第二章 第1話 『知識の蓄積』
「ありがとうございました!」
俺は、客の背中に頭を下げる。
暖色系の照明に照らされる室内。
あたりには、パン特有の香ばしい香りが漂っていた。
それほど広くはないが、多種多様なパンが並んだ店内には、二人ほど客の姿が見える。
外からパンが見えるように大きく作られた窓を通して、遠くに海が見える。
この町は坂道が多く、海に向かって傾斜がある形だ。
店は大きな坂の頂上の突き当りにあるため、誰にも邪魔されずに海を一望できた。
改めて、昔からやっているような生活は落ち着く。
俺は、奉星国クロワール の中央都市、エトワールの一角でパン屋を営んでいた。
-◇◆◇-
世界は、俺が知っていたよりもはるかに広かった。
こんなにも知らないことがあったのかと、ティアの部屋にある本を読んで初めて知った。
俺は自分の住んでいる国の名前すら知らなかったようだ。
俺が元々住んでいたのはミリュー王国という場所だったらしい。
最初に手に取った本は、歴史書であった。
自分の国の歴史というのは意外に面白かった。
ミリュー王国───その歴史は、精霊と共にあった。
大陸の中央に位置するミリュー王国は現在、奉星国クロワール、ガハリア帝国、魔人国ウルティス、詳細が一切不明な国、という4ヵ国と接している。
歴史書によると、はるか昔、王国は初代の王により建国された。
建国された場所はちょうど今の国の中央あたりだったとか。
栄養のない枯れた土地に建国するのは苦労したそうだが、何とか国としては成り立っていたという。
最初は小さかった国土も徐々に大きくなり、国民も増えてきたころ。王国は幾度も滅びかける。
自然の猛威、他国との衝突など、理由はさまざまであった。
国民の数は激減し、国としての体制を保てていない時期もあったという。
特に、自然の猛威が凄まじく、苛烈な乾季、長すぎる雨季、家が吹き飛ばされるほどの暴風などが王国に深い傷を刻んでいったのだ。
しかし、あることをきっかけに圧倒的な力を持った精霊が王国に手を貸すようになってくれた。
それにより、その後王国は安定した発展を遂げることができた。
そこで手を貸したのが、六大精霊──当時最も強力な力を持っていた精霊たちの内の一人だったという。
その結果、王国は経済規模、都市の規模ともに他国をはるかに凌駕するようになっていた。
………この後の歴史書のページはなぜか破かれており、読むことができなかった。
破けた、というよりも破いた、という感じのページの無くなり方だった。
歴史の流れに空白があるが、次に読めた部分で事態が動く。
王家が精霊を裏切ったのだ。
それまでは王家と精霊は良好な関係を続けていた。
お互いを尊敬していたほどだという。
そんな関係に、王家の行動によって終止符が打たれた。
結果、六大精霊の一人を亡くし、現在は五大精霊になってしまっているという。
それからは、精霊は王国、精霊によっては人間自体に敵意を持つようになり、様々な所で被害をもたらしているそうだ。
ティアによると、直近の王国が滅びかけた原因はすべて精霊のせいだという。
そういえば、王国の話をしてきてなんだが、俺が今いるのはミリュー王国ではない。
ミリュー王国と北側で接している国──クロワールである。
ティアによると、俺が拘束されていたのはミリューとクロワールの国境あたりだったらしく、ティアが俺をクロワールまで運んだらしい。
クロワールは一年のうちたった二ヵ月のみが夏期、後の十ヵ月は冬期だという。
ちょうど俺は夏期にこの国に来たようだ。
精霊と人間の間に溝が深まる中、俺のいる奉星国クロワールにおいては、精霊を信奉する宗教が浸透している。
大精霊ティアは、他の精霊に比べれば人間に寛容で、自身を信奉している人間に対しては危害を加えるどころか、恵みを与えるという。
ちょうど、ティアがクロワールを拠点としているので、そこに住む人々に宗教が浸透するのは自然と言えるだろう。
クロワールは冬の厳しい寒さなどにより、精霊の恵みがある前は死者が絶えない環境だったという。
そういった知識があれば、ティアは非常に素晴らしい精霊だと思えるが───。
「なんだよ。なんか文句あるのか」
ティアの方を見ていると、鋭い言葉が飛んでくる。
