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社畜のお姉さん

社畜のお姉さんが給料日に少しだけ贅沢をする話。

作者:

 綾子はエコバックから長ネギをはみ出させながら足早に帰る。

綾子のスーツはまだ夏服。昨日はまだまだ暑いし冬服は大丈夫かなーとか思っていたのに。

そう、昨日は二十八度だったのに、今日はなんとびっくり十六度なのだ。

十月なのに二十八度だったことに驚けばいいのか、いきなりの十六度に驚けばいいのか。

綾子的には、私の自律神経のHPはゼロだと言いたい。カモン平均気温。


「へぶしっ!……うぁーい」


 おっさん臭いくしゃみをしつつ、ようやくたどり着いた我が家。

ドアを開ければ……朝方の寒さに我慢できず収納から出した毛布。それを探すため収納から取り出した何か色々な物が床に散らばっていた。

はっきり言って、ぐちゃぐちゃで汚い。

綾子はがっくりと肩を落とした。


 手洗いうがいを済ませ、スーツ姿のまま床に散らばったものを片付けという名の収納にテキトーに詰め込む!を発動した後、ようやく着替え夕飯の支度だ。

……テキトーに詰め込んだものは、週末にきちんと片づけます。たぶんきっとおそらく。

がんばれ、未来の私!と綾子は未来の自分に丸投げした。


 そして、ようやく夕飯の準備。今日は贅沢ご飯の日なのだ!

だって今日は給料日。薄給だけども、ほんの少しだけ贅沢が許される日と綾子は勝手に決めている。

今日は寒い。温かいもの食べたい。そして贅沢の日。

導き出されたメニューは、すき煮だった。


 台所に放置されていたエコバッグ。

そこから買ってきたものを取り出す。

絹ごし豆腐、白滝、長ネギ、そして牛肉様である。

牛肉は、薄給社畜には高級なのである。それがたとえアメリカ産牛肉の切り落としであっても。

本当ならこま切れの方が安価なのだが、売り切れていたので肩ロースの切り落としだ。

 下拵えに長ネギを三分の二を斜め切りに残りを輪切りにし、豆腐も六等分しておく。

白滝は下茹で不要のを買ってきたので、ざるにあけて軽く水を流すだけだ。

ここで普通なら食べやすい長さに切ったりするんだろうが、綾子はやらない。だってこれ、麺の代わりになってるから。


「ぱぱぱーん!ふらいぱーん!ぱぱぱん!ふらいぱん!ぱぱぱぱん!ふらいぱん!」


 あいらーびゅ!おいっしいすきぃ~やきっさん♪

と、おそらくメンデルスゾーンの結婚行進曲っぽいものに、今テキトーに考えただろう歌詞を付けて音痴な歌声を披露した。

誰もいないからできる事である。

悲しい事だが、綾子には致命的にセンスがない。

しかも、結婚行進曲はそこの部分しか知らないので、延々と繰り返す。歌い始めたが止め時がわからない綾子だった。

そしてどうでも良い所ではあるのだが、綾子が作っているのはすき焼きではなくすき煮である。

 

