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第二話 父親に諭された記憶

 聡志の実家は広島の片田舎で電器店を営んでいた。大手の電器量販店が街中で派手な販売合戦を展開しているのに対し、父親の欣二を店主とする堂本電器商会は、昔からの得意客を相手に細々と店を切り盛りしていた。たまにふらっと店に入って来た一元客は、一割引きしかしていないプライスカードを見てそそくさと店を出て行った。

 常連客でも値引きの多い量販店に切り換えようと悩むことはあった。それを思い留まらせたのは、方言丸出しで謹厳実直な欣二との絆だった。その衒いのない物言いに加え、頼めばすぐにでもやって来て気安く家電製品の不調の原因を調べてくれるし、ついでにビデオのリモコンの使い方の分からない点や、電球の替え時まで丁寧に教えてくれる姿が目に浮かぶと、量販店の安売りチラシは屑籠に消えた。


 欣二の妻の絹子は聡志が九歳の時に胸の痛みを訴えて入院し、一ヵ月も持たなかった。欣二は母親が余命いくばくもないことを聡志に伝えようとしたが、亡くなる数日前まで切り出せなかった。

「聡志には自分の病状は告げずに、思い切り野球をやらせてあげて欲しい」

 と絹子に懇願されていたからだ。絹子は病院のベッドで意識を失う前に聡志を手招きした。聡志が母親の口元に耳を近づけても、ハアハアと吐く息しか聞こえなかった。しばらくして、生暖かい吐息とともにかすかな声がした。

「聡志、ごめんね。野球、頑張って。天国で、応援してる、からね」

 それが最期の言葉になった。聡志は周りの人たちがもらい泣きをするほどの大声を出して泣いた。

「父さんは、なんで母さんが死ぬかもしれんって、教えてくれんかったんじゃ。知っとったら、野球なんかしとらんで、ずっと母さんのそばにいてあげたのに」

 欣二は止まらない涙で両手を濡らしたまま、むせび泣く聡志の肩を抱いた。

「ごめんな」

 それしか言えなかった。この子はきっと野球で活躍する選手に育てるから、と無言で妻に誓った。


 父子の二人暮らしになって以来、聡志は父親に怒られた記憶はない。怒られたというより、諭された記憶として残ったことはある。それは小学校五年生の夏休みのことだった。

 ある日、聡志がチームメイトを連れてソフトボールの練習から帰ってきた。皆、よく日に焼けて、チョコレートを顔に塗ったような色をしていた。

「父さん、今日は暑かったー。汗をいっぱいかいたから、みんなとコンビニに行って炭酸スペシャルドリンクが飲みたい。百八十円ちょうだい」

 汗だくの顔でねだった。欣二は小銭入れを出そうとポケットに手を入れながら、店先にいる子どもたちの顔を見回して、おやっという顔をした。

「聡志、あそこに白田一樹君がおるな。あの子はいつもみんなと一緒にドリンクを買って飲みよるんか?」

 聡志は答えにくそうに顔をそむけた。欣二が店の奥に呼んでもう一度訊いた。

「いいや、あいつはいつも、みんなが飲むのを見とるだけじゃ」

 欣二はため息を漏らして息子の頭に手を乗せた。

「ええか、聡志。父さんはお金をやらんとは言わん。ただし、ドリンクを飲むんなら全員が買って飲む時に、お前が最後に買って飲め。一番いけんことは、自分のことばかり優先して、人の気持ちを考えんことじゃ。わかるか?」

 聡志には欣二の言っている意味はよく分かった。これまでにも一樹に対してすまないと思ったことは何度もあった。「一緒に飲まんか」と声をかけても、「いいや、俺は喉、乾いとらん」といつも同じ返事だった。そんなはずはないと思った。みんなと同じ練習をやって汗をかいていたのだ。

 だが、聡志は「悪いな」の一声さえかけることもなく、口を小さく開けて見ている一樹を横目にみんなとドリンクを飲んだ。人のことを気遣うより、自分が飲みたい気持ちが勝っていた。いつの間にかそれが当たり前になっていた。思いやりの言葉など、ひと言もなかった。

 聡志は申し訳なさそうに頷いた。欣二は聡志に紙のコップを用意するように言って、店の冷蔵庫から麦茶の入った冷水筒を出してきた。夏場はいつもお客さん用に冷やしてあるので準備も早い。人差し指で人数を数えて、あっという間にコップに注ぎ分けた。

「さあ、炭酸無しスペシャル麦茶じゃ。ガブガブ飲め飲め!」

 欣二の大きな声を背にして、聡志がお盆に乗せた麦茶を配る。

「やっぱりこれが一番うめーや」

 チームメイトは嬉しそうに飲み干した。中でも一番うまそうに飲んだのは一樹だった。

 それぞれ欣二にお礼を言って帰り始めた。聡志はみんなの背中を見送ってから欣二に謝った。

「父さん、一樹はね、いつも人が喜んどるのを見て嬉しそうにする奴なんじゃ。レギュラーになれるくらい上手いのに、自分は補欠でええ、と言うて先発を下手くそに譲っとる。みんな、それに甘えとったかもしれん」

 欣二は「そうじゃったんか」と返事をして、空になったコップを集めてゴミ箱に捨てた。

「聡志、人をないがしろにする性格はな、いったん身につくと簡単には直らん。また将来、どこかできっと出てくるじゃろう。そうならんように、よう気をつけとくことじゃ」

 聡志は神妙な顔をして聞いていた。小学生には難しい話だったかもしれない。

「とにかく僕は、もっと一樹の気持ちを考えてあげるよ」

 欣二は頷きながら、一樹の境遇を思い浮かべた。一樹は三つ下の妹、ゆりとの二人兄妹で、病弱な母親が生活保護を受けながら一人で育てている。家の中にある洗濯機や冷蔵庫、テレビなどの家電製品は、全部下取りで持ち帰った中古を取り付けてやったものだ。ジュースを買うお金など、ないに違いない。

 幸いなことに、一樹は聡志を慕って仲が良い。それが欣二には救いだった。


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