第59話 あちらからこちらにそちらからこちらに
ごった返すよ!
「まったく馬鹿げた火力じゃな」
「ハゲはどうしたんだ? こいつと一緒に行動してたんじゃねえのか?」
「知らぬわ。じゃが、まずい状況じゃぞ」
「ああ、下の奴らじゃあの人形は抑えきれねぇ」
「それでワシらは紅蓮のの相手か。ちと厳しいものがあるのぅ」
紅蓮爆姫と二つ名を冠するイグナ・ヤッケンハイム。彼女は自らの炎を以て、身体強化をすることができる。強化状態の彼女は、王宮魔術師の中では事実上最強。ただ、頭が少々弱いのでそれとは限らないのだが…、老体のガルバント、自称後方支援型のセレッソにとっては分の悪い相手である。
「イグナ! なんで俺達に攻撃する。敵は向こう、あの土人形だぜ?」
「…………」
イグナは答えない。
立っているのが不思議なくらいフラフラと体を揺らしていた。
「聞く耳持たねぇか?」
イグナの体がピタリと止まる。
「ぐっ…!」
セレッソの体が浮いた。
彼の後ろには熱気を纏ったイグナの姿。火の粉がパチパチと舞い、その姿は静かに燃える炎のようであった。
セレッソは門の端まで吹き飛ばされ転がった。
「本気なのか…、紅蓮の…?」
「…………」
ガルバントは拳を強く握った。
『母なる大地は、常に―』
ガルバントが詠唱を始めると、イグナはすぐさま彼の腹に抉るような拳の一撃を見舞う。しかし、ガルバントの老体は吹き飛ぶことなく、そこに留まった。
『常に力強く…!』
彼は痛みに構うことなく詠唱を完了させる。
「少し痛いが、主の一撃よりはマシじゃろう…」
そして彼の鳩尾を打っているイグナの腕を掴み。
『グラカラーラ!』
魔術を発動させる。
イグナを掴んでいない方のガルバントの腕がサラサラと崩れる。それは土だった。土は粉のように空気中に舞い、二人を取り囲む。そして音。地震のような強烈な音が広がった。さらに衝撃。体に直接送り込まれる衝撃には強化されたイグナの体さえ耐えきれない。身体中が裂け、そこから血液が吹き出した。
「ワシの力を侮っておるのか?」
「…………」
「ワシの半分も生きとらん小娘が嘗めるな!」
イグナはグッタリと倒れこんだ。
「…ふぅ、内臓を幾つかやられてしもうたか…」
「ジ、ジジィ!」
吹っ飛んでいたセレッソが叫ぶ。
「なん―」
「避けろっ!!」
ガルバントが振り返ると同時に、彼の体を巨大な炎が包み込んだ。
その向こうには掌を翳し、自らの血液で真っ赤に染まった赤髪の女の姿があった。
「イグナァァァァァ!!」
***
グリムヘイア、駅。
「リリア様。住民の避難はこの列車で完了です」
エイサンがリリアに報告した。
「思ったより早く済みましたね」
「はい。列車がうまく機能しましたので」
鉄道は多くの人々を運び、安全な場所へとつれていった。
「近くの街に避難した一団も、無事に到着したと報告があります」
「分かりました。ですが、避難はまだ完全に完了してませんよ。まだ残っている人も居るかもしれませんし…。最後まで気を抜かずにお願いします。私は北門の方へ援護に向かいます」
「はっ!」
リリアは駅を文字通り飛び出した。が、風を切ると寒さが堪えるのですぐに着地し、走り出す。
彼女には心配事があった。父、母、そして兄。避難していく人々の中に、彼女の家族の姿は一人も見当たらなかったのだ。
妙な胸騒ぎを覚えつつ、彼女は魔石灯の灯った街中を駆け抜ける。周囲には誰一人居ない。あるのは異常な寒波と静けさ、そして不思議とどこか重なる風景。それらすべてが何故か不快に感じられる。
様々な不安を抱え、リリアはふと横目に写ったそれに目を奪われた。
