第65話 占い結果
イドの笑い声はウェスの後ろ髪を引いた。今奴に止めをさせないのが口惜しかった。しかし、イドの言った《輪廻石》というものには、イドを殺すこと以上に重要なものを感じたのだ。そもそも、石がどんなものかすら彼には分かっていなかったが、『北へ向かい、極寒の監獄の中で炎を掴み、奪い取れ』というフォトナの占いが引っ掛かる。『北へ向かい』というのは北門のこと。『極寒の牢獄』は現在の状態でわかる通り。『炎を掴み』の意味はまだ分からなかったが、『奪い取れ』というのは恐らくその『石』を奪い取れということになるのだろう。
彼にとっての最優先はクルリであり、それ以外のなにものもその上を行くことはない。
彼は気付いていたのだろうか。いや、気付いてはいないだろう。すべて無意識の下での心理だったのだから。
死霊使いは北門の方へ走っていた。その後ろをウェスは追っている。
前に佇む山のような巨体、ブラッドゴーレム。周囲に怪物や、それと戦っている者たちがちらほら見えはじめた。リスタニア一番の激戦区へ足を踏み入れたのだ。数は明らかに怪物達の方が勝っているようだが、人もそれ以上の力で戦っている。戦況は拮抗していた。いや、むしろ押されているように見える。数で負けているのは大きい。いずれ押し込まれてしまうだろう。これをひっくり返すためには、あの巨体を落とす他ないだろう。
だが、今のウェスはそれに構っている余裕はない。死霊使いを追い、その先にある石を奪い取らなければならない。ウェスはゴーレムの横をすり抜けていった。
死霊使いを追ううち、北門へとやってきた。門は崩壊しており、そこから怪物たちが街中へ侵攻している。死霊使いはその怪物たちを魔術でねじ伏せながら進んでいった。ウェスも自分に向かってくる怪物たちを切り捨てながら進む。
「見つけたぞ…!」
死霊使いがその掠れた声を荒げる。
周囲は瓦礫の山。いったい何処に何があるというのか。
死霊使いは瓦礫を退け、中から何かを引きずり出している。
それは紅髪の女だった。
「王宮魔術士! イグナ・ヤッケンハイム…!」
すると、死霊使いの腕が燃え始めた。死霊使いは声をあげながら手を離し、炎を振り払った。
「さて、僕は安全な場所から君たちを葬ろうか」
「貴様は…!」
死霊使いが短剣を抜く。《悔恨刀》と呼ばれるものだ。殺した者を強制的に従える一方的な契約剣だと、東の霊能士は言っていた。ウェスもその剣には痛い目を見せられたのでよく覚えている。
「こうも簡単にいくとはね。やはり目的を持った者は動かしやすい。ははは!」
「狡猾な…」
「僕に止めを刺さず石を探しに行ったのは君達のミスだ。それに、僕は嘘もついていない。確かに石はこの女に持たせてある。そんなこと言われる筋合いは無いね」
死霊使いの殺意のこもった視線がイグナを貫く。
「うーん、怖いねぇ」
「お前は、イドなのか?」
「ああ、僕はイド・イドレインさ。いつかに君を乗っ取ったものと同じ力で僕はここにいる」
ウェスは拳を強く握った。
「さて、黙ってるウェストール・ウルハインド。君はどちらに味方するのかな? 僕か、それともオルターか」
ウェスにとってはどちらも敵である。
「聞くまでもないだろ」
「はははっ! 当然か! だが、石は何があっても渡さないよ!」
「石って、これのことかしら?」
全く予期していなかった声に三人は驚き、周囲を探した。すると瓦礫の上に一人の女が立っているのが見つかった。
「シェーラ! 逃げたんじゃなかったのか?!」
いつの間にか姿を眩ましていたのでウェスはシェーラが逃げたものだと思い込んでいた。
「まぁ、逃げてもよかったんだけど。ウェストールの目から逃れられるって条件はなかなか美味しいし。というか、ぶっちゃけ掘り出し物はないかと探ってただけなんだけどね。それに何? この石って今重要な位置にあるのかしら。綺麗だったからその女からひっぺがしたんだけど」
イグナが自分の体をまさぐった。ポケット、懐、物が入るところは全部だ。そして最終的に、シェーラを睨んだ。
どうやら当たりのようだ。
「この泥棒猫がぁっ!!」
イグナが瞬時にシェーラとの間合いを詰め、力任せに蹴りを放った。身体強化された状態での蹴りだ。シェーラは簡単に吹き飛んだ。
「その石はあの方の物! 何人たりとも触れることは許さない!」
あのいつも落ち着き払ったような、人の裏をかいて喜ぶようなイドからは想像できないほどの取り乱し様だった。
「いったたた…。ゲホッ…。何よあの女…。なんて馬鹿力なのよ」
「クソッ垂れ猫女! 貴様は灰にして殺してやる! 『炎、熱波、弾』」
炎の玉が形成される。
『スカーレットストライク!』
「石は私がもらう…!」
炎の玉がシェーラに向かって飛んでいく。
シェーラも状況は把握できていなかったが、自分が今とても危険であるということはすぐにわかった。自身が石を手にすることによって、石を求める三人のうち二人に彼女は狙われることになったのだ。炎を目の前にして、今更ながら彼女は自分の軽率な行動に後悔した。
―バシュッ!
