前編
私は鈴木太郎。43歳。独身。サラリーマンだった。
今はいわゆる異世界のノルドライヒ王国の冒険者ギルドで裏方仕事をしている。
なぜ異世界にいるのかといえば、英雄と聖女の召喚に手違いで巻き込まれてしまったからだ。
英雄として召喚されたのは筋骨隆々で清潔感のある好青年(おそらく大学生)、聖女はいかにもお嬢様と言った感じの清楚な美少女(おそらく高校生)。すぐに引き離されたので名前などは分からない。
二人とも戸惑っていたがフードを被ったいかにも怪しい連中や貴族か王族らしき連中に取り囲まれ連れていかれた。取り残された私は、魔力も無ければスキルも持たない役立たずだったため、口封じに殺されかけたところを、その場にいた王宮魔術師のエルリッヒという人に助けてもらい、その紹介で冒険者ギルドに働くようになったのだ。
冒険者ギルドでは掃除や洗濯などの下働きをしていた。おっさんにとって肉体労働は辛いものがあったが、面倒な人付き合いもしなくていいし、物置みたいな部屋でも住み込みで三食ついているから不満はなかった。
ギルドの連中はおっかないけれども気の良い人らで、覚えが悪いうちは厳しかったが、仕事が一通りできるようになる頃には打ち解けられるようになった。
召喚された一月ほど経った頃、エルリッヒが一人でギルドにやって来た。
「やあ、タロー。久しぶりだね。……って、何をしているんだ?」
彼は私が掃き掃除をしているのに驚いたようだった。
「エルリッヒさん。お久しぶりです。結構な仕事をご紹介いただきましてありがとうございました。」
彼は不愉快そうにさらに質問してきた。
「これが私が紹介した仕事だと言っているのか?」
「ええ。掃除や洗濯などいろいろとさせて貰っています。」
「はあ……。ちょっと一緒に来てくれ。」
私は掃除の途中であると言ったが、「いいから、来るんだ」と無理矢理ギルドマスターの部屋へと連れていかれた。
「これはどうも、エルリッヒ様。わざわざご足労いただかなくとも伺いましたよ。」
ギルドマスターはエルリッヒを彼なりに丁重に迎え入れた。私が一緒なのでギョッとしたようだった。
「ギルドマスター。私がタローを紹介したのは、下男仕事をさせるためではなかったのだが、ご理解いただけていなかったようだね。」
「エルリッヒ様、どういうことで?王宮からのお使いが下男にでもせよ、とエルリッヒ様から言付かったと言っておられましたが。」
ギルドマスターは何も知らなかったようだ。
「……そうか。私はそうは言っていないのだが、そのように伝わったのならばしょうがない。」
「こいつはどうもすみませんことで。」
「いや、いいんだ。それで、タローのことなのだが、彼は読み書きや勘定が出来るし、ある程度難しい文書も理解できるのだ。」
そんなことを伝えただろうかと不審に思ったが黙っておいた。
「えっ⁉それは知りませんでした。おい、タロー、何で黙っていたんだ。」
「マスター。聞かれてもいないことを、ましてや自分のことをあれこれ申し上げる訳にはいかないじゃありませんか。」
「まあ、そうだが。ギルドにそういう人手が足りていないことはお前にだって分かっていただろう。」
「下働きで入った人間が、読み書きや勘定のような仕事をさせてくれ、なんて申し上げられませんよ。」
「ううむ。確かにお前はそういう奴だな。」
私はとくべつ謙虚なわけではない。悪目立ちして立場を失いたくないだけだ。
再びエルリッヒが口を開いた。
「さて、いまギルドマスターが言ったように、冒険者ギルドは目に一丁字もない者ばかりで、読み書きや勘定が出来る者が不足している。王宮などからの文書を理解できる者など尚更少ない。」
「エルリッヒ様の仰る通りです。」
「だから、タローを世話したのだ。」
そんなこととは知らなかった。
「左様でございましたか。」
「もう下男のようなことはさせず、裏方の仕事をさせるように。」
「はい。承知いたしました。」
「タローもそれでいいな。」
ギルドマスターの方を見ると、「はいと言え」と目で訴えてきたので、「エルリッヒ様の仰せの通りに致します」と答えた。
「よし。さて、本来の用件についてタローと話がしたい。ギルドマスターには申し訳ないが席を外してもらえるだろうか。」
応接室に、エルリッヒと二人きりになった。何を言われるのか不安で堪らなかった。
「タロー、この国には慣れたかい?」
「ええ。お蔭様で。」
「そうか。しかし、元の世界よりは暮らしにくいだろう。」
「まあ、それは仕方のないことです。慣れるほかありません。」
「いや、改めて謝りたい。わが国が申し訳なかった。」
エルリッヒは深々と私に頭を下げてきた。他の人間に見つかると面倒なので慌てて頭を上げさせる。
「どうぞ。お顔をお上げください。どうかお気になさらず。エルリッヒ様は命の恩人なのですから。」
「……、しかし、タローには本当に申し訳ないことをしたと思っているのだ。」
「あの時伺いましたが、召喚は魔術ではないのでしょう。それであれば、エルリッヒ様はその場に立ち会われただけで何もお気になさることはありません。」
