第一章 第3話 『死神という救い』
どれぐらい時間がたったのだろう。
もう、しばらくの間動いていない。
広場の中心で、あおむけになったままでいる。
今自分は、生きているのだろうか。
息をしているというだけで、実際は死んでいるのではないだろうか。
何も、見なくていい。
あおむけになれば、空しか見えない。
見えなければ、無いのと同じだ。
このまま死んでしまおうか。
唐突に、それが名案に思えてくる。死にさえすればいいのか。そうすればこの現実から逃げられるのか。簡単なことじゃないかと笑えてきた。
考え得るのに飽きて、何となく、町の人との記憶を掘り起こす。
ドムさんは、始めは気難しい感じで、すごく怖かった印象だった。
しかし、毎日パンを売りに来ているのをしっかりと見ていてくれ、いつのまにか優しいおばさん、という感じになっていた。
ベストさんも、最初は見た目の衝撃が大きく、自分からはなかなか話しかけられなかった。
そんな僕を気遣ってか、ベストさんは毎日のように買いに来てくれ、
調子はどうだ…。
疲れないのか…。
と、ぶっきらぼうな感じで話しかけてくれていた。
そのうち、ドムさん達から彼が不器用な人だと聞かされて腑に落ちたのを覚えている。
それ以来、僕は彼に心を開くことができ、彼も僕に「男の仲」、というものを半強制的に分けて(?)くれていた。
他にもたくさんの人たちを思い出す。
みんなに続いて、あとは僕だけか。
「ふむ。なるほど。君は?この町の人間か?」
不意に、上から声が降ってくる。
「ぇ…………。」
「ふむ。答えるつもりは無いと?」
唐突に人間から発せられる声を聞いて反応が遅れる。
「ぁぁ、いや……、その…………。僕も何が起こっているのかわからなくて………。」
僕は慌てて立ち上がる。ずっと動いていなかったせいで体が重い。
「ふむ。答えるつもりがないという意思表示でよろしいか?」
男はこちらを見据えたまま、表情ひとつ変えずにそう言い放つ。
「ぁ、あぁ、そう、そうですね、質問………」
会話の内容を思い出す。頭の中の霧が晴れていく。
「あぁ、そうだ、この町の人間かどうかですよね。ええと……」
どの程度の深さの解答を求められているのだろうか。
ただ、相手が長い間を待ってくれなさそうなので、とりあえず口を動かす。
「すこし複雑なんですが…、この町の人たちには町の人だと認めてもらっています。なので、この町の住民です。」
そういえば、やっと人に会えたのだ。あんなにも恋しかった。
なんだかすごく久しぶりな気がした。
改めて相手を観察する。本………?を手に持っていて、高そうな茶色のベスト……?を着ている。片目にのみ眼鏡、だったか、をつけている。身長は自分よりもかなり高い。すらっとしていて、髪はすこしうねっている。
「ふむ。左様か。では。」
相手は服の内側を探りながら同じ調子で口を開く。
「あの………、僕も何がおきているかわからなくて、助けてほしいん──。」
「ふむ。話はあとでゆっくりと聞かせてもらおう。──死ぬほどに。」
そう言った瞬間、男の姿が消え、頭に鈍い衝撃が走る。
そして、視界が暗転してしまった。
***
「がぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”あ”っ、ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!」
喉が張り裂けそうなほどに叫ぶ。叫ぶことで、頭が感じる痛みを和らげる。
そんな打算をしている余裕はないのだが。
「ふむ。なかなかしぶとい模様。もう少し強度を上げよう。」
そう言うと、男は先ほどまで僕の右腕を引き裂いていたナイフを左腕に突き刺す。
「あ”あ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”う”っ!!」
そのまま、ブチブチという音を立てながら、前腕が引き裂かれていく。血があふれ出す。
そして、
「これでどうだろうか。」
そのナイフがひじのあたりまで来たところで、ナイフを押し込み、貫通させた。
「ぎ、ぁぁあぁぁぁあぁ、ぁぁあっ!!!ああ、ぁぁぁぁ!!」
痛みに思考が支配され、何もわからない。
何故、こんなことになっているのだ??
