第一話 死神の情報
「……胡桃か。調子はどうだ?」
花澄高校の屋上に揺れる二つの影の正体は、花澄高校の三年に在籍する天瀬楓。そして、その妹の胡桃だった。
「全然ダメです。目撃情報が一切ありません。情報屋とて、情報の仕入れ先が無ければ情報は売れません」
「そうか。やっぱり一筋縄ではいかないよなぁ……」
死神。それが今、楓と胡桃の探し求めている人物であり、楓たちの作戦に大きく影響を及ぼす人物であった。
死神に関して、現時点で確定している事は三つ。殺し屋の御三家、夕凪家の生き残りであること。つまり、殺し屋であること。楓と同い年くらいの少女であること。そして幼少期の彼女の容姿。
楓たちは前に一度だけ、彼女が「死神」と言う異名を持つより前に、遠目越しに見たことがあるのだ。まだ殺し屋としても、人としても幼かった頃の話だ。
「ですが……。やっとここまで来たんですから。諦めるわけにはいきません」
胡桃は揺るがない瞳で楓の目をジッと見つめる。胡桃の決意、或いは覚悟のようなものを読み取った楓は、胡桃の気持ちを汲み取ってその目を見つめ返す。
「当然だ。俺たちに諦めるなんて選択肢を選ぶ権利はない」
冬の凍てつく風が二人を嘲笑するかのように吹きつける。楓は制服の上に羽織ったロングコートのフードを深々と被って、改めて胡桃と見交わす。
「何が何でも成し遂げるぞ。俺らはもう後戻り出来ない所まで足を突っ込んでいる」
「当然です。絶対に死神を見つけ出してみせますから。兄さんは仕事に備えておいて下さい」
数秒後、屋上に揺れていた二つの影は煙のように姿を消していた。
───
「で、ここでチェバの定理を使えば自ずと解が導かれる、というわけだ。まぁ、応用問題だ。難関大学を目指す者は覚えておけ」
……眠い。
木曜日の七限、教科は数学。楓は既に疲労が溜まりに溜まって、まともな思考が出来ずにいた。楓にとって「学生」は言わば副業のようなもの。しかし、それでも本職の方に活かせる日が来る、と信じて真面目に「学生」として学校生活を全うしていた。
……と言っても学校に来れるのは一か月に数回だけど。
無意識の内に、黒板を見ていたはずの目蓋は閉じ、上げていたはずの顔は下を向いていた事に気付いたのは頭上から深く、重厚な響きの声が降り注がれてからだった。
「天瀬、来い」
「……はい」
視線を上げると、体躯の良い数学教師、綾柳宗一郎が獲物を捕らえた猛獣のような目で楓を見下ろしていた。周りから疎らに笑い声が聞こえてくる。
笑うならもっと派手に笑ってくれ……。
この何とも言えない雰囲気が一番気まずいのだ。
いそいそと綾柳の背を追いかける楓を傍から見れば、廊下で怒られる生徒、なのだろうが、楓は綾柳の狙いを薄々理解していた。
「今、この瞬間に死神が見つかればどうするつもりだ。学生として励むのは構わないが、本来の役目が全う出来なくなるような事がないように適度にサボれ」
廊下に出て少し歩いたタイミングで振り返ることなく注意を促してくる綾柳。
「とても教師の発言とは思えないね」
「俺もこれは副業、いや趣味みたいなものだからな。お前の成績なんてどうでも良い」
そう言って数学教師、改め情報屋の護衛は鋭い眼差しを楓に向ける。
「とりあえず今は寝ろ。そしていつ、どこで戦いになっても良いように備えろ」
「言っておくが、死神を見つけ出して殺し合いをするわけじゃない。あくまで交渉だ」
「交渉が失敗したらどうするつもりだ?」
ギロッと睨みを利かせる綾柳に肩をすくめる楓。とても生徒に向けて良い顔ではないが、誰も見ていないので良しとしよう。
「その時はその時さ」
「その時に疲れていたら死ぬぞ、と言う警告だ」
「俺が死神に負けるとでも?」
「正直、お前が膝をつく所は想像が出来ない。が、それはお前が本気を出した場合の話だ。いつも通り、手を抜くつもりだろう?」
「交渉する相手より優位に立つのはご法度だからな」
「……とりあえず今は黙って寝ろ」
綾柳は大きくため息を溢して保健室の扉を開けた。
「まぁ、疲労が溜まってるのは嘘偽りのない真実。素直に礼を言うよ。ありがとう」
「……今は教師と生徒だが」
「ええ……。さっきまで普通にタメ語だったのに……」
楓は「ありがとうございまーす」と敬意のない敬語で感謝を伝えてから、綾柳が枕元に置いて行ったペットボトルのお茶で喉を潤して横になった。
本当にどうするか……。死神の場所さえ分かれば作戦の七割はクリアしたと言っても過言ではない。もう少し……。
横になってからも暫く考え事をしていた楓だったが、数分もしないうちに深い眠りへと落ちていったようで、すーっ、すーっ、と一定の感覚で寝息を溢していた。
