第二章 第7話 『パン・デ・チョコラット』
「勇者フォート、大精霊の一角に大打撃……か」
「お、なんだユーガ、星国紙面なんて読んで」
いつの間にか常連になってくれた男──ネブがカウンターに身を乗り出してくる。
「なんか気になるのが………あぁ、これか。確か、知を司る大精霊がやられたんだっけな」
男が身を乗り出したままの態勢でそう言う。
俺が読んでいる紙面、星国紙面は、クロワールで最も影響力のある、ポルックス出版社が発行しているものだ。
星国紙面には、国内から世界情勢まで、様々な情報がまとめられている。
それゆえ、星国紙面は国民の重要な情報源になっているのだ。
「そうなんですか………」
見ず知らずの精霊の話だが、ティアの顔がちらつく。
精霊が酷い目にあっている話を聞くのは心が痛む。
「まぁ、大魔道士様以外の精霊は邪悪だからな。勇者様に討伐して貰えるならありがてぇ事だよ」
男がため息をつきながらそうこぼす。
「……………ですね。勇者様、バンザーイ」
「なんだそりゃ、全然気持ちこもってねぇなぁ」
ネブが苦笑する。
ここで俺の意見を言ったとしても何にもならない。
ネブの気を悪くするのも悪手だろう。
彼は貴重な常連さんだ。
ネブによると、彼はパン自体が好きらしいが、この都市にほとんどないことに不満を覚えているそうだ。
そのため、俺の店に通ってくれている、という事らしい。
…………しかし、彼の調子に合わせたつもりだったが少々下手だったようだ。
昔からお客さんに嘘をつくのが下手なのだ。
言わない方がましだったかもしれない。
「じゃ、俺は行くわ!ありがとよ!!」
男はドアを開けて店から出て行った。
最近つけたドアベルが軽やかな音を奏でる。
店内を見渡すと、とりあえずお客さんも入っておらず、パンもほとんど売り切れたようだ。
……と言っても、客足が芳しくないので少なめに焼いているだけだが。
俺は紙面を置き、準備してあった箱を持って店の外へと出た。
◇◆◇
「さぁさ、今日だけ!!今日だけ無料で一風変わったパンが食べられるよ!」
大通りの中間点にある広場。
そこにはちょっとした人だかりができていた。
客層はバラバラで、俺の声を聴いて足を止めた人がたくさんだ。
その中には常連達の姿も見え、もちろんネブもいた。
俺は今一度大きく息を吸い込む。
「───その名も、パン・デ・チョコラット!どうぞ食べてって!!」
ここ数週間の試作の成果、パン・デ・チョコラット。
いままでにない、パンとチョコレットの組み合わせ。
俺の知る限り、パンというのはしょっぱい物である。
もちろん、ジャムを塗るという例外はあるが。
これは、なんとチョコレットをパンで包んでいる。
食べるとチョコレットがちょうど溶けるように試行錯誤した。
生地を何層にもしてサクサクにし、食感にもこだわった。
バテーの香りが鼻を抜けるようにバテーもたっぷりと使用している。
オリジナルのパンを作るのは初めてだったが、かなりの自信作だ。
「さぁさぁ!なくなる前に食べてって!!」
本当は頑張りに応じた金額を設定したいところだが、今日の目的は別にある。
とにかく注目を浴びたいのだ。
そのため、今日俺はパンを無料で配っている。
俺は客引きをし、客をさばきながらあたりを見回す。
ここで来てくれなければ俺の本来の目的がつぶれるが────
「あぁ、良かった。────ソレイユさん!!」
俺は遠くでこちらの様子をうかがっている男を見つける。
ソレイユが、あの太陽のようなオーラを消して街路樹の後ろに隠れていたのだ。
……隠れたつもりだったのだろうが、俺からは盾でバレバレだった。
ソレイユは名前を大声で呼ばれ、ビクッとした。
周りの人たちも、ソレイユ様?え?どこ?の様な反応を示し、ざわつき始める。
パンに興味のない通りすがりの人もその名を聞いて集まってきた。
