第54話 あれ
寒空の下、人々が避難の移動を始めたころ、ウェスは自宅に戻り、事の旨を両親に伝えた。
それを聞いたレプスンとニーナはすぐに支度をしてウェスの前に現れた。
「若い頃を思い出すな」
「何を暢気なことを言ってるんですか。冒険じゃないんですからね」
レプスンは若い頃トレジャーハンターとして世界を回っていた。結婚してからはその回数も減り、今では全く冒険はしていない。
「しかし、ブラッドゴーレムか。僕たちも向かった方がいいんじゃないかい?」
「そっちは気にするな。リリアがいるし、俺もいる」
「そう気張らなくていいんじゃないかい? もし家が潰れてしまっても平気さ。野宿には慣れているからね」
「あなたは慣れていても私は慣れてないわ。それに潰れないに越したことはないでしょう?」
「あーあー、分かったから早く逃げてくれ。来るなら来るでそれは任せるから。じゃあ俺は行くよ」
ウェスは両親に一度背を見せたあと、すぐに踵を返して言葉を付け足す。
「逃げるなら、南門からだぞ。北門からあいつは来てるみたいだからな」
「心配ご無用。わかってるさ。なぁニーナ」
「あなたの親を侮らない方がいいわよ」
「まったくいつまで若いつもりなんだかな…。無理はするなよ」
ウェスは今度こそ出ていった。
レプスンとニーナはそんな息子を見送る。
「大きくなったわねぇ、あの子も…」
「ああ。ウェストールの成長を十年近くも見逃したのが残念だね」
二人は大きくため息を吐いた。
「あの時は出て行くなんて考えもしなかったもの。行方不明。本当に吃驚したわ。それで数ヵ月後に手紙が一通。そのおかげで居場所は分かったけど…」
「その時はリリアも小さかった。鉄道も無かった。セイスト地方が遠い時代だったよ」
レプスンは懐から煙草を取り出し、口にくわえると火をつけた。ニーナは特に嫌がる様子も無くその姿を見つめる。
「ウェストールが産まれた日の事を憶えているかい?」
ニーナは眉を潜めた。
「ええ…、勿論。憶えていますよ」
「忌み子が産まれるとは思いもしなかったからね」
「リップリーが居なかったら、どうなっていたのかしら」
「君の友人が理解のある人で本当に良かった。彼女の助言がなければ、僕らはきっと…」
殺していた。
それが仕来たりで、風習で、忌み子の結末なのだ。
「………」
沈黙が二人の間に入り込む。冷たい空気だ。
しばらくしてレプスンが閉じていた口を開いた。
「結果的に僕らはあの子を生かした。厳しい制限こそ与えなければならなかったけどね」
「けれど良かったわ。ウェストールが居なければ、リリアもあんなにいい子に育たなかったでしょうし」
「そうだね。ウェストールは受け入れるということに関しては、誰よりも秀でている気がする。親バカの補正を除いたとしてもそう思うよ」
「ただちょっと嘘つきなのよね。…嘘をつかせざるを得なかった、というのもあるのかもしれないけれど…」
レプスンは煙草をふかす。
「君は、ウェストールが忌み子だということを気にしたことがあるかい?」
ニーナが複雑そうな表情を浮かべる。
「無い…、とは言えないわ。むしろ、気にしなかったことが無いと言ってもいいくらいよ」
「今でもかい?」
「ええ。子供を気にかけない親なんて、親失格よ」
「はは。そういう言い方もあるね」
「あの子は逆にそれを気にしていたみたいだけど…」
「分け隔てなく接していたつもりだったけど、それがあの子には特別に扱われているように思えたのかもしれないね」
「………けれど、半分の聖印が忌み子の証だなんて誰が決めたのかしら? あれがあったら一体どうなるのかしらね」
「さぁね。表に出ない話だし、ずっと以前からそんな風習があったようだから、僕らは知る由もないけれど」
レプスンは灰皿を探す。長くなったタバコの灰を落とそうと考えたのだが、近くには見つからず、ニーナに隠してこっそりと床に落とした。
「…あなた」
「な、なんだい?」
レプスンは慌てて煙草を口にくわえた。
「《あれ》、どこにいったのかしら?」
「あれ?」
灰を落とした事を咎められるかと思っていたレプスンは安心してニーナが言った《あれ》について必死に記憶を巡らせる。
「私がウェストールを身籠って、入院している間にあなたがくれた綺麗なあの石。あの子が産まれたら御守りとして持たせようと思っていたのに、いつの間にか無くなっていたあれよ」
「ああ、…あれか。最後から数えて三回目の冒険の時にどこかの遺跡から見つけてきたんだったな。どこだったかまでは憶えてないけれど」
「あの子が産まれた次の日には無くなっていたのよね」
「僕たちも舞い上がっていたからね。ふとした拍子にどこかへやってしまったのかもしれない」
「そうかしらね」
レプスンは短くなった煙草を暖炉に投げ捨てる。
「そろそろ行こうか。あまり長く居てもいいことはなさそうだからね」