───
「情報によると死神は日和と言う名の少女。この国の北部を主な拠点としてるけど今はここ南東部に仮拠点を設けているらしい」
同日、夜。花澄高校の屋上に集った三人はこれからの命運を賭けた会議を開いていた。
「本当に信用できる情報なのか? 昨晩まで有力な情報はゼロだったんだろ? あまりにも唐突すぎる収穫量じゃないか」
「……綾柳さん」
胡桃は綾柳に一瞥を与えて楓の最もな疑問の解消を促す。
「この情報は胡桃ではなく俺が代理で購入した情報だ」
「……なぜ綾柳に情報屋の代理が務まると知っているのか」
綾柳が裏の人間であることは裏の住人でさえ把握していない者が殆どのはずだ。
「……なるほど、また仕事が増えたってことか」
「死神の対処後はそっちも調べないといけない。流石にそれまでお前に任せる訳にはいかない。こっちはオレが探りを入れておこう」
「……いや、止めておけ。とりあえず今は放置だ。但し、情報が事実と異なれば即座に処理する」
「その前に兄さんは一旦休息を取るべきです」
「バカ言うな。綾柳の正体を知っているんだぞ。お前の存在がバレていても不思議ではない。と言うか十中八九バレてるだろ、コレ。それなのに呑気に休んでられるか」
「…………」
しばらく見交わしていた楓と胡桃の二人の間にピリピリとした空気が周囲に漂う。
カラメル色のロングヘアが風に舞い、桃色の瞳が夜空の星を反射する。
しばらくの沈黙の後、先に動いたのは胡桃だった。
胡桃は楓の背後に素早く回り込み、鋭い蹴りを放つ。その蹴りは風を切り裂き、楓を強制的に後退させるほどの威力を持ち合わせていた。
「……っ」
二度目の蹴りにはギリギリで対応が間に合った楓はカウンターの回し蹴りを繰り出すも、綾柳に容易く足の自由を奪われる。
「少しは成長したな、二人とも」
「教師に対する言葉遣いではないな」
「今の俺らは学生でも教師でもない。ほら、油断すんな」
「──っ」
自由を奪われたのは右足のみ。綾柳の参戦を予想していた楓は更に回転をかけた左足による回転蹴りを綾柳の頬に打ち込む。
倒れ込む綾柳の背後に立つ影。それを認識することは出来た。しかし、明らかに疲労が溜まり鈍くなっている楓に対処できる術はない。
と、普通であれば思うだろう。
疾風の如く距離を詰め、足を軽く鳴らした胡桃の蹴りが鳩尾に入るよりも早く、楓は胡桃の動きを片手で封じていた。
「護衛だろ。護衛対象に触れさせてどうする」
胡桃に手刀を入れようとしたタイミングで再度乱入してくる綾柳。
力を抜いていたとは言え、常人であれば気絶レベルの蹴りを入れていた。しかし、綾柳はそんな過去はなかったかのように俊敏に動き回る。
「……全くの正論だ」
ジリジリと睨み合っていた二人だったが、胡桃が体を起こしたのと同時に戦闘体勢を解除する。
「相変わらずの戦闘能力ですね……。でも、いつもよも何倍も動きが鈍い」
「それはオレも同意だな。動きは遅いし攻撃にキレもない」
地面に座り込んだ楓は夜空を見晴らしながら笑う。
「心配するな。死神と殺し合うわけじゃないんだ。あくまで交渉しに行くだけだ」
「交渉に失敗したら問答無用で殺しに来るだろ」
「その時はその時だ。何とかなるだろ」
「……何を根拠に言ってるのですか。今までと違って情報がほぼゼロなんですよ? 軽い気持ちで行けば命を落とす危険性があります」
胡桃の微かに揺らいだ瞳を楓は見逃さなかった。
……まぁ、不安になるのも仕方がないか。あの死神が相手だからな。
「分かった。胡桃の作った薬を何個かだけ貰って行くことにするよ」
「……兄さんが薬を使ってくれるなんて珍しいですね。ですが、そういう事でしたら大丈夫でしょう。急いで準備します」
よほど自分の薬に自身があるんだな。……まぁ、事実とんでもない効力だけど。
殺し屋御三家の内の一つ、天瀬家に生まれた天瀬胡桃。情報屋として育てられ、天瀬家が滅んだ今も変わらず情報屋として働いているが、その傍らで薬の調合にも手を付けているのだ。
身体の強化・活性化に弱体化。猛獣すらも一滴で眠らせるほどの睡眠薬に傷薬。攻撃、防御、回復、バフ・デバフといったありとあらゆる効力をもたらす薬を調合する。それが胡桃という情報屋の姿なのだ。
確かに凄い技術であるし、便利ではあるが楓はあまり使いたくない、と言うのが本音であった。
調合室に大量にいる多種多様な虫。アイツらが使われてない事を信じるしかないなぁ……。
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