第20話 満塁ホームランのリクエスト
プロ野球選手としての聡志の三年目は、悔いの残るシーズンとなった。開幕から一軍と二軍との間を行ったり来たりして、一軍での役目は主として守備要因だった。打席数が少ないこともあり、いまだにヒットを一本も打てていなかった。
だが、その年の年末にラッキーな出来事があった。ライトでレギュラーの西里がFAでライオンズに移籍したのだ。すなわち、ポジションが一つ空いたことになる。翌年の日南キャンプでは、今年も結果が出なければあとがないと覚悟を決め、寝食を忘れて練習に打ち込んだ。
聡志は満を持して臨んだオープン戦でチーム最多のホームランを放ち、監督やコーチの信頼を得た。その結果、プロ入り四年目の開幕戦を初めて一軍ベンチで迎えた。場所は名古屋のドーム球場だった。
その試合の六回表、二点ビハインドの場面で、ツーアウトランナー二塁、三塁。聡志は一打逆転のチャンスにピッチャーの代打として指名された。緊張して臨んだ第一球、外角のストレートにうまくバットを合わせ、ライト前に同点のタイムリーを放った。
聡志はそのまま守備につき、九回の打席で内角高めのストレートを強振し、広いドーム球場のレフトスタンド二階席上段に叩き込んだ。
ドラゴンズのレフトは一歩も動けず、観客もあそこまで飛んだ打球を見たことがなく、相手チームの選手や応援団はしばらくの間呆然とした。
各チームの先乗りスコアラーも観戦しており、聡志が内角高めの球をピンポン玉のように飛ばした豪打は、普通のホームランの十本分くらいの印象を与えた。
試合はそのままカープが逃げ切り、聡志のプロ入り初ホームランが決勝点となった。
開幕戦ということもあり、夜のスポーツ番組は各地の熱戦を詳しく紹介した。その中で聡志のヒーローインタビューの模様も放送された。おかげで、堂本という名前と甘いマスクは、瞬く間に全国の野球ファンに知られることとなった。
決勝打になった初ホームランを一番喜んだのは主砲の紙屋で、聡志を誘って錦三丁目の有名な料亭に繰り出した。その夜はお祝いだ、お祝いだとお祭り気分で盛り上げてくれた。酒はほとんど紙屋ばかりがお代わりをした。これから実績を積み上げていかねばならない聡志にとって、酒を飲んでのどんちゃん騒ぎは時期尚早だった。
紙屋の気持ちに感謝しながらも、頭の中では恭子のことばかりを考えていた。初ホームランをスポーツニュースで観てくれただろうか、それならまた手紙をくれるだろうか、昔と変わらず元気でいるだろうか、などと次から次へと気になって仕方がなかった。
とにかく連絡がつかないことには、どの試合でヒットを打てば二人だけの約束が叶うのかが分からない。それが何とももどかしかった。
その夜、欣二の店は知り合いやお得意様からの祝福の電話が鳴りっ放しだった。一人ひとりのお祝いに対応し終わって時計を見ると、午前零時過ぎだった。
一樹は最後の電話が終わるまで嬉しそうに欣二の横にいた。布団に入ってもなかなか寝られず、朝になって気が付けば、嬉し涙で枕を濡らしていた。
その後の聡志の活躍は目覚ましかった。五月には正右翼手を任され、八番を打っていた打順は六番まで上がった。交流戦に入っても勢いは衰えず、仙台でのイーグルス戦、所沢でのライオンズ戦で二試合連続の猛打賞をマークして、パ・リーグにも堂本の名を広めた。
こうして、絶好調のままオールスターのファン投票が始まる時期を迎えた。打率は三割を狙えるところまで上がっており、結果的にファン投票では漏れたものの、選手間投票で選ばれて初めてのオールスターゲーム出場を勝ち取った。
聡志が夢の球宴に出る姿を一樹が思い描いていたころ、堂本電器商会に一通の手紙が届いた。聡志宛てで裏には、K子とだけある。厚みのない手紙なのに重みを感じさせている。ゆりは、差出人の名前を薄々感づいていた。一樹がその封筒を開けようとしたところ、慌てて止めた。
「お兄ちゃん、何やってるの。人の手紙を勝手に読んじゃダメでしょ」
「だって、この前は、自分を誹謗中傷する手紙が来たと言って、聡志がまいってたしな。K子だなんて、本名を書いて来ない場合、ろくでもない奴からに決まっとる。もしかすると、いたずら好きの男かもしれんしな。俺が先に読んで、破り捨ててやるんじゃ」
ゆりの静止も聞かず、一樹は封筒の先端を指で引きちぎった。便箋を広げて読み始めるなり手のひらを口に当て、きまりが悪そうな顔をして封筒に戻した。
「どうしよう。見ちゃあいけんものを見てしもうたようじゃ。もちろん、最後まで読んどらんよ。最初のところをちょっとだけじゃ」
「だから言ったでしょ。堂本さんにちゃんと謝りなさいよ。それで、女の人から?」
ゆりが怒りながらした質問がおかしくて、二人してくすくす笑った。一樹は、わざととぼけてみせた。
「さあ、どうだろう。個人情報は妹にも言えんしな」
ゆりは、「やっぱり、きょうこさんだ」としたり顔をした。