「それでも術式は魔術師側でも確認しておかなければならなかったのだ。」
「そういうことは言い出したらキリがありませんから。それよりも、今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
「今日来たのは、タローにも今回の召喚の理由について話しておきたかったからだ。間もなく英雄と聖女は出発し、私も同行するから、今のうちに伝えておきたい。」
「エルリッヒ様も同行されるのですか。」
「ああ。だから私もあの場に立ち会ったのだ。」
「なるほど。そうだったのですね。」
「さて、そもそも英雄と聖女について話しておきたいのだが……」
思った以上に話が長かったので、要約すると以下のとおりである。
ノルドライヒは魔族が支配する荒野だったのが、二千年前に当時の古代帝国が魔族を封印して植民地とした。しかし、魔族の封印は数百年に一度解けてしまい、その結果、天候が不順になり、土壌が汚染され、水も穢れ、魔物が増えるのだという。
これを大災厄というそうで、一回目の大災厄のときに、最初の英雄と聖女が神によって遣わされ、魔族を再び封印し、その際に帝国から独立してできたのがノルドライヒ王国なのだそうだ。神は神殿に英雄と聖女の召喚法について教え、数百年に一度の巡りの年のたびに、英雄と聖女を召喚して、大災厄を乗り越えてきたらしい。
「ちなみになのですが、英雄と聖女の役割というのは何でしょうか。」
「英雄は魔族を封印する聖剣を使用できる唯一の存在であり、聖女は魔族の穢れを浄化できる唯一の存在なのだ。」
「そんな能力が。なるほど……、それでなんですけれども……」
「何だ?」
「その能力の行使には何か代償が必要といったことはないんですよね?」
「……。何でそんなことを聞く必要があるのだ。」
明らかにエルリッヒの表情が硬くなった。聞かれたくないことだったらしい。
「いえ、同郷の二人のことですから心配になりまして。親子ほど年も離れておりますので。」
エルリッヒは深くため息をついた。
「これは誰にも言うな。」
「は、はい。」
「代償は生命だ。魔族を封印するごとに、穢れを浄化するごとに生命を失う。」
「そ、そんな……」
「この国を守るためにはやむを得ないことなのだ。分かってくれとは言わない。」
「は、はあ……。しかし、惨い……」
「神殿の教えによれば、英雄と聖女は神の右に侍することができるようになるそうだ。」
「少なくともあの二人の願いではなさそうです……」
しばらく重い沈黙が続いた。
「エルリッヒ様、それで、英雄様と聖女様はご存知なんですか?」
「……」
「まさかとは思いますが、二人には大災厄が収まれば、再び自分たちの世界に帰ることができる、などとは仰っていないですよね。」
「……」
エルリッヒは苦しげに顔を歪めながら黙っていた。
「私に出来ることはないのでしょうか。」
「……、ない。」
「何一つですか?」
「何一つない。」
「せめて、荷物持ちでも何でもいいですから連れて行ってはいただけませんか?」
「タロー、気持ちは分かる。私だって辛いのだ。しかし、残念だが戦力にならない人間は連れて行けない。」
悔しくて仕方がなかった。別に名前も知らない二人に特に思い入れもあるはずがないけれども、それでも何も知らない若者たちが犠牲になってしまうことを知って平気ではいられなかった。いい年して涙が溢れて止められない。
「タロー……、すまない。」
「……、いえ、エルリッヒ様が悪いんじゃないですから。しかし、無念です……」
片道切符ということも知らずに、何の関係もない者たちのために二度と帰らぬ旅路を行くことになるのだ。これを無念と言わずして何を言おうか。
「大災厄はすでに始まりつつある。極北からすでに使いが来た。」
「そうですか……」
「10日以内には盛大に出征式が行われることになるだろう。」
「もう時間はないんですね。」
「ああ、二人に会っておくか?」
「……。やめておきます。お互い何も知らない方が賢明です。」
「そう言ってもらえると助かる。」
「大災厄が本格化すれば、王都も混乱することだろう。冒険者ギルドも治安維持などの御役目を仰せつかることになるから、その時はギルドマスターたちを助けてやってほしい。」
「承知しました。……エルリッヒ様」
「何だ?」
「二人のことをよろしく頼みます。無事に帰してほしいとは申しません。ですが、せめて無事に役目を果たさせてあげてください。」
「無論だ。」
エルリッヒが帰ったあと、私は顔面蒼白で立っているのもやっとだった。
ギルドマスターに「仕事は明日からでいい。今日はもう休め」と言われ、部屋に戻ってからひとしきり泣いた。
明くる日、英雄と聖女が神より遣わされたことが王宮より布告され、五日後には出征式が華々しく行われて、英雄と聖女を先頭に聖軍は極北に向って出発したのだった。
私はその姿を冒険者ギルドの外で見送ったのだが、英雄と聖女が私の存在に気づいてくれたようで、手を振ってくれた。私もゆっくりと大きく手を振り返した。二人は私の掌を見てくれたようだった。