第三章 幕間
「ふぅ……」
岩のような巨躯を窮屈な椅子に収め、タレスは目の間を揉む。
昨今は仕事の量が激増している。頭が重い。
タレスが近衛騎士団長に就任して以来初めての多忙さだ。
そのため、十分な睡眠が取れないはもちろん、日々の訓練に割ける時間も少なくなっている。
合わせて、疲労が重く溜まりすぐに集中が切れてしまう。
疲労の要因は様々考えられるが、聖議会からの圧力がその一つなのは間違いない。
「ソレイユ……」
天井を見上げ、もうしばらく顔も見ていない男の名前を無意識に呟いた自分に驚く。
魔人国との関係が悪化していることがタレスの大きな負担であることは言うまでもない。
その悪化に一躍買った男が頭に浮かぶことは当然なのかもしれない。
ソレイユが近衛騎士団を去ったことは、まぎれもなく大きな損失だ。
しかし、彼の成してしまったことの収集をつけるには、これしかなかったのだ。
彼が副団長としての地位を失うことでしか、ソレイユ自身の落とし前がつけられない。
タレスは『幻竜』の殺害を実行した近衛騎士団元副団長の処分と、それがクロワールの国としての判断ではない、という内容の親書をウルティスに送った。
もちろん、クロワールとしては全力でその補填に邁進するという内容も含めた。
現在はその返答待ちなので、その件に関してタレスにできることは無い。
しかし、やるべきことはやったとしても落ち着かないのは人間の性だ。
ウルティスがどう出るかは全く予想できない。
特に、クロワールとウルティスは歴史的に見ても関係の悪い国同士なのだ。
お互いに大国故、争った場合の被害を鑑み休戦条約を結んでいるのだが、近年統治体制が変わってしまったウルティスではその条約が反故にされるのも時間の問題かもしれない。
だが、今しばらくは大丈夫なはずなのだ。
ウルティスも体制の変遷期のため、クロワールと争う余裕もないはず。
こちら側が歩み寄れば、とりあえずは拒まれないだろう。
「だから、目を向けるべきは国内、か」
机上の書類を見る。
そこには、『序列隊』の報告書が並んでいた。
『序列隊』はクロワールが誇る近衛騎士団員によって構成されている、最高戦力である。
隊は一番隊から十番隊から成り、洗練された魔法技術と戦闘能力、そして統率の取れた連携が強みである。
そんな『序列隊』は、過去に起きた戦争の際に結成されたものだ。
しかし他国と戦争をしていない今現在、『序列隊』の役割は大きく異なる。
それは、国内各地の治安維持である。
最高戦力が睨みを利かせているとあれば、中々悪事を働こうとする輩も動けない。
そういう訳で、普段ならば番号の低い五番隊以下、特にその補欠員が巡回の任に当たるのだが──
「やはり、妙だな」
詳しく報告書に目を通したタレスは眉を顰める。
以前の報告によれば、国内各地で豪商や有名貴族たちの間に不審な動きがあったと言われていた。
それに、領民たちが困窮しているとも話が入っていた。
その詳細を調べるために、タレスはわざわざ番号の高い三番や四番までも出動させた。
国存続の為なら、伝統や習慣などは関係がない。使えるものはすべて使うのだ。
結果として『序列隊』に余裕がなく、エトワールに出現した竜の対処を、首都で待機していたソレイユに任せることになってしまったのだが。
「今は起こってしまったことを悔やんでも仕方がない。妙なのは……何も、出てこなかったことだ」
各隊の報告によれば、地方の貴族や豪商たちに違法行為や国を脅かす行為、人民に被害を加える悪政などはなかったと。
しかし、だ。
むしろ、何も見つからなったというのは妙だ。
普通ならば、多少租税をちょろまかす、領民に多大な負担を強いる、などのことは横行しているはずだ。恥ずかしながら、タレスもそれを取り締まり切れていない。これからの課題でもある。
だが、何も出てこなかった、ということは意図的に何かを隠しているという事になる。
「クロワールで、何かが起こっている。水面下で、我々が気づかない何処かで。」
タレスは、本気で国を案ずる者の一人だ。
聖議会の老人たちは自らの保身に走っている者も少なくない。
それゆえ、聖議会での議決とタレス個人の思いの間で揺れ動くことも少なくない。
──しかし、タレスがやるべきことは一つ。
タレスは立ち上がり、執務室の窓から首都を眺める。執務室は『奉星城』の最上階付近にあり、首都を見渡すことができる。
タレスが為すべきこと。
それは、この国を、この美しいクロワールを守ること。
それが、己がこの地位を授かった所以なのだ。
この国を守るためなら、タレスは何だってする。
「もちろん、それが穏便な方法ならば尚更良いのだがな」
そんな淡い希望を抱くタレスを、扉が叩かれる音が現実に引き戻す。
「……なんだ、入れ」
タレスは窮屈な椅子に座り直し、訪問者を迎え入れる。
入ってきたのは、一人の新人騎士だった。残念ながらタレスはまだ名前も覚えていない。
タレスは基本的にすべての騎士の名前を憶えている。
入団初日から把握しておくのだ。
それが、タレスなりの部下たちへの敬意の表れなのだ。
しかし、多忙を極めていた最近はそのようなことをする余裕もなかった。
そんな最低限の敬意すら払えない自分に対し、タレスは小さく舌打ちする。
「何の用だ。多忙な時期は極力訪問を控えるようにと伝えてあったであろう」
やり場のない怒りを自らの内で解決させようとしたが、やはりにじみ出てしまう。
凄みを利かせてタレスに睨まれた新人騎士は「ひっ……」と言い、固まってしまう。
しまった。これでは肝心の要件が聞けないではないか。
タレスは長いため息を吐き、
「……まぁいい、気にするな。ちょうど手が空いたところだった」
それを聞いた彼は安堵の表情を浮かべ、すぐに表情を作り直す。
その引き締まった表情は騎士そのもので。
しかし、また、緊迫感も読み取れてタレスは目を細める。
彼は何か、重要なことを伝えようとしている。
彼は軽く息を整え、
「エトワール周辺の警備にあたっていた五番隊補欠部隊からの通達です。──エトワールが、魔人国ウルティスからの襲撃を受け、陥落したと」
勢いよくタレスが立ち上がり、その窮屈な椅子が音を立てて倒れたのだった。




