第48話 感情の神様
「あら、ウェストールにも効いちゃった? ごめんごめん」
エモがぱちんと指を鳴らすと、ウェスの心から畏れが消え去った。
自分の思いに関係なく感情を操作される。なんとも不思議な感覚であった。
「しかしどうする」
ウェスは奇形のムカデを見上げる。
「斬ってもキリがなさそうだぞ」
「でも放っておくには危険すぎるね」
二人は本当に手を上げたくなるくらいどうすればいいか分からなかった。
「ギ、ギアイィィィィ!」
二つ頭のムカデが金切り声をあげて体を捩らせる。
―バチン!
そんな音がし、ムカデはしばらく痙攣した後、ゆっくりと体を戻し、再び二人を見据える。
先程までと明らかに違う雰囲気。
「えっ! ウソッ?!」
エモが焦って武器を構えた。
「自力で解くなんて!」
二つ頭のムカデがエモに飛び掛かる。彼女はそれを跳躍して避け、鎌を振り上げた。しかし、その鎌を振り抜くことはできなかった。先程の出来事が頭を過ったのだ。これ以上敵を増やすわけにはいかないと、彼女は奥歯を噛んでムカデから離れた。
エモは辺りを見回す。
ボロ家の前に立つウェスの姿が見える。分裂したムカデと睨み合っているようで、両者に動きはない。エモはすぐにわかった。もう一匹の方はまだ恐れている。自分の術だからよくわかる。しかし、ウェスにはそれが分かっていない。ボロ家には彼の仲間がいる。故に彼はその場を離れることができないのだ。
「ギイィッ!!」
エモの前に二つ頭が立ちふさがる。
「汝、悲しみの淵へ堕ちよ!」
と、再び感情操作を行うが、二つ頭は一瞬項垂れたものの、すぐにエモに狙いを定める。
「効かないか…」
「ギギッ!!」
「それなら…!」
エモは二つ頭に向かって走り出す。後ろに逃げるとばかり思っていたムカデは驚き、一瞬ばかり反応が遅れたのだ。しかし、ムカデの体はその遅れをものともしないほど大きかった。これから攻撃に移っても、間違いなくその攻撃でエモにダメージを与えることはできるだろう。本能はそうムカデの体に情報を伝え、体を捩らせてエモへと攻撃を仕掛けた。
「汝、優しき者であらんことを!」
ムカデの心に一瞬優しさが過り、エモに攻撃することを躊躇わせた。再び動きが止まる。これもまた一瞬ではあったが、この一瞬は大きかった。
エモは完全にムカデの横を通過していた。攻撃を空振りしたムカデは体勢を建て直す時間が必要となり、さらに猶予をエモに与える結果となったのだった。
「神様の力か…」
ウェスは分離したムカデから目を離さずに呟いた。
そして、いつ何が起きても対処できるように剣を構える。魔力をも切るこの剣は、はたして神の力を切り裂くことができるのか。
その疑問の答えはすぐに出た。
彼がぶった斬ったムカデは神の力で奇形として復活し、こうして襲って来たのだ。
神の力は斬ることはできない。
ウェスはどうするべきなのか分からず、頭を抱えたくなってきた。
「斬る場所が悪かったのか…?」
それはあり得るかもしれない。いくら再生能力が高くても、急所をやることができればダメージは通るはずだ。死に一番近い場所を攻撃できれば。
と、そこまで思考してウェスは考えを改める。
分かりやすい急所といえば頭部。しかし、そこは先程真っ二つにしたのに復活した場所でもある。頭ではダメなのだ。あとは心臓が考えられるが、人体ならまだしも昆虫の心臓がどこにあるかなんて分かるはずがない。
「ウェストール!」
そんなとき、エモが二つ頭のムカデの攻撃を掻い潜り、ウェスの元へ走ってきた。
「そいつは大丈夫。まだ畏れが利いてるから!」
「そうなのか」
「そう! で、まずあっちを殺っちゃいたいわけなの」
エモが二つ頭のムカデを指差す。ムカデはちょうどぐるりと身体の向きを変え、二人に向かって動き始めていた。
「こっちはどうする?」
「私の力が効いてるってことは、罪人の力が利いてないということ。つまりこっちは普通のセントピー…」
「ギイィィィィィィィ!」
ゴポゴポと湿った音と共にムカデの断末魔の悲鳴が周囲に響き渡った。
「…で、奴を始末するにはどうすればいい?」
ムカデに剣を突き立てたウェスがエモに尋ねた。
「え? あ…、えーっと、たぶん急所を狙ってもさらに奇形になって復活するだけだから、再生が追い付かないような攻撃をすればいいと思うよ」
「あの再生より速く? 無茶を言うな。一を斬って二を斬ってる間に一が再生するぞ?」
「強い火力で焼くとかするのが一番いいんだけど、ウェストールはどう見ても魔術士じゃないよね…」
「お前はどうなんだ?」
「使えたら、こんな重たい武器使わないよ。ほら、女の子なのに筋力ついちゃって」
「………」
「どうかした?」
「いや、今までなんとも思わなかったが、神様も性別があるんだなって」
「あったりまえじゃん! でないとどうやって増えんのさ。って、ほら、余計なこと喋ってるからあいつが来ちゃったじゃない!」
「ギィイィィィィ!!」
叫び声と共に二つの頭がその強力な顎を二人に突き出す。
ガキンガキンガキンと金属音にも似た音が連続して鳴る。その音が鳴っている間は二人とも無事なのだろう。
「物は試し。ウェストール、ちょっと頑張ってね!」
「何を試すんだ? それに頑張る?」
「いいから、合図したら思いっきり斬りかかって」
「どうなっても知らんぞ?」
ウェスの傍からエモは離れ、反対側へ回り、ちょうどムカデを挟む形となった。二つの頭のうち片方がそれを追い、途端にムカデは動きを止めた。
「なるほど、頭は二つあっても胴体は一つか」
「二つの頭からの命令がかち合って、結果的に動けない。んー! 知能的プレイだね!」
「斬るのか?」
「まだ。もう一つやることがあるよ!」
ウェスが首を傾げる。
「汝、我、有頂天!」
「なんだそりゃ? ん…?」
心がざわついて落ち着かない。ウェスはそんな気分にとらわれた。
「ハッピーかい?」
「おう! …って、んん?」
「それならいくよ!」
「おうともよ! …は? え?」
自分の反応が信じられないウェスは混乱しつつも、合図があったのでムカデに攻撃を仕掛ける。
エモがムカデに斬りかかり、続いてウェスも剣を突き立てる。その後はウェスもあまり憶えていなかった。心のまま、気の向くままに、呼吸も忘れ、ひたすらに切り刻んだ。
ウェスが我に帰ったのは、すべてが終わってからだった。
ムカデの欠片が飛び散り、まるで動く気配はない。
「やったのか…?」
「と、信じたいね」
もしこの状態で再生でもされたら、彼らに打つ手はない。
―ガサッ!
二人とも音には敏感になっていた。何かが動く音。そして聞き慣れぬ気持ちの悪い音。ちょうど、エモが二つ頭を斬った時のものと似ていた。
「イタッ!」
エモが腕を振り払う。見てみると小さな傷があり、そこからじわりと赤い血が染み出てきた。
「こ、こいつ…!」
小さな無数のムカデが二人を取り囲んでいた。
「キィッ!」
四方八方から聞こえる奇声。
「でかいのと、どっちが厄介だと思う?」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃ…!」
ムカデの大群は一斉に飛びかかった。