第三章 第11話 『ハリボテの英雄』
凄い勢いで景色が後ろへ流れていく。
足をもつれさせながら、しかし忙しく足を動かし続ける。
どこへ向かっているのか、走っている本人にすら分からない。
とにかく、遠くへ。
見たくないもの、聞きたくないものから遠ざかる。
そう、逃げれば、何も問題無いのだ。
きっと、遠くに行けば、きっと。
走って、逃げて、逃げて───
「───うっ」
「─────」
不意に、すぐ傍からのうめき声が鼓膜を揺らす。
それと同時に手のひらから何かが滑り落ちる感覚があった。
「……え」
後ろに目を向けると、小さな女の子が転んでいる。
手をつき損ねたのか、全身が汚れてしまっていた。
少女は涙を目にいっぱいため、しかしそれを零すまいと耐えている。
ユーガはまだほんのりと温もりの残っている自分の掌を見る。
そしてそれと、女の子の小さな手とを見比べる。
「あ……そうだ、俺」
ユーガは、この子を任せられたのだ。
それで、一緒に逃げていて。
自分は繋いだ手の先のことを忘れて、走っていたのだ。
良く考えれば分かることなのだ。
三倍以上も年齢の離れた女の子が、全速力のユーガについていける訳が無い。
「何、やってんだよ俺。……立てるかい?」
ユーガは出来る限りの笑みを浮かべて跪く。
ひとまず、女の子を落ち着けなければ。
ここで彼女が機嫌を悪くしたとしても、それに対応出来る余裕は無い。
「とにかく今は隠れる場所を見つけなきゃ、か」
頭から抜けていたが、得体の知れない攻撃をしてくる敵がこの都市には潜んでいるのだ。
いつまた必死の一撃が来るかも分からない。
身を隠す場所を探すことは必須だ。
それ故に、ここでモタモタしている場合では無い。
「どうしたんだ、手を……」
しかし、差し出した手を見つめたまま、女の子は動かないままで。
焦りを滲ませ、そこまで言ったユーガは息を詰める。
「あ、れ……俺、どうなって……」
女の子の目に映ったユーガの瞳は、真っ暗だった。
光が無い、と言うよりかは、真っ暗なのだ。
まるで、光という存在がユーガの瞳に飲み込まれたかのように。
ソレイユにも指摘されたそれは、以前にも増して暗い色を灯しているような気がして。
「なん、でこんな時に」
何故こんな時に向き合い切れてこなかった自分の弱さが目に付くのか。
そんなことを気にしている場合ではないのに。
────と、
「───ッ!やべぇ!くそ、ちょっと我慢してな!」
背後の建物から炎が上がる。
ユーガは女の子を抱き抱え、走り出す。
どんなに気分が沈んでいても、命の危機には反射で体が動く。どんな思いも一旦置き去りだ。
「はっ……はっ……、良かった、無事そうで」
背中を焼かれる感覚を味わいながら、腕の中に目を落とす。なんとか女の子は無傷でいるようだ。
子供を守る、というのは言ってみれば普通の事なのかもしれない。
未来ある命に可能性を残すことは、人間以前に、生物として本能に刻まれていることなのだろう。
『──お願いします』
頭の中に、もう聞こえないはずの女性の声がこだまする。ユーガは走る速度を上げてその残穢を振り切ろうとする。
「やめてくれ……分かってるから」
ユーガにとっては、本能とか、そういうものだけでは無いのだ。
きっとこれまでに経験した絶望に蓋をして動けているの、はこの子を守るという使命感から。
それだけが、今ユーガが立ち上がれている理由なのだ。
「──こっちよ!」
以前にもこんなことがあったと、場違いな既視感を覚える。
訳も分からず無我夢中で走っていると、助けが耳に滑り込んでくる。そんな都合のいいことはそうそう起きなくて。
しかし、ユーガは迷うことなく声の方へ走っていく。
そうそう起きない事が、自分によく起きるという、都合の良い希望を信じて。
「早く!急いで!」
声の主に急かされユーガは女の子と共に扉の中へ飛び込む。
文字通り、建物の中に転がり込んだ。
ユーガ達が入るや否や、女性が重苦しい扉を閉めた。
風圧が髪を揺らし、鍵をかける軽い音が鼓膜を揺らした。
「はぁっ……はぁっ………」
ユーガは女の子を解放し、床に倒れ込む。
なんとか、なったのだろうか。
