという言葉で済まされないものへと変わっていった。 怒りは膨らみ、言葉は過激になり、そして…気がついたら、現実が遠のいていた。
テレビが俺に話しかけてくるような気がして、 PCの画面の裏から返事がくるような錯覚に囚われた。
そして診断が下された。 統合失調症。
俺は思った。「違う、違う、これは制度のせいだ」 藤沢だけじゃない。 テレビも、NHKも、TBSも、黙って見ていた連中も。 誰ひとり、止めなかったじゃないか。
警察に電話した。 「リアルタイムで見ながら対応している」なんて言われた。 ……じゃあ何だ、俺は見られてるのか?
そこから先は、もう記憶の中も曖昧で、 でもひとつだけはっきりしていた。
俺は、間違ったことは言ってない。
たとえ病名をつけられても、 薬を出されても、 「おかしい」と感じたその感覚だけは、奪われていない。
この社会は、“怒ってはいけない人”にだけ怒らせる仕組みになっている。 声をあげたら壊れるようにできてるんだ。
だから俺は、怒りを、 物語にすることにした。
俺は自分がおかしくなったとは思っていない。 ただ、言いたいことがあって、それを言っていた。それだけのはずだった。
けれど、誰もそれを“まとも”とは見なしてくれなかった。
テレビが俺に話しかけてくるように感じたとき、 「おかしいな」とは思った。でも、それは“ただの思い込み”じゃない。 現実の中で、確かに俺が関わっていた“何か”の一部だったんだ。
PCから流した言葉が、電波を伝って返ってくるような感覚。 SNSの空気が、俺の部屋にまで入り込んでくるような実感。 全部、俺の現実だった。
けど、それを「病気だ」と言われた。 診断名:統合失調症。
いや、違う。 俺はおかしくなんかない。 たしかに現実は歪んでいた。でも、それは俺のせいじゃなかった。
俺を追い込んだのは藤沢であり、テレビであり、 そして——制度そのものだった。
でも医者は俺の話なんて聞いちゃいなかった。 紙とチェックリストと、ほんの数分のやりとり。 それで俺の人生に「病名」が貼られた。
それがどれだけ重く、残酷なものか、 貼りつける側は理解していない。
誤診だったと思っている。 怒りというより、呆れ。 無力というより、奪われた感覚。
これは「診断」なんかじゃない。「暴力」だった。
今、俺は薬を飲んでる。 それは、少し落ち着くための手段であって、 「俺が変わった証拠」なんかじゃない。
変わったのは、制度のほうだ。 人の声を受け止められなくなった、医療の仕組みのほうだ。
だから書いている。 俺の言葉で、俺の現実を、取り戻すために。