第二章 第5話 『歩く要塞』
「ええ!それは大変だ!」
「そうなのよぉ!まさか床下から前の夫が出てくるとは思わなくてねぇ」
目の前の細身の夫人が目を細める。
彼女は肩肘を持ち、頬に手を当てた格好で会計の前に立っている。
「まぁ、私にかかればなんてことなかったんだけどねぇ」
ふふふ、と笑い声を漏らす夫人。
話に満足したのか、「そろそろ行こうかしら」と言うと、彼女は会計の机の上に置いてあったパンを持っていた袋の中に入れる。
パンを詰め終えると、すぐ近くの出口のドアに近づいていく。
「今日もありがとうねぇ、おいしいパンを作ってくれるだけじゃなくて話も聞いてもらっちゃって」
ドアノブに手をかけた夫人がこちらに振り返りながら言う。
「いいんですよ!お話聞くの好きなのでまた聞かせてください!」
俺は彼女に精一杯の笑顔を見せ、愛想よく応答した。
竜の一件から色々あり、俺はなんとかパン屋を営業するところまでこぎつけた。
開店してから、かれこれ一週間ほどだ。
まだシンプルな一種類のパンしかないが、何人かは通ってくれるようになっている。
ありがたい限りだ。
いろいろ悩んだ末に、店名はシリウス、とした。
ティアのおすすめだ。
店の看板も『パン屋シリウス』というものに付け替えた。
緑色の外装に、黒を基調とした看板はよく映える。
……それにしてもこの都市は広い。
誰が有益な情報を持っているかもわからない。
そのため、情報収集は思っていたよりも大変だった。
話を聞くためには、そもそもパン屋に足を運んでもらわなくてはならない。
まして、日常会話に紛れて腕の立つ人物の話をそれとなく尋ねるのだ。
なかなかに難しい。
積極的に聞いて回って、腕っぷしを探している奇妙なパン屋、という噂が立っても嫌だしな……。
いや、むしろ腕に自身のある人が寄ってくるか……?
でも自分を過剰評価してる人たちばっかり集まる可能性もあるしな………。
などと考え、結局地道に情報集めを頑張っている。
ただ、俺はしばらくの間はある男に集中しようと決めていた。
───あのソレイユ、という男に。
聞く限り、あの男の実力は本物だろう。
まぁあんなものを見せられて疑う余地はないが。
◇◆◇
ソレイユは星奉国クロワールの『歩く要塞』と呼ばれる男らしい。
その防御力は世界中を探しても類を見ないと言われており、過去には幼いながらも魔王討伐に貢献したとのことだ。
その数々の功績から、彼は近衛騎士団の副団長をやっている男である。
しかも史上最年少らしい。
彼が持つ防具───『鬼盾マイオス』は、かつてクロワールで繫栄していた鬼族によって作られたものだという。
鬼族は武具を作ることに非常に長けた種族だったと言われており、その鬼族の作った物の中でも、突出していたのが鬼盾マイオスなのだそうだ。
鬼族はすでに絶えてしまったため、その製法はわかっていない。
防御力は絶大で、歴史上鬼盾を貫いた攻撃は存在しないと言われている。
他にも鬼盾マイオスには、堕ちてくる星を止めた、など様々な逸話がある。
世界が滅んでも鬼盾だけは形を保つ、とすら言われている。
本当かどうかはわからないが。
しかしそんな盾だからこそ、使い手を選ぶ。
選ばれなかったものは持ち上げることすらできないという。
しかも、世界で同時にマイオスの所有者になれる者は一人だけ。
そんな中、マイオスに選ばれたのがソレイユなのだ。
最強の盾を使いこなせるのはあの男のみ。
勇者一行を討伐するためにもソレイユは欲しい。
──そこで問題になるのがソレイユの立場、そして彼の性質だ。
クロワールは精霊ティア──この国では大魔導士をトップとしているため、実は権力を持った王家は存在しない。
王の座は空席だという。
そのため、この国では実質的な権力は近衛騎士団団長にある。
つまり、副団長のソレイユもそれなりの立ち位置にあるということだ。
ソレイユは現在竜の対処で派遣された一行のリーダーをしているらしい。
立場を考えれば納得できる。
また、彼が『歩く要塞』と呼ばれる所以は単に戦闘の際の防御力のためだけではない。
彼は、自分の信念にまっすぐ、悪い言い方をすれば頑固なのだという。
他国のスパイの女性に言い寄られた際にも、一切国の機密は漏らさず、まったく心を開かなかった。
また、国有数の富豪に大金を積まれ、近衛をやめて護衛をやってほしいと頼まれた際にも断固として受け入れなかったと聞いた。
彼は、クロワールを守る、という信念からぶれない。
まさに、鉄壁の心の要塞なのだ。
しかし、どうやってソレイユに近づくか……………。
彼がまた首都に帰ってしまう前に交渉できればいいが……。
俺が頭を悩ませていると、入り口のドアが開いた。
「ごめんねぇ、すっかり忘れてたわぁ!聞いておいたわよぉ────チョコ、ですって」
先ほどの夫人がドアの隙間から顔をのぞかせ、そう告げた。
────願ってもない情報だ。
俺はレジに置いてあった貨幣をつかみとり鞄の中に突っ込む。
そして勢いそのままに店を出る。
ドアにかかった「商い中」の札を「閉店」に裏返して走って坂を下りていく。
俺の勢いに、店の前にいた夫人は目を丸くしている。
「びっくりさせてごめんなさい!情報ありがとうございます!」
俺は走りながら、振り返り夫人に感謝を告げる。
「よくわからないけど、頑張ってねぇ!」
背中に夫人が声援を送ってくれている。
俺は夫人の声を聴きながら、再び正面を向き、地面を蹴る。
そして、誰に向けるでもなく独り言つ。
「────要塞を、陥落させます。俺のパンで」
◇◆◇
『勝手な行動は慎むようにと釘を刺したはずだ』
「それは………そうだけど──」
『どんな事情があろうと感情で動くな。お前の行動で国家が危険にさらされるのだ』
薄暗い部屋の中、窓から差し込む光だけがあたりを照らしている。
広さは一人で生活するには十分すぎるほどだ。
普段はほとんど使われないのだろう、家具等はとてもきれいだ。
そんな部屋の中、ソレイユは唇を噛む。
部屋には低く、すごみのある声が響いている。
「御意、団長。今後は起こらねぇ」
『………こちらからの次の指示を待て。以上だ』
桶の水面に映っていた顔に大きな傷のある男が消える。
世界でこの国でしか使われないという魔道具を使った通信が終わったのだ。
瓶に入った液体を垂らせば水面を通じて国内どこでも会話ができるという優れもの。
大魔導士様からの恵みの一つである。
ソレイユはため息をつき、ベッドに飛び込む。
……………どうすればいいんだ。
自分の立場と、自分の感情との葛藤。
やはり、自分に副団長は早すぎたのだ。
とにかく、今は国の方針に従わざるを得ない。
ふと、机の上の瓶が目に入る。
「あ…………こぼしたら怒られちまう」
彼は立ち上がり、机の方へと近づいていく。
ソレイユは細長い瓶の蓋を閉めた。