天井はところどころ汚れが目立ち、建てられてからの歴史を感じさせた。
「危なかったわねぇ、あなた」
頭の上から声が聞こえてくる。
逆さに見える女性は荒い息をつき、額に浮かぶ汗をぬぐっている。
「助かった……ありがとうござい……ってあなたはあの時の!」
「あら、その顔はパン屋のお兄ちゃんね?」
ユーガが慌てて立ち上がり、恩人に礼を述べようとすると、そこには良く見知った顔があった。
『シリウス』を開店する際に店のための建物を貸してくれた女性。名前も知らない女性に二度も、いや弾丸雨の件も含めれば三度も助けられるとは。
見知った顔を見ることが出来るのは大きい。
それだけで、ぐちゃぐちゃだった心の中がかなり静まる。根本的には解決していないのだが。
「自己紹介がまだだったわね。私はスピカ。大通りの商業通りで手芸品を売っているわ。あなたは?」
「俺はユーガって言います、えっと……パン屋やってます」
「知ってるわよぉ。それにしても変よねぇ、前々から知ってる顔なのに名前を今知るって」
そうスピカが微笑んだ。
それを見て、ユーガも少しだけ緊張が和らいだ。
彼女は強い。ユーガは率直にそう思う。
もちろん顔に滲み出ている疲労は隠せていない。実際、最後に見た時と比べると一回り老けたようにすら見える。
が、気丈に振る舞い、暗い顔は見せていない。
それが、周りの人々にとってどれだけの力になることか。
スピカはユーガの隣に目を向け、
「あなたは……フラグさんのところの娘さんね?」
そう問われた女の子は、涙をこらえた顔のままこくりと頷いた。女の子は服の裾を掴んだまま俯いている。
その様子にスピカは何があったか察したようで、
「お嬢ちゃん、あっちでお姉ちゃんたちが遊んでくれるから行きましょうね」
と、少し遠くに見える群衆の一人に手招きをする。すぐに別の女性がこちらに駆け寄ってきて、女の子を手を引いて群衆の方へ連れていってくれた。
ひとまず、女の子のことは心配しなくても良さそうだ。
「……まぁ、当然か」
しかし、遠目にも人々の中に渦巻く感情が感じ取れる。
恐怖、絶望、哀しみ。
そのどれもが、ユーガにとっても無関係ではなくて。
この状況下にあれば、誰しも抱くものなのだ。
「さて……何から聞きたいかしら?」
女の子が無事に群衆の中へと消えたのを見届けると、スピカがユーガに向き直る。
先ほどとは打って変わって真剣な顔つきのスピカ。
ユーガとしては話が速くて助かる。聡明な女性だ。ここで会えたことは幸運だろう。
「えっと……まず、ここは安全なんですかね?どこかしこも火が上がってましたが」
「今はひとまず、と言っておくわ。耐火の魔術は掛けてあるけど、それも時間の問題だと思うわ」
ユーガは「そうですか……」と言い、建物の中を眺める。
ここは『閲星教』の教会である。
大きさとしては普通の民家二つ分ほどだが、避難所として使う分にはとりあえず問題なさそうだ。
「それで……敵は?」
スピカは、ゆるゆると首を振り、「わからないわ」と答えた。
「今朝、都市での集会があったの。寒波が訪れるから注意するよう都市長が魔道具で呼びかけてたんだけど……」
その時の様子が頭に浮かんだのか、スピカはやるせない顔を浮かべて、
「その頭が、吹っ飛んだのよ。しかも、近くに怪しい人物は見当たらなかったらしいの」
「頭が……」
ユーガにも思い当たる節はあった。
先ほど自分も遭った攻撃。おそらくあれと同じものだろう。
「それで、どうなったんです?衛兵達も流石に黙っていないですよね?」
「市民は自分たちの家の中に避難、衛兵達が巡回して犯人を捜してたんだけど……」
スピカはそこで言葉を切って、呼吸を整えた。
「突然、民家が燃え出したのよ」
「燃え、だした」
ユーガの脳裏に先ほどの映像が映し出される。
石造りの建物をものともせず、燃え広がる炎。
その異質感は、より恐怖を引き立てるものであった。
「基本的にすべての家は耐火の魔術がかけられてて、火事知らずのクロワール、なんて言われてたんだけどね……それが仇になっちゃったのよ」
「仇となったって言うのは?」