「えっと……何するんだっけ……?」


 取り出した深めのフライパンをコンロに乗せたところで、歌に気を取られ何をするか一瞬忘れた綾子。

すぐに思い出し、調味料を取り出す。歌は止めたようだ。

醤油、みりん、酒、顆粒だしだ。

目分量で醤油とみりんと顆粒だしを入れ、ほんの少しだけのお酒。

そこにワンカップ位の水を入れ、くるくる混ぜて味を見る。目分量テキトー割りしただ。

ちょっとだけ醤油を足してもう一回味見。納得いったらしい綾子は、切った具材を入れていく。


「……肉の隣に白滝ダメなんだっけ?」


 白滝の入ったざるを手に首をかしげる綾子。

ちなみにいうと迷信である。白滝には確かに凝固剤として水酸化カルシウムなどが含まれているが、肉を硬くするほどではない。

どちらかと言えば、春菊を肉の隣に置いてはいけない。春菊のカルシュウム含有量の方が白滝よりもずっと多い。

という事を、綾子は何年か前のニュース記事を読んで知っているはずなのだが、すっかり忘れ毎回白滝と肉は隣がダメなのか悩んでいる。


「まぁいいや。入れちゃえ」


 ざばーっと豪快にど真ん中に白滝を入れ、豆腐をこっちお肉はこっちと、そんなに大きくないフライパンに詰めていく。輪切りの長ネギはよけておくのを忘れてはいけない。

みちみちになったフライパンに、選んだフライパンの失敗を感じつつ見なかったことにして火をつけた。

本来なら、煮たたせた後に具材を入れていくべきなのだが、面倒くさいのでしない。多分そんなに味は変わらないと綾子は思っている。

綾子は味の細かい所は知らない。だって美味しいものは、美味しいとしかわからないので。

味の深みがどうとか奥行きが云々と聞きかじった事をしたり顔で言ったところで、心ではよくわからんが美味しいねーとしか思っていない綾子である。


 中火でコトコト煮られていく肉。

ぽこぽこと沸き立ち、具材が鍋で弾む。ふわふわといい香りが漂ってくる。


「これだけでご飯いけそう」


 ぐうぅぅ、となかなかに大きな音が鳴った。

綾子は、少し頬を染めきょろきょろと周りを見て誰もいないことを確認して、ほぅと息を吐く。

一人暮らしで誰かいる訳もないのだが、なんかこうお腹の音は恥ずかしい気がしてしまうのだ。かろうじて乙女な部分が残っているのかもしれない。


 具材にすっかり火が通り、豆腐も割りしたに漬かっている下半分が茶色に染まってきた。白滝はちょいちょい混ぜていたので全体的に茶色だ。

すかさず耐熱ガラスの保存容器を取り出す。

長ネギと白滝を半分引き上げ保存容器に移しフライパンにゆとりを作ると、肉と豆腐も半分崩れないように優しく取り出し移す。割りしたも忘れず入れておく。

粗熱が取れるまでしばし放置だ。これは大事な明日のおかずだ。明日は冷蔵庫で寝かされ味がなじんだものが食べられる。


「いっただきまー……あっふい!」


 まーの段階で大きなお口を開けていた綾子はそのまま肉を口に入れた。

熱い。熱いがうまい。

あふあふと熱を逃がしながら咀嚼する。

肉のうまみと、煮詰まってほんの少し濃くなった割りしたの味に口が満たされる。

アメリカ産牛肉は少し歯ごたえがある。

噛めば噛むほど肉のうまみがぎゅっと出てくるタイプのお肉だと綾子は思っている。

綾子は懸命に噛む。噛む。噛む。


 あぁ、三か月ぶりの牛肉様……!!


 綾子は人様には見せられないような、幸せにとろけた顔を晒していた。

幸せのままに、とろとろの長ネギを口へ。

これまた熱いが、うまい。長ネギのとろとろとと割りしたの味の組み合わせは幸せなのである。

とろとろではあるがシャキシャキの歯ごたえも残っている。

口からなくなったところで、白滝だ。ちゅるるっと麺をすするように白滝をすする。

割りしたの絡んだ白滝をもぐもぐと噛み締める。綾子は白滝はなんか噛み応えのある麺の一種だと思っている。

カロリー低いくせにこんなに美味しく染まりよってけしからんやつめ……!と、いったい何のキャラなのかよくわからないセリフが頭に浮かぶ綾子。

 そして、綾子の中では、すき煮のちょっと特別な美味しいもの。絹ごし豆腐だ。

焼き豆腐を使う家庭が多いらしいが、そんなのは知らない。綾子はすき焼きの絹ごし豆腐が好きだ。

さらにこだわるなら、半分だけ割りしたに染まった絹ごし豆腐が良い。

全体的に味が染みているとすき焼き風の味が強く豆腐のうま味が少ないような気がする。木綿や焼き豆腐だと、とぅるんとしたのど越しが楽しめない。ただし、絹ごし豆腐は気を付けないと火傷をする。

綾子なりの美味しいへのこだわりだった。


「最後の締めは、ごっはんっ!ぞーすいだぁ!」


 美味しい食事ですっかりテンションの高い綾子は、冷凍してあったご飯をほとんど具材の残らないフライパンに放り込む。

そして中火にかける。

綾子は雑炊だと思っているが、ご飯を洗っていないのでおじやである。

 ご飯が良い感じに割り下を吸い膨らんできたところで、冷蔵庫から卵を取り出しフライパンに割る。


「おうふ……温泉卵……」


カパッと割れて出てきたのは、半熟な温泉卵。

そういえば、おとといのご飯の作り置き豚丼のトッピング用に買ったけど、乗せ忘れて冷蔵庫に入れたんだっけ……と。


「まぁいいか。卵は卵」


火を止め、下ごしらえの時に切った輪切りの葱を乗せ、温泉卵を軽く崩してスプーンで軽く混ぜ合わせ一口。


「んんんっ」


 美味しい。

溶きたまごがふんわり固まっているのも良いが、白身のとぅるんの黄身がとろっとの味の違いも良い。

長ネギもしゃきしゃきと良いアクセントだ。

なにより、肉のうまみやらなにやらが溶け込んでると思われる割りしたを吸い込んだご飯。うますぎる。

うまみが溶け込んだ割りしたや煮汁にご飯を入れて、雑炊やおじやにするとなぜこんなにも美味いのか。

綾子は先ほどの肉を食べたときと同じような恍惚な表情を浮かべる。

最後の一粒まできっちりと掬い胃に収めた綾子は、ぺしんと手をたたき。


「ごちそーさまでした!」


 言って立ち上がる。

食事の間にすっかり粗熱が取れた保存容器にふたをして冷蔵庫に入れると、洗い物をするために袖をまくった。


すき煮には一味か七味かをかける方が多いですが、この間お話した方はからしをつけるそうです。

わさびのすき焼きは聞いた事があったのですが、からしは初めてでした。ちょっと試してみたいです。

牛肉の切り落としやこまは、牛しぐれ煮にして熱々のご飯に乗せて食べるのも美味しくて良いですよね。


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