「…………俺、食べた後の皿はどうしろって言ったっけ?」
「わ、悪い悪い…………忘れてた」
実際に会った精霊がこれじゃあなぁ………。
薄い水色のワンピースを着たティアは、ソファに寝ころんだまま、手を挙げてひらひら振っている。
俺とティアは彼女が昔拠点にしていたという場所で、共に生活している。
森の奥深くだが、ティアの力のおかげであまり不自由なく暮らせていた。
食料については「捧げものだ!」とか言いながらティアが持ってくるし、少し歩けば川もあり、洗濯などもできた。
そんな生活はもう1か月ほど経とうとしているが──。
「だらしねぇ………。本当に崇められてる精霊なのか?」
ティアの皿を片付けながらため息をつく。
俺は、想像以上のティアの怠慢さに手を焼いていた。
基本、やったことはやりっぱなし。片づけは特にしない。
読んだ本は投げっぱなし、脱いだ服もその辺に脱ぎ捨てられている。
しかも掃除などの家事はほとんど俺がやっているし。
ティアにそのことを強く言っても、契約だよ、契約などと言って取り合わない。
皿を片付け、俺は部屋の奥の方にあるテーブルの前の椅子に座る。
そして、テーブルの上に置いてあった本を手に取った。
「そういえばティア、わからないところがあったんだけど」
「ん?何についての話だ?」
ティアの本を読み、分からないところを教えてもらうという事は日課のようなものだ。
というか、毎日質問攻めだ。
正直、力を分け与えてくれるなら知識ごと欲しいところだが、そうもいかないようで。
「マソ、ログ、権限………このあたりの言葉の意味が分からなくて……。本には小難しく書いてあったんだが」
「あぁ、確かに魔法に疎かったユーガには難しかったかな」
ティアはソファから起き上がり、俺の座っているテーブルの方に近づいてくる。
「嚙み砕いて説明しよう。マソ、というのは魔術を使うための源みたいなものさ。料理で言う食材だね。一方、ログ、というのは料理で言えば調理器具だ。マソを様々な形に変形させる、人間には生まれつき備わっている穴みたいなものさ。構造的にはマソの出入り口だね」
なるほど………。マソが出入りする際にログで加工される……みたいなイメージなのだろうか。
「また、権限は少し毛色が異なる。これは魔術と似て非なるものだ。」
そこでティアは言葉を切り、呼吸を整える。
「──世界の理を書き換えることのできるもの。それが権限さ。君の半不死の権限も、人間の回復速度という世の理を書き換えているわけだ」
理を………書き換える………?
なんだか仰々しいことを言っている気がするが、本当のことなのだろう。
「権限は基本的にマソを使わないが、大部分はログに付与されているものさ。まぁ、権限は魔術と違ってほとんど存在しないんだけどね」
なんとなく分かった気がする。ただ、気になる点がある。
「回復魔術は、権限じゃないのか?前にマソを使わないって言ってたよな」
そう聞くと、ティアが口の端を上げる。
「いい質問だ。ざっくりと説明しよう。難しい内容だから聞き流してもらってもかまわないが、実は回復魔術はログを通してマソを消費する。しかし、回復魔術と同じ体系の魔術をログに付与すると、マソを使わなくなるんだ。そして、ログの性質と混ざり合い、権限となるって感じかな。おおもとは同じだがね」
なんだか急に難しくなったな……。
まぁ、違うものだという事だけは分かった。
「まぁ、あとは権限は基本的に本人の意思に関係なく発動する。ユーガの権限もそうだがね」
「なるほどな………なんとなく分かったよ。ありがとうティア」
ティアには感謝している。おそらく彼女に出会わなければ俺はこういったことを何も知らずに一生を終えていたのだろう。
まだまだ、勉強しなくては。
未だに、ティアが持っている本の半分も読めていない。
いや、五分の一ぐらいか………?もっと少ないかもしれない。
「いずれはすべてを理解できるさ。頑張りたまえ」
そう言ってティアは俺から離れ、軽い足取りでソファの方に戻っていく。
「あ、そうだユーガ」
ティアは進めていた足を止めてこちらを振り返る。
振り返った顔には笑みが浮かんでいる。
「────パン屋をやれ、ユーガ」
「……………へ?」
呆けた俺の声だけが部屋の中に残響した。