石造りの薄暗い部屋の壁に、両手両足を鎖でつながれ、中空に浮いた状態になっている。
石の壁は血に染まっていた。
「まだ、話してくれないか。これ以上時間はかけたくないのだが。」
男が血まみれのナイフを引き抜き、僕は再び鋭い痛みに絶叫する。
「は、はな、はなし……………?はな……し………?」
この男は何を言っているのだ?内容が頭に入ってこない。
「ふむ。これはダメだな。よし、リセットしようか。」
りせっと………?なんだ、それ………?
すると、部屋の入り口から仮面で顔を隠した女が入ってくる。
仮面は笑顔だが、どこか不気味な印象を受けた。
「たのむよ。まぁ、殺さんように。」
女はうなずくと、僕に掌を向ける。
そして、淡い緑の光に僕の全身が包まれ———。
「──────────っあ”ぁ!──────ぁぁ”あ”っ!!あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」
今までの比にならない苦痛が全身を襲う。
砕かれた足の骨がミシミシと音を立て、ちぎられた筋肉が蠕動する。
体がねじ切られそうな感覚を味わう。
絶叫する声さえも出なくなるほどの苦痛。
今までの人生で味わったことのない感覚。
「ぎ、ぁぁあぁぁぁぁぁ!!──────っあ”、ぁぁぁあぁぁ!!!」
永遠に思える時間が流れていく。
***
もはや、声も出なくなるだろうと思ったのだが、なぜか声は枯れなかった。
ずっと叫び続けた疲労だけが蓄積していく。
そして、ついに絶望の時間が終わりを迎える。
「………こんなもんかしら。」
女が手を下げる。それと同時に、僕の体を包んでいた緑色の光が消えた。
女はけだるそうに肩を回している。
「ふむ。上出来。さすがだ。」
傷一つない僕の体を見て男が言う。
引き裂かれた服はそのままに、体の傷は完全に消えていた。
「あんたに言われなくたって、私の腕は一級品よ。………やってることは、あいつには言えないけど。」
少し自慢げな様子の女。
が、尻すぼみに言葉が小さくなっていき、男から目線をそらす。
「ふむ。必要なこと故、誰かがせねば。少なくとも、奴がする必要はない。」
男はナイフの血をふき取りながらそう言う。
かなり陽が落ちてきて、部屋の中はかなり暗くなってきていた。
「そうよね………。それにしても、あいつ、こんなのを毎回平気な顔で耐えてるのよね。改めて考えると寒気がするわ。」
「ふむ。並の人間には不可能だろう。奴は特別。」
女が右手で左の二の腕あたりを持った格好で話す。
それに男が同意しながら、ポケットにきれいになったナイフをしまう。
「でしょうね。………さて、あんたは続きをするんでしょ。私はそういうの興味ないから、必要になったら呼んで。」
女は関心がなさそうに言い放つとこちらに一瞥をくれることもなく扉の方を向いた。
「ふむ。かしこまった。」
女が重苦しいドアを開け、部屋から出ていった。
これで、部屋にいるのは最初と同じ、男と、僕。
僕は、疲労が残る顔を上げる。
「いまの……は………。」
「ふむ。施術を受けた後でまだ話す気力があるとは。なかなかだ。」
男が感心したように言う。表面上だけのようにも見えるが。
「かいふく、まほう………?」
「ふむ。ご名答。その通り、回復魔術だ。」
先ほどよりも少し調子の上がった反応だった。本当に感心したのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。重要なのは─────。
「きん、じゅつのはず…………!!!」
「…………さすが、よく知っている。あの田舎の町の住民とは思えん。その通り、回復魔術は禁術。方法も、書物の上では誰も知らぬこととなっている。」
男は少し間をあけて応える。薄暗い部屋ではあまり表情は見えない。
「どう、して…………」
父や母、教会の牧師などからよく聞かされた話だ。
世界の禁忌───。この世界に生きる上で、絶対に犯してはならない事柄。
一つ、回復魔術の復術、利術、創述。
二つ、精霊との契約。
三つ、────。
「さぁ、これ以上の話は禁物。さて、では話してもらおうか。」
記憶を巡っていると男の声が入り込んでくる。
男はポケットから先ほどよりも大ぶりなナイフを取り出した。
「はな、し………?」
言われた記憶がなく、僕は困惑する。
「最初にも言ったろう。」
男が続ける。
「お前の町は勇者フォートの名において、全壊が決まっていたのだ。」
「は…………?ぜん、かい………?」
言われた言葉がうまく理解できない。
勇者……?全壊……?