***
「ブラッドゴーレムだとよ、ジジイ」
「わかっとるわ」
ガルバントとセレッソは北門の上に立ち、まだ遠いブラッドゴーレムの姿を臨んでいた。
門の下には王宮の兵士達は勿論、戦う意志を示した冒険者や賞金稼ぎ、魔術士に少数ではあるが一般市民までが、来るべき時に備えていた。
「集まったもんだな。死ぬのが怖くないのかねぇ。くくく」
セレッソは下の人々を見て笑う。
「主はどうなんじゃ?」
「怖かないね。今は夜だからな」
「…過信は禁物じゃぞ」
「シジイもな」
二人は再び前を見る。
巨体は確実に王都へ向かい歩を進めていた。
「やっぱり倒すしかないのかねぇ」
「しかしのぅ。あれは確か魔方陣の上に強力な結界が張ってあったじゃろ。破るには清浄のの逆算がほしいんじゃがな」
「ソロでは動けねぇんだろ?」
「ふむ。あやつは完璧なまでの後方支援型じゃからな」
「俺もどっちかというとそうなんだがな」
「主なら前も後ろも両方こなせるじゃろうに」
「めんどくせーし」
「はぁ…。好きにせい」
「つうかジジイ、土の使い手だろ? あの土人形は操れねぇのかよ」
「無茶を言うな。あれは直接描かれた魔方陣で動いておるんじゃぞ。いくらワシが外部から魔力を注ごうとも、直の力には及ばぬわい」
「使えねぇジジイだな」
「これでも老体に鞭打っとるんじゃ」
「その元気でよく言う」
セレッソが徐に正面へ手を翳す。
「何をするんじゃ?」
「まだ全力が出せるうちにドギツイのをお見舞いしてやるんだよ」
仮面の下で彼は笑うと、魔術の詠唱を始める。
『漆黒、魂の牢獄を覆い、蹂躙されし心、積りし悪意にて突き上げん』
「相も変わらず青臭い詠唱じゃな」
「るせぇ! こいつがしっくりくるんだ。仕方ねぇだろ?!」
「ほれ、とっとと撃たんか」
「っち…!」
セレッソは聞こえるように舌打ちした。
多少雑念が入ってしまったが、魔術の精度にはあまり影響しない。真夜中の陰魔術はそれをもうやむやに出来るほどの力を得ることができる。さらに彼が唱えた魔術は上級魔術。雑念など微々たる劣化でしか表れない。
『ネガティブピラー!』
彼がそう叫んだのと同時。ゴーレムの足元より巨大な円筒形の柱が出現した。
柱はゴーレムの右足を掬い上げ、尚も空高く伸びてゆく。
巨体が一瞬空を舞った。
支えるものが無くなったゴーレムの体は傾き、そして轟音と壮大な砂ぼこりを起こし、大地に転がった。
「あの巨体だ。起き上がるまで時間がかかるだろ。門を開けて畳み掛けるか?」
「いや…それはいかん。やつは厄介じゃ。さっき言った結界しかりじゃが…、見てみぃ」
ガルバントが指差す先。
ゴーレムの周囲で蠢く無数の何か。
「………マジかよ」
彼らは大きいものばかりに目が行って小さいものに気付いていなかった。
それは怪物達の群れ。いや、群れなどの領域を越えた、様々な怪物達の集団だった。
「これは骨が折れそうじゃな」
「避難が終わるまで門は死守か。それまでに一匹残らずぶち殺してやる」
「じゃが、それは下の者達に任せよう」
「なんでだよ」
「あのデカイのに門を壊されたら怪物どもが一気に中へ雪崩れ込む。それこそ手に追えんわい。じゃから、儂等が奴を近づかせないようにせんとな」
「つまんねー…」
セレッソが肩を落とし、ガルバントはそれを見ながら笑っている。
これでいて二人は意外と相性が良いのだ。勿論、魔術的なものではなく、性格の方である。セレッソが他の者と組めば、あっという間にケンカに発展し、連携も何もなくなってしまうのだ。その点、ガルバントは年長者の余裕とも言えるおおらかさと、いざというときに見せる有無を言わせぬ態度。それらは跳ねっ返りのセレッソとは非常によい組み合わせだった。
「…ジジイ」
「ああ、わかっとるわい」
二人は深刻な顔で口を閉じた。
周囲を警戒し、そしてそれに気付く。
次の瞬間、二人に向かって赤い閃光が一つ突き刺さる。爆発が起き、門の上部が破壊され、下にバラバラと石が落ちていった。
下に居た者達は落ちてくる石を避け、何事かと家を見上げる。
冷えた空気の中に少しの暖気が混じる。その暖気の中心には赤い髪の女が一人佇んでいた。
爆発より少し離れた場所で二人は攻撃してきたその敵を見る。
「主は…」
「ずいぶんな挨拶じゃねぇか、イグナ」
「……………」
それは確かに王宮魔術士の一人、イグナ・ヤッケンハイムであった。
しかし、彼女は虚ろな目で彼らを見つめていた。我ここにあらずといった様子でふらふらと…、ゆらゆらと…、風が吹けば倒れてしまいそうな位不安定に立っている。
そして彼女は掌を二人に向け、もごもごと口を動かす。
『獄炎、熱波、烈火』
翳していたその掌には赤い熱気が集束していく。
「何考えてんだ?!」
「馬鹿な真似はよせ!」
二人の声はまるで届かず、彼女の魔術は放たれる。
『クリムゾンロード』
巨大な火柱が上がった。