意外と大事になってしまい、俺はソレイユに苦笑いを向ける。
そんなに有名人だったとは……。
いやまぁでも実質国のトップクラスの立ち位置だしな、当たり前か。
まだこの国に慣れていないため常識が身についていない。
気をつけねば。
しばしの沈黙の後、ソレイユは決心したかのようにゆったりと広場の中心へと姿を現す。
彼は前に見た時より幾分かラフな格好をしている。
防具は盾以外身に着けておらず、赤と白の上下を身に着けていた。
金のネックレスなど、アクセサリーもつけている。
普段はこのような格好をしているのだろう。
シンプルだが、どこか高貴な印象だった。
人々が俺から離れていき、人々が作る輪の中心に俺とソレイユがいる形になった。
しかし、隠れていたということは、何か理由があったのだろう。
まずは謝らなければ。
「す、すみません、配慮不足でした。お忍びで来ていたのなら申し訳………」
「一つ、もらっていいか?」
ソレイユは太陽の様な笑顔をこちらに向けてくる。
そして、俺の方に差し出された手。
助けてもらった日のソレイユの手と重なる。
「分かってるとは思うが、疑うことも仕事だからな」
「─────っ。もちろんです」
俺は予想外の言葉に固まる。
「皆さん!もらったパンはまだ食べないでくれ俺がはじめに食べてみる!!」
ソレイユが周囲の人々にそう告げる。
考えてみれば当然だ。
いきなり現れて無料でパンを配り出すなど、怪しさしかない。
パンに毒を盛った無差別殺人、なんてこともありうる。
おそらく俺のパンの安全性を確かめに来たのだろう。
ソレイユは現れてくれたが、想定していた理由とは違う理由だった。
俺は、ソレイユの気を引きたくてこのような企画をしたのだ。
俺のパンを気に入ってくれればそこに突破口が………と思っていた。
しかし、これではあまり期待できないか………。
あくまで彼は仕事で来ている。
俺は大人しくパンを手渡す。
ソレイユは受け取ったパンをまじまじと眺めている。
様々な角度から見たり、鼻に近づけ匂いを嗅いだりしている。
そして、ついに口に運ぶ。
サクリ、と軽い音がする。
ソレイユは、何かを確かめるようにゆっくりと咀嚼する。
目をつむり、ゆっくりと。
周囲の人たちも息を飲んで見守っている。
そして───────
「………………問題無いようだ。すまなかった邪魔をして。思う存分配ってくれや」
ソレイユがそう言うや否や、人々が俺の元へ我先にと集まってくる。
ソレイユ様が食べたなら!私も食べたい!のようにすごい勢いだ。
かく言うソレイユは、口をハンカチで拭いた後、手にパンを持ったまま背を向けて歩いていく。
あぁ…………失敗だったか……………。
俺はたくさんの人にもみくちゃにされながらソレイユの背中を見送る。
今回の作戦で全財産を使い果たしてしまったし、この辺りが潮時かもしれない。
一度ティアの所へ帰ろうか。
…………ん?そう言えば、普通、怪しい商売人が一人いたとして国のトップが出てくるか……?
まぁいいか。
とりあえず今は多くの人にこれを食べてもらおう。
それが俺の本来の幸せなのだから。
◇◆◇
だんだんと歩く速度が上がっていく。
なんだ、これは。
なんなんだ。これは。
ダメだ、脳が支配される。
部下に行かせず自分で偵察に行ったのが仇となった。
俺は、自身の興味に打ち勝てなかったのだ。
………大好物のチョコラットとパン、なんて組み合わせ、気になるじゃないか。
仕方がなかったのだ。
早く、宿舎が遠い。
人前で食べることはできない。
また一段階、歩く速度を上げる。
だって、そんなことしたら。
未だに舌の上を蹂躙する後味に急かされ、一刻も早く残りのパンを口に入れたい。
手の中のパンの感触が、その感情に拍車をかける。
「あぁぁ、美味すぎるのだ。このパンは」
国家の要たる『歩く要塞』は、静かに陥落し始めたのだった。