表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/76

第55話 イド

 高く上がった火柱を、ウェスは少し離れた場所から見上げていた。

 北門で何かが起こっている。彼はその場所へと急いだ。

 街中はまだ騒がしかったが、避難は順調に進んでいるようだった。リリアや王宮の兵士達の先導がうまくいっているのだろう。

 周囲に誰も居ない夜。

 何かに急かされ走った夜。

 これが初めてではない。

 ウェスはそんな風に感じていた。

 頭のどこかで燻っている火に、脳味噌をじわじわと焼かれていくような感覚。

 このままではよくないことが起こる。

 どうしてか解らないが、ウェスにはそんな確信があった。故に彼は足を早める。

 そんな確信が起こってしまう前に、何かできることがあるはずだと。

 だが、何ができるのか。

 あの巨大な人形に対して何ができるのか。

 何かできるのか?

 決意が疑問に変わる。

 なぜ今自分はあれに立ち向かうことを考えているのか。

 述べるなら、まさしく蟻対象。踏み潰されて死んでしまうのが落ちだろう。

 なぜそんな相手に立ち向かう必要があるのか。

 そもそも、ウェスの性格上、そんな無茶をすることは考えられなかった。


 ふと足が止まる。


 逃げてしまえばいい。

 無謀と勇気は違う。

 生きるために逃げるのだ。

 それが最善だと誰もが思うだろう。


 足が動いた。

 北へ。


 そう。

 疑問を持つことは正しい。

 だが、己が意志を曲げるほどのものではない。


「そこ行くの。止まれ」


 いつの間にか周囲には自分しか居ない。

 呼び止められているのが自分だと分かったウェスは足を止めた。

「そう。それでいい」

 声はどこからか響いてくる。その主の姿は見えない。

「誰だ?」

 当然の疑問を投げ掛けるウェス。

「忘れてしまったのかい? それもいい。だが、僕の所有物は返してほしいな。ウェストール・ウルハインド」

 ウェスの脳裏を何かが掠める。

 全てを見透かしたようなその口調。ずっと昔に聞いたひどく懐かしい声。ウェスの人生の中で、一番接した回数の少ない声。だからそう感じたのかもしれない。だが、その声の主がどんな姿をしていたのかまでは思い出せなかった。

 ウェスは自分の腰に携えた剣を見た。

 退魔の剣。

 魔術を斬る剣。

 それは人に譲ってもらったものだ。

「さあ、その剣を返してくれ」

「断る。姿を見せないような奴と話すことはない」

「…僕は、いつでも君を殺すことができる。分かるかい? 僕らは対等じゃないんだ。ウェストール・ウルハインド」

 声の主はどこからかウェスの命を狙っているようだった。

 剣の持ち主を主張するくらいだ。この剣が魔術を斬るということは知っているだろう。

 相手がどこに居るかは確認できないが、放たれるのは魔術ではない。狙うのなら、もっと物理的、直接的な攻撃のはずだ。

「だけどね、僕も無益な殺生はあまり好きじゃないんだ。…交換条件はどうだい?」

「交換条件?」

「今の君にとって、その剣よりも惜しい情報を僕は持ってる。君の連れの、あの神様のね」

 ウェスの眉がピクリと動く。

「…言ってみろ」

「剣をそこの地面に突き立てて十歩下がるんだ。話はそれからさ」

 声の言う通り、ウェスは剣を地面に突き立て、後ずさるようにして十歩下がった。

 そして暫く待ち、相手の出方を確認する。

「警戒しているようだね。…当然か。《あの時》もこんな風だった。まぁ、立場も状況も全く違ったけどね」

「《あの時》…?」

「その様子じゃ、僕のことは頭の片隅にも残っていないみたいだね。…いやいや、しょうもない昔話さ。忘れているならそれもいい」

「そんなことより…」

「ああ、そうだったね。君の大切な仲間。クルリ・クルル・クルジェス」

 声は名前まで知っていた。

「彼女はセイスト地方へ向かったよ」

「なぜだ?」

「僕が彼女に教えたからさ」

「教えた? 一体何を」

「セイスト地方、モロク谷を越え、パームリースを通り過ぎ、山を三つ越えて、森を抜け、湖のその先に《悠久の国》があるってね」

「《悠久の国》…?」

「神様の国さ。君達が神様と呼ぶ者達が暮らす国。彼女はそこへ向かった」

 何故?

