第四話 励まし
聡志と恭子が二人だけの約束をして迎えた最初の試合は、十日後の日曜日、夏の高校野球県予選の一回戦だった。聡志はたまに投球練習をする程度で、登録は外野手だった。
この試合では、一年生ながら強打を買われてベンチ入りをしていた。恭子は聡志の出番を今か今かと待ち侘びながら、応援席で胸を高鳴らせていた。
試合は中盤までもつれていたが、宮島臨海学園が八回に一気に突き放したことにより、補欠にも出場するチャンスが回ってきた。
なおもツーアウトランナー一塁の場面で、待ち望んだ聡志が代打に起用された。
「がんばれー、がんばれー」
恭子は大原に見つからないよう人影に隠れて、背番号十三の背中に周りがびっくりするほど大きい声援を送った。当然、聡志の耳にも届いている。
緊張してバッターボックスに入り、左腕を前から後ろに大きく一回転させて構えた。二球連続で空振りをした後の三球目、聡志の放った一打はゴロで三遊間に飛んで、完全に抜けたかに見えた。
やった、と思った瞬間、サードが横っ飛びに捕って素早くセカンドに送り、間一髪でフォースアウトになった。ファーストは完全に間に合わないタイミングだったので、一塁にランナーがいたことは聡志にとって不運だった。
恭子は「ああーっ」と溜息をついて、体から一気に汗が引くのを感じた。
翌日の夕方、恭子は聡志の帰りをお好み交差点で待っていた。励ましの言葉をちゃんと考えたうえで。
いつもの時間に聡志の自転車が交差点の向こうに見えた。さあ、言おう。
聡志は恭子の前まで来ても、自転車を降りなかった。
「ごめん、ヒットを打てんかった。自分としては、いいところに飛んだと思ったんじゃけどなあ。サードがうますぎた。セカンドでアウトになったけど、あとでランナンーに訊いたら、あれは絶対セーフじゃと言うちょった。セーフなら、僕の初ヒットが生まれとったのに、ほんまに残念じゃ。あーあ、デートは簡単にはできんなあ。またチャンスをもらえたら、今度こそ頑張るけえ」
そう言って、応援のお礼も言わずに自転車を走らせたかと思うと、みるみるうちに遠ざかって行った。一方的に喋ったのは、聡志の照れ隠しなんだろうと恭子は思った。
もっとちゃんと励ましたかった。というよりも、恭子は一言も発していなかった。
翌週の二回戦で、聡志は守備固めから出た。前の試合と同じく八回に回って来た打席で、恭子の声援を受けて大きな当たりを飛ばした。応援席の誰もが立ち上がって球の行方を追った。
もう少しでバックスクリーンへのホームランというところでセンターがジャンプした。敵ながら見事なファインプレーで、この日も聡志はヒットを打つことができなかった。その試合には勝ったが次の試合で敗れ、聡志が恭子の目の前でヒットを打つチャンスは、しばらくお預けとなった。
二人はデートが確定しないまま、翌日もお好み交差点で会っていた。
「堂本君、いつもあと少しのところでヒットにならないけど、運が悪いだけよ。絶対に打てるから、気を落とさないでね」
「うん、そうじゃね。僕も悔しい思いばかりしとる。次の試合では、必ず打つから、その時まで待っとって」
一年生の聡志が打席に立てる回数は少ない。それだけに、ヒット性の当たりが続けてアウトになったのが余計に歯がゆかった。恭子と目を合わせようとせず、自転車のハンドルを強く握りしめていた。
恭子にはそれを見ただけで聡志の悔しい気持ちが手に取るように分かった。自分のことで精一杯の聡志から応援のお礼などなくても、恭子は聡志を励ますことで自らを癒そうとした。
「今日はヒット祈願の折鶴を持って来たのよ。部屋に飾ってくれると嬉しいな。早く願いが叶いますように。デートをする日が来たら、岩国の錦帯橋に連れて行ってもらおうかしら。橋のたもとで、一緒に人気のソフトクリームを食べるの。うわあ、夢が広がるなあ。楽しみにしてるわね。それまで、我慢、我慢」
恭子はいつも表面的には明るくふるまった。
聡志はますますプレッシャーを感じながら、微笑みとともに差し出された手提げ袋を受け取って、中を覗いた。青、緑、赤などの色鮮やかな折鶴が数えきれないほど入っている。
「こんなにたくさん折ってくれたんだ。さっそく自分の部屋に飾るよ」
カバンの隙間にしまって、自転車にまたがった。
恭子にすまないとは思いつつ、いつの間にか献身的に応援してもらうのが当たり前になっていた。自分のヒットが見られず、恭子が試合後に泣いて帰っていることなど知る由もなく。
二人はその後もいつもの信号機の下で会った。短い時間だったが、近い将来、ちゃんとしたデートが控えていると思えばそれで十分満たされていた。
学校のひまわりが咲いて散り、次の公式戦を待ち焦がれるかのように暑い夏が過ぎていった。