第三話 条件
「楓、おいで」
眠たくなるような、浄化されるような、落ち着いた声。そんな声の主の方へ一直線に駆け出す楓。
「パパ! 今日はね、五人の殺し屋相手に無傷で勝てたんだよ! 凄いでしょ‼」
自慢げな表情を浮かべる楓を膝に乗せて、小さな頭を優しく撫でる。
「よく頑張ったな。楓は本当に強い子だ」
「うん! いつかパパみたいなカッコいい殺し屋になる!」
「……楓は大きくなったら殺し屋になりたいのかい?」
どこか寂し気な、或いは悲し気な声色をしていることに気付いた楓は父の顔を見上げる。
「パパは嫌?」
「パパの夢はな? 楓の生きたいと思う道を歩かせてやるのが夢なのさ。だから嫌なんかじゃないさ。好きな道を歩みなさい」
「……嘘の色。パパ、嘘ついてるー‼ 嘘はどろぼーの始まり、ってすみれちゃんが言ってたよ‼」
「はは、楓は強くて賢い子だ」
その声色に、先程まで漂わせていた負の感情は乗っていなかった。心の底から楽し気な声。
「だが、そうだなぁ……。本音を言えば──。いや、やっぱり何でもない。ただ、一つだけ嘘ではない夢を教えてあげよう」
「んー? なになに⁉ 気になるー‼」
「お前がすみれちゃんを──」
───
「……腹痛ぇ」
赤黒く変色した包帯を手で押さえながら天井を見つめる。
夢……じゃないな。あれは実際にあった過去だ。
それは、もう二度と聞くことの出来ない声。二度と見ることの出来ない顔。そして二度と感じることの出来ない家族の温もり。
「目が覚めた?」
「……死神か。悪い、すぐに会議を開く」
声のした方を見ると、昨日と同じロングコートを羽織った死神が楓の目をジッと見つめていた。その瞳に微かな心配そうな色が見えたような気がしたのは気のせいだろうか。
昨晩、死神の手を借りて拠点に戻っていた楓は、思いの外傷が深く会議をする前に寝込んでしまっていた。 今でもズンズン、と重たい痛みが全身に走るが、明日には傷も痛みも消え去っていることだろう。特に気にすることは無い。
「何で泣いてるの?」
「……え?」
死神の指摘で自分が泣いていることに気付いた楓は、人差し指で涙を拭きとる。きっと夢という形で過去と向き合うことになったからだろうか。
今までこんな事はなかったんだけどな。……死神と出会って思い出したか。
「何でもない。怖い夢を見ただけだ」
「怖い夢……。キミに怖い、と思うことがあるんだね」
「どういうことだよ、それ」
「昨晩、キミが本気を出していないことは分かっていた」
死神はしっかりと楓の目を見据える。相変わらずの碧眼はまるでサファイアのような輝きだ。その美しさに吸い込まれそうな錯覚を紛らわすかのように理由を尋ねる。
「……何でそう思った?」
「私は死神。殺しの天才、と言われる殺し屋。でも、だからと言って最強という事ではない。天才に解けない難題があるように、私にも勝てない相手は大勢いる」
死神は「つまり」と一呼吸を置いてから言葉を継ぐ。
「相手を見れば勝てる相手、勝てない相手くらいは判断できる。キミは後者だった。いや、それどころか逃げる事すら出来ない、という結論の下、戦闘に挑んでいた」
「でも実際にこうやって俺は大怪我を負っている」
「……何で一息に殺さないんだろう、って不思議だった。でもキミが天瀬家の人間、と分かって一瞬で謎は解けた」
「その答え、とは」
「交渉術の一つ、だよね」
楓は一度死神から視線を外してから再度、死神に視線を戻した。
「驚いた。キミたち夕凪家は頭脳戦を得意としていなかったはず。個々の戦闘能力が高すぎるが故に必要が無かったからな。そんな脳筋ダルマがここまで鋭いとは」
「でも分からない事もある。結局あの薬は何だったのか、とか」
「俺たちに協力してくれるのであれば追々知ることになる」
「……そう」
死神の手を借りてベッドから起き上がり、胡桃たちのいる場所へと向かおうとしたところで、死神がボソッと溢した。
「……筋肉ダルマ?」
───
「さて、それじゃあ会議を始めようか」
朝食を摂った四人はそのまま珈琲を飲みながら話し合いする流れとなった。
「まずは俺たちの紹介からしようか。俺は天瀬楓。お前と同じ殺し屋だ。言うまでもなく、今は亡き殺し屋御三家、天瀬家の生き残りだ」
「こっちが妹の胡桃で情報屋。そしてそっちの体躯の良い男が胡桃の護衛、綾柳宗一郎だ。全員、目的は共通だ。殺し屋を解体すること」