一樹は肯定も否定もせず、大急ぎでメモを書いた。「すまん、店宛に来た手紙と間違って、封を切ってしもうた。読んでいません、最初のちょっとしか。一樹」
封筒の切り口をテープできれいに修復したあと、切手を貼って聡志の住所に転送した。聡志は寮で郵便を受け取り、言い訳にならない言い訳のメモを読んで苦笑した。一樹が始めだけ読んだという手紙を、人に覗かれているような気がしながら開いた。
「お久し振りです。恭子です。K子なんて書くつもりはなかったんだけど、堂本君なら分かってくれると思って。それに、実名で書くとお父さんに誰だ?なんて問い詰められてもいけませんしね。そんなお父さんじゃないとは思いますけど。
ところで堂本君、オールスターゲーム出場、おめでとうございます。私も嬉しくて仕方がありません。あいにく球場には行けそうにありませんので、テレビの前で声援を送ります。第二戦は東京ドームですよね。そうだ、満塁ホームランを打ってくれたら、私、次の日にあなたと銀座でデートしたいな。思いっきりオシャレをして行くわ。何年か振りの再会だもの。一緒においしいご飯を食べて、楽しいお話をいっぱいしましょうね。
これからもずっと応援しています。 七月十日 恭子」
本当に久し振りの手紙だった。大学四年の十月以降、プロに入って現在まで恭子から手紙が届いたことはなかった。だが、いくら長い空白期間があろうと、恭子はいつもそばにいる気がしていた。カープと育成契約を結んでからの二年間、支配下選手となってからの一年数か月も、恭子のことを忘れたことはなかった。
学生時代にもらった最後の手紙には、「私たちって、きっと、神様が許してくれるカップルにはなれないのかもしれません」という悲観的なことが書かれていた。それに対し、この手紙の「銀座でデートしたいな」という文面は明るすぎる。しばらく音信が途絶えていた間に、いったい何があったのだろうと不安になった。
ここは深読みせず、書かれていることを文字通り受け取ることこそが、二人を繋ぐ糸を切らないことなのだ、といったん気持ちを落ち着かせることにした。
手に持った手紙を封筒にしまおうとして、元のように折り畳んだ。それを封筒に入れようとしたところで手が止まった。もう一度開いて始めから読み直した。
この手紙には書いていないけれど、自分の初ホームランの情報を何かで得て、その上でヒットではなくホームランのリクエストをしてきたのか?
それにしても、満塁ホームラン。ヒットならまだしも、オールスターでホームラン、しかもグランドスラム。手紙を握りしめながら唸った。満塁ホームランを打つには、当然ながら満塁で打席に立たなければならない。自分一人の力ではどうにもならないのは恭子も先刻承知だろう。これまで高校や大学時代に恭子の前でヒットさえも打ったことがないのに、リクエストがあまりにも難題すぎる。
そもそもこんな無茶なことを求める女性ではなかった。自分の知らない何かが恭子の精神状態を狂わせているのではないか。本当に満塁ホームランを望んでいるのか、それとも、間違ってもそんなものを打って欲しくないという思いで書いているのか。だとしたら、その理由は何なのか。考えれば考えるほど分からなくなった。
第二十一話 オールスターゲーム
オールスターの第一戦は、七月十八日に千葉ロッテマリーンズの本拠地で行われた。円形の球場に一歩足を踏み入れると、今にもライトスタンドから熱狂的な応援が聞こえてきそうだった。
試合は、セ・リーグのチームが相手の応援に気圧されたかのように劣勢のまま、最終回を迎えていた。三点差をつけられた九回表、二死ランナー無しから聡志が代打としてコールされた。
ピッチャーはパ・リーグを代表する抑えの右腕、山木だ。いきなりツーストライクと追い込まれた。バッテリーは一球遊んで来るか、得意のフォークで来るか。強肩で有名なキャッチャーの佐田が聡志に呟いた。
「奴のお化けフォークにバットが当たるかな」
次の球は、言葉通りフォークが来た。腰を落として、かろうじてファウルチップに逃れた。佐田がチッと舌打ちをした。聡志はオールスターでの対戦を楽しむというより勝負に徹した。山木との真剣勝負など滅多にあり得ない。
次はどんな球が来るのか。佐田が黙っているところを見るとフォークの連投はないと踏んだ。今のファウルでカチンと来て、自分みたいな二流の選手はフォークを使わなくても打ち取ってやる、と強気のリードをするように思えた。
四球目はボール気味のシュートが外角に入ってきた。腕を伸ばして打った打球は高々と舞い上がり、マリン特有の風にも乗ってライトフェンス直撃の三塁打となった。山木は三者凡退のパーフェクトセーブを挙げる直前で長打を許し、苦虫をかみ潰したような顔をした。
テレビでは実況のアナウンサーが、
「今年の公式戦で初ホームランを打った四年目の堂本が、オールスターでも第一号を打ったかと思いました。いやあ、惜しかったですね」
と残念がった。
山木は次のバッターからフォークで三振を取って試合は幕を閉じた。