「皆、火事が起こるなんて思ってなかったから、大騒ぎになって。避難の仕方なんて知らなかったのよ」
ユーガには、慣れていない火事に気が動転してしまう市民の姿が容易に想像できた。
確かに、石造りの建物に耐火の魔術。
それだけ対策されていれば避難訓練などは要らないのかもしれない。
特に、魔術の鍛錬を怠っていないクロワールの国民ならば、仮に出火しても鎮火するのも簡単なはずだ。
しかし石造りの建物ですら燃えたという事は、簡単には消火できない細工がされていたのだろう。
「火災で多くの人が犠牲になったわ。……でもそれは、一部なの。火事だけなら私たちも何とかできるわ。……もっと得体が知れないものが、この都市にいる」
「得体の、知れないもの……まさか、火事で家から逃げた人は」
「……都市長みたいに体の一部、またはほとんどが吹き飛んだのよ」
スピカは重々しく頷く。
ユーガはその様子を想像して怖気を感じる。
火の魔の手に焼かれる人々。
そして、命からがら家から脱出したと思えば、体が吹き飛ぶ。
惨状以外の何ものでもない。
ユーガは唇を血が滲むほどに強く噛んだ。
「……それで、運よくここまで逃げて来られたのが私たちって訳なのよ。ちなみに、エトワールには似たような教会があと二つあるわ。耐火の魔術が民家よりも強力だから、多分他のところも避難所として使われてると思うのよね」
淡々としたスピカの説明に、ユーガは少しだけ冷静になる。
「それは良かった。他の人たちも何と避難できているといいのですが……」
「そうねぇ……」
ユーガはパン屋を始めるにあたって世話になった顔を思い出す。
材料を分けてくれたペガ。調理用の器具を貸してくれたギウス。魔石をかなり安く提供してくれたレオ。
皆無事だと良いのだが。
「今は首都から救援が来るのを待つしかないわねぇ……間に合うといいのだけど」
「間に合う、とは?」
頬に手を当ててスピカがこぼした言葉に引っかかる。
「──寒波、よ」
「あ、そういえば……」
そういえば、そんな話があったとユーガは自分の記憶力の無さを恥じる。
「寒波はね、昔国を滅ぼしかけたこともあるぐらいなの。そんな恐ろしい寒波から、今は大魔道士様の魔術が守ってくれるのよ」
「守ってくれる、か……まぁ確かにあの感じの精霊だけど実力は確かそうだしな」
「え?何を言ってるの、実際に会ったことあるみたいな言い方して」
「あ、お気になさらず。いつもの事なので」
この辺りも適当になってしまいがちだが、一応世界の禁忌に抵触もしているのだ。気は抜かなようにしよう。
「ただね、一つだけ問題があるの」
「問題?」
ユーガの戯言を受け流したスピカは、額に手を当てため息をつく。
ユーガはその問題が、とてつもなく重要な気がして──
「ええ。大魔道士様の魔術は、魔道具に刻まれていてね、それを起動しないと使えないのよ」
「ってことは、それができないと……」
「この都市にいる全員、死ぬわ。期限は……そうねぇ、夜明けまでかしら」
ユーガが窓の外を見ると、太陽はちょうど高く上ったところだった。
そして、淡々とそう言い切るスピカの言葉を、戯言と切り捨てることは今のユーガにはできない。
ソレイユも、あのベガでさえも寒波の話をする際は真剣だった。死ぬ、ということは誇張でも何でもないのだろう。
「となると魔道具が何処にあるかが問題ですね。それはエトワールの都市内にあるんですか?」
「あそこよ。……大教会自体が、魔道具なの」
窓の外、スピカが指し示す先には大きな塔があった。
あれは確か、大教会と呼ばれるエトワールで最も大きな教会だ。
記憶によればユーガが『幻竜』に襲われ隔離されていた建物の近く。
「でも教会なら、避難した誰かが起動してくれるんじゃ?」
「私もそう願いたいけどねぇ……未だにその予兆がないことからするに、大教会は敵の手に落ちてるんじゃないかしら」
「まさか……」
最悪の予想を立てるスピカに、思わず反論したくなる。しかひ、戦略としては理にかなっている気もして。
「有り得ることよ。敵がクロワールについて詳しいのなら、尚更ね。あそこは、私たちの生命線なのよ」
「敵の目的が分からないから、何とも言えないけどね」、と付け加え、スピカは一息ついた。