そこまで言ったところで死神は頷き自己紹介を始める。
「私は夕凪日和。キミたち兄妹の天瀬家を滅ぼした夕凪家の一員であり、キミたち天瀬家に滅された夕凪家唯一の生き残り」
胡桃も綾柳も「よろしくお願いします」と会釈したのを見て死神こと日和が楓の瞳をジッと見据える。
「会議の前に確認したいことがある」
「何でも聞いてくれ。もちろん、答えられない質問もあるが」
「キミたち兄妹は私を恨んでいないの?」
「何故でしょうか……?」
同じ事を聞き返そうとしていた楓だったが、胡桃の方が早く首を傾げる。
「私はキミたちの実の親を殺した。……殺した相手の親族と話すのは初めてだから」
死神はどことなく気まずそうに目を伏せる。
「俺たちは殺し屋だ。もちろん、お前の私欲で殺したのあれば話は変わる。でもお前はあの時、八歳かそこらの子供だ。もちろん、俺たちも。実力はあれど、上の人間に逆らえる立ち位置ではない」
「……でも」
目の前で俯く死神を見て、楓は一つの発見をしていた。
コイツ……。根っからの殺し屋だと思っていたが、案外普通の感性を持っているのか。
「では、一つお伝えします。夕凪家が天瀬家と共倒れになった理由。それはボクが夕凪家の情報をお父さんたちに売ったからです。衝突する日、時間帯、人数、その他諸々。ありとあらゆる情報を。ボクが情報を売らなければ夕凪家の未来は変わっていたと思います」
「……情報を持っていた、ということは夕凪家に情報を売った犯人がいたということ。恨むべきはその犯人。私がキミたちを恨むことはない」
要するに「自分の方が恨まれてもおかしくない立場では?」という事か。
「……あー、まぁ何だ。俺たちの目的は『殺し屋の解体』だろう? 御三家以外にも殺し屋は多数存在する。ソイツらをこの十年でほぼ壊滅させてきた身だ。そんな俺らが今更お前を恨むなんて事は出来ない」
「……だから年々依頼が減っていたんだ」
死神が殺し屋専門の殺し屋であることは昔から察していた。だからまずはこの町付近の殺し屋は片付けずに遠くの殺し屋から順に処理していった。結果、この付近でしか依頼が入らない死神はこの辺りに仮の拠点を設けるだろう、という作戦。ここまで十年の時を用したが、後悔はない。
「分かった。私を恨んでいない事が分かればそれでいい。……それに恨まれていたら昨晩の内に始末されていただろうし」
「確かにそれも恨んでいない証拠になるな」
「まだ何か言いたいことがあるんじゃないか、死神」
一旦、話が落ち着いたところで無言のままだった綾柳が死神に視線を向ける。
「そうだね。キミたちの目的、と言うか目標は理解した。でも、それを私が手伝うメリットは何? 私としては仕事がなくなって稼ぐ術がなくなる。つまり、自分の首を絞めるだけの行為」
そこまで言って一口だけ珈琲を啜る死神。
「キミたちは普通の生活を送れるのかもしれない。でも私は物心がついた頃から『殺して生きる』のが日常だった。生きるために殺す。そんな教育しか受けてこなかった私が普通に生きていける保証はない。……苦い」
「……その言い方だと『殺さず生きる』ことを日常化出来るのであれば協力しても良い、って解釈も出来るかが。違うか? ……あと砂糖いるか?」
死神はピクっと眉を揺らす。
「そうだね。キミたちみたいに目標を立てるのであれば、私は『普通に生きたい』だけ。殺さなくていいのなら殺さない。でも殺すしか生きる術を知らない。……欲しい」
「分かった。俺たちはお前が『普通』の日常を送れるように手伝う。お前は俺たちの『殺し屋の解体』を手伝う。これで交渉成立だな」
「うん、良い。それで」
死神と握手をしたことで、この交渉は成立に終わった。……と思いきや。
「あ、あと一つ、条件がある」
「……成立した後に付け足すのは卑怯だが?」
「簡単なこと」
しばらく見交わしていた楓と死神だったが、楓はため息を溢して続きを促す。
「死神、じゃなくて日和って呼んで。あと『お前』は禁止。怖いから」
「「「…………え?」」」
恐ろしい異名からは想像も出来ない可愛らしい条件に、三人はしばらく状況を掴めなかった。しかし、やがて柔らかな笑みがリビングに溢れるのだった。
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