第46話 小手調べ
なんか忙しいよ…
休日を…、ください……(泣)
「クルリ」
聞き慣れたその声は、いつもより少し優しく響く。
クルリが目を開けると、テーブルを挟んで向かいの席に座っていたウェスが、心配げな表情でクルリを見ていた。
「な、なに? どうかしたの?」
「いや、お前が料理を目の前にして寝るなんて珍しいな」
「ね、寝てた?」
「ああ」
いつの間に寝たんだろう。クルリは不思議に思いながら目の前の料理に目をやった。
「寝不足ですか?」
ウェスの隣に座っていたリリアがクルリの顔を覗き見る。
「ううん。むしろぐっすり寝てるよ」
「寝過ぎで眠たいなんて、贅沢な奴だな」
「そ、そんなんじゃないよ!」
と、ムキになって否定して、クルリは料理に手をつける。
ウェス達が実家に留まってから、二週間が過ぎていた。
当初なんとなくギクシャクしていたウルハインド家も、今は少し錆がとれたのか、ゆったりと歯車が回っていた。
「そうだリリア。俺達は近々出発しようと思うんだが」
リリアが驚いた顔をする。
「もう行ってしまうんですか?」
「ああ、用事もそろそろ終いになりそうだしな」
用事というのはフォトナの所に通うことだ。
ウェスはずっとあの神様のところへ通い続け、自身のことについて学んだ。彼もなんとなくではあるがそれを理解し、少しずつではあるがものにしていったのだ。
「というわけでクルリ、体慣らしにこれから一つ仕事をこなしてこようと思うんだが、いけるか?」
「そういえば本職が疎かになってたね。身体が鈍ってたら大変だし、いいよ」
もともと金はたくさん手に入れていたし、実家に居れば特に食事の心配もない。それにウェスもクルリも特訓の日々だったので、依頼を受けている時間もなかったのだ。
「決まりだな」
「それでは私も…」
「リリアは休んでろ。せっかくの休日なんだからな」
「ですが…」
「お前がついてきたんじゃ、俺の用事の成果も、クルリの特訓の成果も見れないからな。まぁ、二週間程度で何か変わるとも思えないが、それでもな」
「先生がよかったからきっと大丈夫だよ」
意気込む二人を見て、リリアはニコリと笑う。
「…分かりました」
と言うのだが、すぐに厳しい表情になり。
「ですが、過信だけはしないでくださいね?」
「俺の性格は知ってるだろ?」
「そんな人についてく私だからね」
「そうですね。では、お仕事頑張ってください」
こうしてウェスとクルリは久し振りに本職に復帰するのだった。
「どれにする?」
「んー…」
掲示板にある様々な依頼の張り紙を見ながら、ウェスは腕を組んだ。
「腕試しだからな。できれば討伐系の依頼がいいんだが…」
「賞金首は?」
ウェスは指名手配の貼り紙を品定めするように見回したが、首を横に振る。
「すぐに見つかるとは限らないからな」
「うーん、そうだね。怪物なら住処や縄張りを彷徨いたら向こうから襲ってくるからそっちの方がいいか」
「こいつはどうだ?」
ウェスが掲示板から紙を一枚剥ぎ取る。
『セントピード討伐。畑を荒らし回るあのムカデをなんとかしてください! 生活がかかっているんです!』
「セントピードって、足がワシャワシャあってカサカサ動く大きいあいつ?」
「そうだ」
「うぇー…」
「気が進まないか?」
「そりやぁ、ねぇ…」
以前彼らはセントピード討伐の依頼を受けたことがある。だが、その時は命辛々退散してきたのだ。ウェスはまだ仕事に慣れていなかったクルリを置いていこうとしたのだが、無理についてきた彼女をどうすることもできず、苦闘の末の結果だった。
それ以来セントピードはなんとなく避けてきた相手である。
「本来なら俺一人でもなんとかできる相手だ。今ならなんの問題もないさ」
「だといいんだけど…」
なんとなく不安なクルリだった。
そんなクルリの予感は的中して。
「嘘ばっかり」
二週間のブランクでこんなに感覚が鈍るものなのかと、ウェスは額を押さえた。
グリムヘイアを囲う防壁を出て、少し歩いた場所に依頼主は待っていた。
髭を伸ばした白髪の老人で、たいそう人の良さそうな風貌だった。それで彼らは騙されてしまったのかもしれない。いや、正確には老人の依頼に嘘はなかった。討伐怪物はちゃんとセントピードであったし、出没場所も老人の畑であった。だが、普通セントピードという怪物は大きくても人の大人程度のサイズなのだが、老人が討伐依頼してきたこいつは、小さく見積もっても大人二人分の大きさがあった。突然変異なのか、はたまた亜種なのか、それは分からない。故に老人もああ伝えるしかなかったのだろう。しかし、直接会ったときにその事を説明してもいいはずだ。ウェスは多少なり憤慨していた。
ムカデを畑の外の草むらから覗いていた二人は、予定外の事態にどう対処するか話し合う。
「あいつ火に弱いはずだよね?」
「ああ。あんなでも虫だからな。…だが、畑は荒らすなという制約つきだ。火なんか使ってみろ、作物が全焼だぞ?」
「じゃあどうするの?」
「畑の外に誘き出すしかないな。クルリ、囮役はしたいか?」
「嫌だ」
「だろうと思ったよ」
ウェスはため息をついた。
「しかし、悪いが今回はお前に頼みたい」
「どうして?」
「奴は雑食だ。だが、肉を好む傾向がある。特に柔らかい女子供の肉をな。お前なら両方の条件に当てはま…。…なんだその目は?」
ジトッとした目でクルリはウェスを睨んでいた。
「女ってところはいいとしても、子供ってところは撤回してほしいな」
「奴らに人の年齢を判断できる知能なんてない。要は見た目の問題だ」
「う…、確かに見た目はどうかしらないけど…」
クルリが見た目で判断されたことはこれまで幾度もあったことだ。相手は彼らの事情を知る由もないし、人の印象は見た目で決まるものであるから仕方ないと言えば仕方ない。
「大体、お前の実年齢は本人でさえ分からないんだ。見た目で判断するしかないだろ」
「そんなのわかってるよ!!」
クルリが怒声をあげる。
いつもの悪ふざけ程度のつもりだったウェスは驚いた様子で口をつぐんだ。しかし、もっと驚いていたのはクルリだった。
なぜそんな声が出たのか分からない。いつも通りのやり取りのはずなのに、一体何がそんなにカチンときてしまったのだろうか。クルリも困惑した表情でウェスから目を逸らした。
「す、すまん…」
ウェスが謝る。
「私も大きな声出してごめん…」
二人が頭を下げていると「キィイイイイイイイ!」という金切り声が彼らの上から聞こえてきた。
状況を思い出した二人は頭を上げることなくその場から飛び退いた。
それと同時に彼らが居た場所に砂煙をあげるような一撃が放たれる。風が吹き、砂煙が払われると、強靭な顎と黒く光の無い瞳を持つ頭が二人を見据えていた。
ムカデは節のある体をむくりと起こすと、無数の足をワシャワシャと動かし、顎をカチンカチンと鳴らして、威嚇の体勢をとっている。
「この虫、やっぱり気持ち悪い…」
「同感だ」
「依頼主には報酬割り増ししてもらわないとね!」
「当然の権利だな」
威嚇をしても退かない相手を見て、ムカデも二人を敵と見なしたようだ。図体に似合わないスピードでムカデは二人に飛び掛かった。