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第九話 転校

 宮島臨海学園が秋の県大会二回戦で敗退して以来、チームは結束力の強化を念頭に掲げ、練習は以前と比べ物にならないくらい厳しさを増した。ナインは朝練に加え、黄昏時になってもバットを振り続けた。

 聡志はストレートを克服するため、マウンドの二メートル手前から投げてもらった。始めは球に当てるのが精一杯だったにもかかわらず、次第に芯を食う当たりが出始めた。

 バッティングの技術は着実に向上していき、練習に熱が入るにつれて帰宅時間が不規則になった。帰りに自転車でお好みの四つ角まで来ると、必ず止まって周囲を見渡した。

 だが、いくら探してもそこに恭子の姿は無かった。同じクラスなのに席が遠くて言葉を交わすこともなく、雨が降り続く中で応援してもらったお礼を言わないうちに、一ヵ月が経過した。


 十月末の月曜日に学校へ行くと、恭子の席が空いていた。担任の菊野次郎がホームルームでつれなく言った。

「井上さんは、東京の高校に転校になりました」

 聡志は全身から力が抜けて机に突っ伏した。

 みんな信じられないような顔をして、隣の席の人と顔を見合わせている。

 授業が始まっても上の空で、恭子の顔ばかりが目に浮かんだ。お好み交差点での優しい励ましが映画のワンシーンのようによみがえる。あの日、合羽を着て立ったまま応援をしてくれた恭子に、ヒットを打って見せたかった。


 放課後になって、聡志は職員室に担任の菊野を訪ねた。

「先生、井上さんは、一体どうしたのですか!」

 凄まじい勢いで迫って来る聡志に、菊野は何事かと顔を上げた。一瞬どう答えようかと身構えるも、真実を語るしか術はない。

「それがなあ、家庭の事情としか言わないんだよ。こっちもそれ以上は訊けないし」

 それだけでは到底納得できない。担任なら何も知らないわけがないと苛立った。

「では、東京の住所だけでも教えてもらえませんか」

「堂本、お前、井上恭子さんとどういう関係なんだ。やけに熱心じゃないか。彼女と付き合ってたのか?いや、それならわざわざ住所を訊きに来ないよな」

 皮肉っぽい言い方をしてきた。どういう関係かと問われても答えようがない。三ヵ月前に恭子と条件付きでデートをする約束をしたものの、それを果たせずにいる中途半端な関係だ。

「僕は、彼女と連絡を取りたいだけなんです。神様に誓っておかしな真似はしません。どうか、転居先の住所か電話番号、メールアドレスのどれかを教えていただけないでしょうか」

 勢いを弱めて、なおも食い下がった。菊野はその粘りに閉口した。

「そうか、嫌な言い方をしてすまなかった。それがな、家族の意向ですべて内密にと懇願された手前、転居先も教えられないんだ。きっと、他人には言えない深刻な事情があるんだろうよ。堂本、お前もそこのところを汲みとってやれ。会いたいと願っていれば、いつか必ず神様が会わせてくれるに違いないさ。な、堂本」

 菊野は腕時計を見て聡志に目配せをした。

 野球部の集合時間はとっくに過ぎている。傷心のまま職員室を出て野球部のグラウンドに向かわざるを得なかった。

 全体での練習メニューが終わり、外野の守備練習が始まっても聡志の心はもぬけの殻だった。ノックでフライを取り損ねたり、ゴロを何度もトンネルしたり、あさっての方に返球したり。

 ついに大園が見るに見かねて練習を中断させた。心配して様子を見に来た選手の中には、裏方から再出発した大原がいた。恭子が転校のため忽然として姿を消したという情報は、無論耳に届いている。

「堂本、元気を出して行こうぜ。冬来たりなば春遠からじだ。きっと、どこかで見ていてくれるさ」

 大原なりに気を遣っているのに違いなかった。気持ちだけは受け取るにしても、この先、いったいどんな春が待っているというのか。単純な大原らしい、ちんぷんかんぷんな励ましは今の聡志には効果がなかった。

 とはいえ、あれから大原が猛省して裏方に徹している姿を見るにつけ、決してへこたれない先輩として見習うべき点があるのは確かだった。それに引き換え、一体今の自分は何をしているのだ。公私混同はこれまでだと気持ちを切り替えた。

「大原先輩は、来年の夏が甲子園へのラストチャンスですよね。ようし、絶対一緒に甲子園に行きましょう」

「おう、頼むぞ。堂本のホームランで、甲子園球場にひとっ飛びだ。みんなで力を合わせて頑張ろう!」

 久し振りに大原の笑顔が弾けた。

「キャプテン、皆さん、もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

 聡志は帽子を取って深々と頭を下げた。集まっていたナインを蹴散らかすかのように、「お願いします!」とノッカーに大声を出した。


 冬のトレーニング期間が終わった三月になっても、大原は相変わらず外野の草取りやグラウンド整備など、きつい仕事を選んで下級生を率先垂範していた。かつての傲慢さは影を潜め、気持ちを改めて野球部のために身を挺する姿は、ナインの信頼を取り戻すのに十分だった。

「昨日の敵は今日の友」の言葉通り、大原はいつの間にか聡志の家に出入りするほどの仲になった。そこで一樹とも顔を合わせるようになり、三人が気の置けない仲間同士に発展するまで長い時間は不要だった。


 その月の中旬過ぎから、いよいよ春のセンバツ高校野球が始まった。大阪代表の淀屋橋高校の試合があった日の晩、三人は試合の録画を見ようと聡志の家に集まった。

 淀屋橋高校のエースは一年生で、聡志が中学の県大会決勝で負けた時の高谷だった。彼は秋の大阪大会で防御率一点台という非の打ちどころのない成績を残し、チームを優勝へと導いていた。噂では、早くもプロ野球のドラフト一位候補としての呼び声が高かった。

 あの中学の県大会から一年ちょっとで、こっちは毎日練習漬けなのに、向こうは輝かしい舞台に立っている。聡志が虚しさにどっぷり嵌っているところへ、大原が意外なことを口にした。

「あいつはなあ、高谷のことだけどな。奴が通った中学の知り合いからの情報だと、普段から大胆不敵で血が上ったら何をやり出すか分からない男らしいんだ。練習試合でホームランを打たれたあと、カッとなって三人連続でデッドボールを食らわせたそうだ。しかも、狙いすましたように肘や膝などの骨に当てたとのことで、当たった選手は全員その場でうずくまって立ち上がれなかったと聞いた。その結果、相手の監督は試合続行を拒否したそうだ。だから、多くの野球ファンが注目する甲子園で打ちのめされたら、高谷がどういう行動を取るのか不安でしょうがないんだ」

「自分たちが対戦した時は、冷静なピッチャーに見えたけどなあ。それ、たまたま当たっただけなんじゃないですか?」

 聡志は半信半疑だった。横にいる一樹は、異様な興奮が湧いて来るのを抑えながら画面の高谷を睨んでいた。

 その試合は淀屋橋高校がさしたるピンチもなく順当に勝利した。結局、準々決勝まで駒を進めて健闘するも、鹿児島の強豪校に決勝犠飛を打たれて惜敗した。


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