「分かりました。ありがとうございます」
ユーガは顎に手を当てて思案する。
状況としては、正体不明の敵に都市が占領されたのだろう。
民家に放たれる鎮火不能の炎。全く捕捉できない攻撃の元凶。そして襲い来る寒波に対抗するため、大教会の奪還。
これらすべてに対応しなければこの都市の人々は生き残れない。
どうしたものか。このまま救援を待つしかないのか。だが、それが間に合わなかった場合、即終了だ。
何とかしたいが、ユーガ一人の力ではどうすることも──
「ねぇ、ユーガ。あなた、星国紙面に載ってた『幻竜』を倒したって言う白髪の男、じゃないかしら」
「──え?」
スピカから思わぬ発言が飛び出し、一瞬反応に遅れる。
国民の大多数が読むと言われている『星国紙面』。その情報の速さに驚愕する。もうすでにこんなに離れた都市にも話が広まっているようだ。
実際、スピカの発言を耳にした群衆が、ソレイユの名前や、ユーガの特徴を口にしている。
ざわめく群衆、そんな中、ユーガに向き合うスピカが口を開き、
「もし、そうならお願いユーガ。こんなことを若いあなたに頼むのは良くないことだって分かってる。……でも、頼れるのはあなたしか居ないの。この都市を、この美しいエトワールを救って」
「俺が……皆を……」
ユーガは、俯きスピカの目を見ることが出来ない。だって、見てしまえば閉じ込めている思いが溢れてしまう気がして。
「おう、ユーガ!聞いたぜ、お前の話」
「あ、皆さん……」
そこに居たのは、先程思いを巡らせたペガ、ギウス、レオだった。
ユーガが勝手にお人好し三銃士と呼んでいる彼らは、無事にここに避難していたのだ。
「『幻竜』をとっちめてくれたのはユーガなんだろ?すげぇぜ、若ぇのによ」
「いや、あれは俺というかソレイユが……」
「情けねぇ話だが、今頼れるのはお前しかいねぇんだ。俺っちたちも出来ることは協力する。……だからよ」
ギウスはそこで言葉を切り、いつも通り寡黙なレオといつもとは打って変わって真剣なペガと頷き合い、
「俺っちたちからも頼む。……皆を、助けてくれ」
「────」
目が、見える。
期待に満ちた、人々の目が。
スピカも、ペガも、ギウスも、レオも、他の人もみんな、ユーガに淡い希望を抱いているのだ。
しかし、肩書きだけが加算されていくユーガに、何が出来るのだろうか。
人の手を借りながら、なんとかやってきた自分に。
「だけど、これが俺のやってきたことの結果なんだもんな」
人々は縋るようにユーガを見つめている。
彼らにとってら、ユーガは言わば英雄なのだ。
そう、英雄。
すべてを救い、取りこぼさない。
あの、邪悪な勇者とは違う。
「そうだ……そうなんだよ。俺が、俺がやらなきゃ。俺ならできるんだ。これまでも、皆、救ってきたんだから!」
エトワールでの一件や魔獣騒動を思い出す。
ユーガには、完遂するだけの力がある。できるのだ。
ふと、頭の片隅に追いやっていた記憶達が浮かんでくる。
『幻竜』の討伐で切り裂かれた騎士たち。ネブや、そのほかの無残に殺された人々。そして、炎に包まれた家に置き去りにされた女性。
しかし、そのすべてに蓋をする。
「そう、そうだよ。あれは俺のせいじゃない。これからは俺の手で、全部を救いあげるんだ!」
ユーガが授かったこの異質な力を使えば、すべてを救える。
そして、ユーガはそれを実行しなけれならない。
だから──
「──分かった。任せろ!俺が、全部丸っと救ってやる!」
両手を広げ、堂々と宣言する。
そう。ユーガは、英雄になるのだ。
なに、いつもとやることは変わらない。
いつも通り、全てを救うだけだ。
あの、偽物の英雄にも見せつけてやる。
真の、英雄の姿を。
奴が築き上げてきたもの全てを否定してやる。
「やったぞ……なんとか、助かるんだ!」
「よかった……本当によかった……」
ユーガは誇らしげに、目を細めて安堵の声を漏らす群衆を見ていた。
さぁ、ここからが正念場だ。
静かに覚悟を決めながら、遠くに見える大教会を見つめる。
──群衆の中、自分を睨みつける幼い女の子の存在にも気づかずに。