道の一角にあり得ないほど大きな水溜まり。いや、血堪りがあったのだ。それは怪我と言う程度のものではない。確実に命を取り止めることのない、深く刻まれた死という傷の跡だ。
しかし、そこに死を迎えたはずものはなく。ただ、その痕跡が残るばかりである。
リリアはその血堪りに近づいた。鉄臭く生臭い、赤い赤い液体。彼女はその液体を触る。指先についたその血はまだ乾いていない。新しいものだ。彼女は指についた血液をペロリと舐めとった。
「…………………………………………………………………………………………………………………兄さん」
ミラクル。
血の通った兄妹の為せる業…、否、彼女の変態性がある種の限界点を突破した瞬間であった。
リリアはキョロキョロと周囲を見渡し、それを見つけた。
青い糸屑。
赤茶けてしまっているが、間違いなく彼女の兄のマフラーのものだ。引き合う特性を利用すれば、持ち主の元へたどり着けるはずである。
リリアは兄が心配だった。
夥しい血を流し、本来ならば生きているはずもない怪我を負い(と、リリアは推測する)つつも動いている。ここで何か重大なことが起きたのは確実だ。それが何かも気になったが、まず彼女は兄の安否の方が心配であった。それを確認することが先決である。
掌に糸屑を乗せ、それが反応する方へ、彼女は歩を進める。
「北門へ…?」
リリアは街の北門へ走り出した。
***
「なんだ、お前」
「……………」
「攻撃しといて無視するなんていい度胸ね」
「イドの手の者か?」
「……………」
「答える気、無いみたいよ。この筋肉達磨」
北門へ向かう道中、ウェス達に攻撃を仕掛けてくる者があった。それが今彼らの目の前にいるこの筋肉質の巨大な男。無意味にポーズを取りながら、二人の前に立ちはだかっていた。
「ねぇ、ウェストール。寒い筈なのになんか暑くなってきたわ」
暑苦しいと言うのが適当だろう。
「気持ちは解る。こいつを何とかして先に進むぞ」
「了解よ、ボス」
冗談混じりに返事を返すシェーラだったが、実際ウェスは心強く思っていた。なにせ彼女の身のこなしは常人のそれを遥かに上回っている。猫人族の特徴なのだろうが、人族ではまず不可能な動きだ。
「二対一ならすぐよ」
ウェスもそう思っていた。だが、それが甘い考えだったとすぐに思い知らされるはめになった。
筋肉男に向かっていたシェーラがピタリと動きを止めた。そして目を擦るようにして、男を何度も確認している。
「どうした?」
ウェスが訊ねると。
「あんた、あれが何人見える?」
と、シェーラは筋肉男を指差した。
「一人に決まって…」
言い切りかけたところでウェスも目を擦った。
男の姿がダブって映る。疲れているのだろうか、と彼は思ったが、それが幻覚でも何でもないことがすぐにわかった。
筋肉男の後ろに筋肉男。そのまた後ろに筋肉男。その後ろも、またその後ろも、そのまた後ろも。並びも並んだ筋肉男の列。総勢九人。暑苦しいわけである。
筋肉男達は、その体に見合わぬ素早い動きで二人を取り囲んだ。
「まずくないか?」
「どう考えてもまずいわ」
「お前、一人で逃げてもいいんだぞ?」
「あら、優しいのね。その場合契約はどうなるのかしら?」
「破棄にはならない。死ねとまでは言ってないからな。まぁ、俺は一人で対処できる自信はないから、契約も無かったことになるだろうがな」
「あらあら、好条件。でも遠慮しとくわ。自分が逃げてもう一人が死ぬなんて後味が悪すぎるわ」
普段飄々としているシェーラが、珍しく真剣な声で答えた。
「…何か、あったのか?」
「デリカシーが無いわね。まぁ、答える気は更々無いけど」
「そうか。…どちらにしろ、この状況を脱しない限り聞く機会は無さそうだな」
