第十三話 一樹の父
一樹は事件を起こした当日、留置場に入れられた。翌日以降、警察からの取り調べに対し、バットを使っての傷害事件について一部始終を素直に答えた。担当の取調官は、無二の親友に怪我をさせた相手を恨んで突発的に犯行に及んだこと、高谷に以前から個人的な憎悪の念を抱いていたわけではないことなどを把握した。
その一方で、普段こんなに従順でおとなしい青年が、自分の将来や家族のことを顧みず、親友のために突として荒れ狂う心理面を理解しかねた。
警察で一樹の素性を徹底的に調べ上げた結果、父親は元暴力団員ですでに死亡していることが判明した。その男はひとたび荒れると前後の見境がつかなくなるほど狂暴で、かつて、敵対する組との抗争が勃発した時、組長の為にと一人飛び込んで命を落としていた。
それは、一樹がまだ三つの時の事件だった。取調官はこのたびの犯行経過と父親が過去に幾度も逮捕された犯罪のそれとを見比べて、深くため息をついた。
一樹には身元を保証する家族や親戚がいないため、父親代わりの堂本欣二が未成年後見人となることで、家庭裁判所の心証を好転させようと試みた。
そんな素人の甘い考えなど功を奏するわけもなく、審判は粛々と行われて広島の少年院に送られることが決定した。院での面会は欣二と妹のゆりだけに限られた。
事件から三ヵ月後の秋も深まった十一月の終わりに、ゆりが何度目かの面会に行った。一樹はいつもと変わらず頭を下げて謝るばかりだった。
「俺のことが原因で、学校でいじめを受けていないか?本当に申し訳ない。ここから出たら、必ずいい兄貴になるから」
実際、事件のすぐあとは、同級生の一部から加害者の妹として白い目で見られた。その一方、相手のピッチャーの方が悪いと言って庇ってくれる友達もたくさんいた。時間が経つにつれて、その事件について口にする人は殆どいなくなった。
その日、ゆりは不思議そうな面持ちで話を切り出した。
「お兄ちゃん、雨の日に堂本さんの野球の試合を見に行ったことがある?高校時代のことよ」
「ああ、あるある。高一の秋の県大会二回戦。聡志が三球三振して最後のバッターになった試合じゃ」
一樹が即答したことに驚いた。
「うん、たぶん、その試合のこと。それで、その時の応援で、何か覚えてる?」
「いや、別に、特には・・・・・・。雨でびしょびしょになったことくらい」
一緒に応援した彼女のことは内緒にして、ひょいと肩をすくめた。
「合羽を着た女性と二人で一緒に応援したこと、隠そうとしてない?」
図星を突かれて「うっ」と声を上げた。
「何でゆりがそれを?」
「やっぱりそうだったんだ」
小さな声で独り言を言った。
「実はね、これまで言う機会がなかったんだけど、おじさんの電器店で店番をしていたら、女の人から電話がかかってきてね」
「うん、それで、何て?」
「事件のことを思い出させてしまうけどいい?」
事件、と聞くと瞬時に気が滅入った。ここは黙って聞くしかないと覚悟を決めた。
「いいから、言ってごらん」
「その人、始めはもじもじして言い難そうにしてたけど、甲子園の高校野球の会見場で、名前は知らないけど見覚えのある人が、バットを持って殴って、って途切れ途切れに話し始めたのよ。それ、私の兄ですって言葉を遮ったら、絶句してしまって。そのあと、お兄ちゃんと一緒に雨の降る野球場の応援席で、堂本さんの応援をしたことがある、って思い出を辿るように聞かせてくれたの」
一樹の緊張が弛緩した。考えてみれば、ゆりがわざわざ自分に苦痛を与える話を持ってくるはずがない。一瞬のうちに彼女の顔がはっきりと思い浮かんだ。丸顔でちょっとタレ目のかわいい子。
「そうそう、彼女と一緒に立って応援したんじゃ」
「だからね、あの事件をテレビの生中継で観て、あんな乱暴なことをする人じゃないって信じられない様子だった。その人、堂本さんと仲が良かったけど、ある日突然、転校したんだって。友達にも誰にも言わずに。もちろん、堂本さんにも」
「うん、そう言えば、もうすぐ町を離れるって寂しそうにしとったな。それで、聡志には電話があったことを伝えたんか?」
「それがね、堂本さんには言わないでって口止めされたの。その訳は聞かせてくれなかったけど、せめて下の名前だけでも、って無理やり頼んだら、きょうこ、って教えてくれたわ。二人は何かの壁があって会えないけど、太い糸で繋がっている仲のように感じたのよ。絶対に切れない糸。女の直感だけどね、たぶん、そうじゃないのかな、って。それでね、そもそも電話をしてきた目的は、堂本さんの電器店に電話をしたら、お兄ちゃんのことが何か分かるかもしれないと思ったそうよ。兄は施設で更生中の身ですけど元気だし、あと数ヵ月で戻って来れそうですって伝えたら、とても喜んでくれたわ。それで良かったかな?」
「そうか、ありがとう。うーん、世の中にはこんな俺のことを気に掛けてくれとる女性がおるんか」
「彼女は、堂本さんの大ファンなんだって!」
躍起になって否定する姿が何とも言えずかわいらしい。職員が時計を指さしてそろそろ時間だと合図した。
「今日は来てくれてありがとう。とにかく俺は、もう二度とあんな事件を起こさんように毎日反省の日々なんじゃ。幸い、彼の命には別状がないと聞いて安心したけど、大変申し訳ないことをした。いつかは、直接おうて謝りたいと思うとる」
椅子から立ち上がってゆりの顔を見つめ、ゆっくりと後ろを向いてドアに向かった。
「お兄ちゃん」
兄を慕う妹の声が優しく背中を包んだ。