 ウェスはそう問いかけようとしてやめた。

 決まっている。

 彼女が向かったのは神様の国。彼女の手がかりが無いはずがない。

「悠久の国…」

「さて、これで交渉成立だね。その剣はいただくよ」

「ま、待て!」

「待つわけないだろう?」

 地面に突き立てていた剣がフワリと浮き上がる。そしてフラフラと、ゆっくりとどこかへ向かって移動を始めた。

 だが、剣は動きを止めたかと思うとカシャンと地面に落ちた。

 ウェスは慌てて剣を拾いに向かうが、それより先に男が剣を拾い上げた。

 その横にはいつの間にか人が倒れている。

「もう少し持つかと思ったが…、これで限界か。剣のひとつも持ってこられないとは…」

 先程までの声。

 その声の主はこの男のようだ。

 ウェスより少し高いその男は、黒いマントを羽織っていた。黒い髪、目尻の下がった瞳、高い鼻に、切れ長の口。顔のパーツは各々が個性が強く、一見バランスが悪そうに思えるが、それでも顔立ちはきれいなものだった。

「剣は返してもらったよ。ウェストール・ウルハインド」

「あ、あんたは…」

「おや、僕の姿を見て思い出したかな?」

「イド…」

 男の口が大きく裂ける。三日月状に開いた口は真っ赤で、とても気味が悪い。それは綺麗な顔立ちという印象を一瞬でぶち壊すほどだった。

「そうだよ。イド。それが僕の名だ。嬉しいねぇ。そう呼んでくれる者はもう君くらいかなぁ」

「でもお前はあの時!」

「あれくらいで僕が死ぬとでも?」

「確かに確認した。お前が死んでいるのを!」

「何を以て死と見なすのか、それは人次第。君の見誤りだ」

「く…」

「それからウェストール・ウルハインド。明確な《敵》の前では隙を見せない方がいいよ」

 ウェスの体をイドの剣が貫く。

 剣はすぐに引き抜かれ、赤い液体が噴水のように噴き出した。

「ぐふっ…」

「左胸。つまるところ心臓を突いた。…即死じゃないところを見ると、逸れたかな」

「イ…ド…」

「それにしても、よく溜め込んでくれたね」

 イドは退魔の剣を惚れ惚れと見つめて呟く。

「これだけあれば十分だよ。あの方の復活はより近くなった」

 ウェスは自分の血液と共に、身体中の力が抜けていくのがわかった。

 これまで以上な寒さを感じ、彼の瞼は急に重くなる。

「ウェストール・ウルハインド。やっぱり君は邪魔なんだ。ここで退場願うよ」

 薄れ行く意識の中、気味の悪い男の笑顔がウェスの頭に焼き付いて離れなかった。






 ***






「不様だな」

 声がする。

「大丈夫。君の命はまだ途絶えていない」

 話し声が聞こえるが、彼の脳は言葉を理解しない。

「その傷を癒すにはまだまだ時間が必要だ。けれど、それを待っているだけの時間は君に残されていない」

 霞む視界に微かに映る人影。

 誰だ。

 彼の頭にそんな疑問が浮かぶが、すぐに暗闇に沈んで行く。

 浮いては沈み、沈んでは浮かぶ。穴の空いた浮き輪のように不安定で、不安な…。意識は混迷したまま、彼は何者かの言葉を聞き流す。

「君に力を貸そう」

「………」

「無言と言うことは同意と受けとる」

 何を言っているのか分からない。

「…ああ、申し遅れた。俺はククロ。ククロ・クルル・クロノス。言うなれば、時間の神様だ」

「……あ…ぅ…」

「応えなくていい。君はそのまま死なない程度にじっとしていてくれればいい」

 ククロと名乗った人影はは一息置く。

「心臓付近を貫かれ、辛うじて命はあるものの、瀕死、もしくは死ぬ直前。戦闘不能なんてレベルじゃない。先に待つのは本当の死だ。だが幸いにも俺が君を見つけた。君は幸運だ。俺が君の死までの時間を止めてやろう。その間に傷を癒すといい。…まぁ、その傷が癒えるまでは一年、いや、それ以上の時間が必要かもしれない。けれど最初に言った通り、君には時間が無い。刻一刻と時は刻まれ、無情にも流れていく。俺はその時間を止めることができる。時間の神様だからね。さてと…、話している時間も惜しい。君にとっては長時間。他の者にとっては一瞬。今と未来の狭間へ、ようこそウェストール。君の命は一時俺が預かろう。君にはクルリを助けてもらわないといけないからね」

「…う…、く、る…」

「あいつが望んでいるんだ。君に助けてほしいと」

 周囲が青い光に包まれる。

「一年は退屈だろう。だがこれまでの君を見返すいい機会になる。そのきっかけを与えてやる。いいな。そこで何を掴むかはお前次第だ」

 光はその強さを増し、すべてを青に染めていった。

「お前にしかできないんだ。ウェストール」

 そして何も見えなくなった。

「あいつを、頼む…」

 最後のククロの声は少し掠れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