ウェスはなんとか逃げ出せそうな隙を伺うが、どうもそんなものは無さそうだった。
『氷獣行くとこ絶氷の大地なり』
「魔術か!?」
しかし、詠唱を聞いただけで何の魔術か予測するのは難しい。魔術士であれば大体の予測はできるらしいが、生憎と魔術士は居ない。
『フロストガム』
ウェスとシェーラの足元に水溜まりが広がった。
「こ、これは!」
「ちょ、動けない…!」
足が凍りつき、地面に張り付いた。早く逃げなければ全身が凍りついてしまう。ウェスは慌てて剣を地面に突き立てた。
「あ…、違うんだった」
「は? あんた魔術斬れるんじゃなかったの?!」
「こっちだ」
ウェスは凍りついた足に手を触れた。すると凍りはただの水になる。
「こっちも何とかしなさいよ!」
「分かった」
ウェスはシェーラの足に触る。シェーラも氷から解放された。
「に、兄さん、ナニやってるんですか…?」
「リリアか! 助かった!」
「こ、公然猥褻です!」
「は…?」
「しかもそんな泥棒猫にだなんて!!」
何か勘違いをしている様子の妹。
「あら、なんか面白いことになってるわね」
「状況をよく見ろ!」
「はっ! クアクスさん?!」
ようやく解ってくれたかと落ち着くウェス。
『渦巻く獣の角にて突き上げろ!』
「ウェストール、次が来るわよ!」
「わかってる!」
『ノックアップスパイラル』
二人の足元に水が渦巻く。
「また下か!」
幸い気付くのが早かった二人は、すぐに発動された魔術から離れた。
「……………」
「は、離しなさいよ!」
二人を囲んでいた分身のクアクスがそれをさせない。ガッシリと二人の体を掴み、魔術の方へ押し戻す。巨体から絞り出される力はかなりのもので、二人はまったく抵抗できなかった。
下から突き上げる水流の渦。しかし、意外にも魔術は二人を巻き込まなかった。
水は空高く、噴水のように噴き出している。
それをきょとんと見上げていたウェスとシェーラ。
「ま、まずい!」
ウェスはそう叫ぶと、囲む肉壁を掻き分けて逃げようとする。だが、分身達はそれを押し戻す。
「イタッ!?」
シェーラの額に何かが当たり、つうっと、何かが垂れ下がってくる。
垂れ下がってきたのは血。額に当たった何かが、彼女を傷つけた。
「雹が降るぞ!」
その瞬間、バラバラと大量の氷が降り注ぐ。
突き上げた水が上空で冷えて固まり、氷となって落ちてきたのだ。
「兄さ―イタッ! こっちも攻撃範囲内?! クアクスさん、容赦ないです! イタタッ!」
リリアは一旦建物の陰に避難し、そこから降り注ぐ雹を吹き飛ばすために、魔術の詠唱を始めた。
「ようやく見つけたで! おっさん!」
「………!」
無表情だったクアクスの顔が一瞬歪む。九人のクアクスが一斉に声のした方を見た。
「面倒くさいことに巻き込まれたワイの憤りをどさくさに紛れて全部ぶつけちゃる。今、あんた敵やし、別にかまへんやろ?」
「こ、この声…」
強風が吹き荒れ、水と氷は上空から消え去った。
「お? そこに居るんはウェストールか? なんや相棒替わっとるみたいやけど」
「トトラ! どうしてここに!?」
「簡単に説明するで。そのおっさんを苛めに来たんや!」
トトラは懐から紙切れを数枚取り出すと、九人のクアクスに向かって投げ付けた。紙切れは、紙とは思えないほど綺麗に飛び、各々のクアクスにぶつかると、大きく炎をあげて燃え尽きた。
すると九人のクアクスのうち、八人が蒸発して水に変わった。
「弱点はちゃんと聞いとったからな。頭ええからな、ワイ」
「また変なのが出てきたわね」
「また変なのが出てきましたね」
シェーラとリリアは互いに離れていながら、同じようなことを呟いていた。