シェーラが目を瞑ると、何かが弾けるような音がして、迫っていた炎の熱気が消えていた。
「ちょうど二対二だ」
ウェスがシェーラと二人の間に立った。
「シェーラ、お前はまだ味方だな?」
「…味方の方がいいわよね?」
「そうだな」
これでウェスは背中を気にせずに戦える。
「退け! ウェストール・ウルハインド!」
―キィン!
ウェスはイグナの拳を剣で受け止めたのだが、拳と剣がぶつかったとは思えないような音が響き、武器屋から拝借した剣はポッキリと折れてしまった。
ほぼ柄だけになってしまった剣。ウェスの頬に冷や汗が流れた。
イグナが剣を折ったのとは反対の腕で拳打を繰り出す。それはウェスの鳩尾をとらえた。ウェスは腹部を抱え崩れる。
イグナにとっては絶好の機会のはずだったが、なぜかウェスを殴った拳を見ながら首を傾げていた。身体強化状態からの拳打。相手が吹っ飛ばない筈はない。それがその場に崩れただけなのが不思議なようだった。
「ああ、フェイリアか。…まあいい。それより猫女。石を―」
拳から見直り、シェーラの方を向いたとき、イグナの頬に銀が掠め、つうっと赤い線が引かれた。
「オ、オルター!」
「現状、お前が一番厄介だ…」
「っち、どいつもこいつも! 敵ばかりで困る!」
「そういう生き方をしているのだろ…?」
「シェーラ! そいつを持って逃げろ!」
シェーラは頷き、三人に背を向けて走り出した。
「逃がすものか!」
イグナが素早くシェーラの行く手を塞いだ。シェーラは舌打ちしながら体の向きを変え、イグナの横をすり抜けた。が、彼女の体は小さな衝撃とともにストップする。イグナがシェーラの襟首を掴んでいたのだ。
「逃がさないと言ったろう?」
「離せ!」
と言ってもイグナがその手を離すはずもなく、シェーラの手に握られていた石は強引に奪われてしまった。
「ふん。これでいい」
「待て…」
「なんだオルター・アベルト。これ以上面倒なことを増やさないでほしいんだけどね」
「その宿主の娘もお前自身も随分と消耗しているようだな…」
イグナの眉がピクリと動く。
「…何が言いたい?」
―りぃん…
鈴の音。
「その体力、すべて削がせてもらう…」
ぼんやりとした薄い煙のようなものが死霊使いの後ろからいくつも現れた。
「ふん、死霊か。芸がないね」
「私はこの一芸にすべての力をそそいでいる…」
「だが、本体さえ倒してしまえばどうと言うことはない。…今、動けないんじゃないかな? オルター・アベルト」
焦りからか死霊使いは多くの死霊を呼び出していた。少量であれば、霊と本体と同時に動くことが可能だが、マジックスポットに接続していたときとは違い、今回は術者のみの魔力で操らなければならない。それは多大な集中力を要する。つまり、本体は動けないか、せいぜい鈍く動けるかというところだ。事実、死霊使いは動けない状態にあった。しかし彼が、この術のみを極めてきた彼がこのようなミスを犯すだろうか。
イグナの炎を纏った攻撃。
並の者でなくとも吹き飛ぶ攻撃だ。
しかし、その一撃は死霊使いを吹き飛ばすことはなかった。それ以前に別のものに当たって止まってしまった。
イグナは奥歯を噛み締める。
「ウェストール・ウルハインド…!」
ウェスの手がイグナの拳をしっかりと掴んでいた。
「最初からこうすればよかったんだ」
魔術を無効化する。
そうすればイグナの身体強化も消える。イグナの身体強化についてはウェス自身は知らなかったが、ウェスを殴ったときの彼女の言葉でピンときたのだった。
ただの強いパンチに成り下がったイグナの攻撃を受け止め、ウェスは結果的に死霊使いを護ったことになる。恐らく死霊使いはこれを読んでいたのだろう。方法はどうあれ、ウェスも敵の消耗は願ってもないことであったので、こうなるのは必然だったのだろう。
「利用できるものは、利用せねばな…」
死霊使いは小さく呟いた。
「くっ…、離せ! ウェストール・ウルハインド!」
ウェスはイグナの拳を離さなかった。
今まさに、彼は炎を掴んだ状態にある。
「離せぇっ!」
いくら暴れてもウェスは手を離さなかった。
「クソッ垂れがぁっ!!」
ウェスはイグナから石を奪い取った。
フォトナの占いが実現された瞬間だった。
「これが…《輪廻石》」
「ひは、けははは! 分かった、簡単なことじゃないか!」
イグナが奇っ怪な笑い声をあげる。
「貴様ら全員潰れろ! 石はその後で回収してやる!」
ズドンという大きな足音。
「好きなだけ暴れろ。古代兵器!!」
地面が大きく揺らいだ。