「町の住人のうち、数人が行方不明なのだ。その居場所を吐いてもらおう。」
「なに、を……言ってる……。」
思考が熱を帯びる。
町での様子を思い出す。
ドムやベスト、キャシー、その他たくさんの人たちの無惨な死体。
つまり、こいつが。
「ふむ。答える気が無いと。」
男は全く変わらない様子で話し続ける。
「お前らが…………。お前らがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
拘束の存在を忘れ、男にとびかからんと前のめりになる。ジャラジャラと鎖が波打つ。
だが、男には届かない。
「ふむ、答える気が無いと?仕方ない。」
男は僕に近づき、先ほどの大ぶりなナイフをふとももに突き立てる。
そして、そのまま膝の方へと滑らせていく。
「ぎ、あぁぁ、あぁぁ”ぁ”!!」
痛みに脳が焼かれる。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
「答えが得られるまで、永遠にこれが続く。あまりこちらを舐めないように。」
男はナイフを太ももから抜き、切っ先を目の前に向けてくる。
「そんな……、しらな……、ぎぁぁぁぁぁぁ!!!」
文字通り、目の前に向けられたナイフを男はそのまま前進させ、僕の目を潰す。
視界が赤く染まったと思ったら、片方が暗転する。
「最悪知らなくても結構。お前を餌にしておびき出せる可能性もある。」
「なに……をいってるのか、わからない………」
全身の複数の箇所に同時に耐えがたい痛みが発生し、情報を処理しきれない。
「ゴーディ・フォミール」
「…………は」
その、名前は。
その名前だけは、知っている。
僕の、一番会いたい人。
「ふむ。やはり、聞き覚えがあるな?」
「ぐ、ぎ、っぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
腹部に刃が突き立てられる。内側の大切なものが悲鳴を上げる。
血があふれ出すのを感じる。
「早く。言え。居場所さえわかればそれでいいのだ。」
「しら、ない………!!」
居場所は、知らない。僕だって知りたい。会いたい。
助けてほしい。
助けて、父さん。
「残念だ。」
「ガっ…ぷァ」
熱い。熱い熱い熱い熱い。
息ができない。焼ける。
血が、喉からあふれてくる。
「だれ、か……誰がぁぁあぁあ!!」
小さな暗い部屋に悲痛な声が響き渡った。
***
拷問は、途中から男から他の人へと交代しながら、永遠と続いた。
回復魔術を使う女だけは毎回同じだった。
幾度死にかけただろうか。
幾度絶叫しただろうか。
幾度助けを求めただろうか。
幾度絶望しただろうか。
ずいぶん前に死ぬことは簡単、などと言ったが、なんと阿呆だったのだろうか。
死ぬことはとても辛い。
そして、簡単に死ぬことなんてできない。世界は簡単には殺してくれない。
なにより、この期に及んで、死にたくない。
子供だって知っているようなことを、初めて実感した。
石造りの部屋には小さな窓がある。鉄格子がはめてある小さな窓。
その窓から朝と夜ぐらいの判断はできた。
どれほど時間がたっただろうか。
覚えているだけでも300回以上は朝を見たと思う。
誰も、助けには来ない。
そう、確信した。誰も、頼ることはできない。
俺は、自分しか頼れないのだ。ここで死ぬわけにはいかない。
全員、殺してやる。絶対に。