第41話 魔術士二人と霊能士
新しい生活に慣れないせいか、時間の取り方がいまいち掴めない…
「…というわけだ。王宮魔術士の名に於いて、トトラ・キリウ、お前を我々の保護下におかせてもらう」
王宮魔術士を名乗るマッチョな巨体男はトトラの前に立ちはだかり、そんなことを言った。
「なんやそら…」
「聞いてなかったの? その耳は飾りなの? 死ぬの?」
男の隣に居た長髪の女。彼女もまた王宮魔術士を名乗り、男と共にトトラの行く手を塞いでいた。
「せやかてな、突然そんなこと言われても納得でけへんわ」
「納得してくれ。お前が狙われるのは明白なんでね」
「先の平原での戦いであんたが遠くから覗いていたのは分かってるの。あんた一般人じゃないでしょ。きっとそう」
「ワイはただの観光客や。保護なんかいらん。ワイはワイの目的のためにこの国に来たんや。誰にも邪魔はさせへんで!」
「と言ってもだな、俺達にも俺たちの仕事、目的がある」
「そもそも、王宮魔術士ってなんやねん! なんぼのもんやねん! じぶんらそんなに偉いんか!?」
「偉いかどうかじゃないわ。従いなさい。そうしなさい」
トトラは様々な理屈や屁理屈を並べて説得を試みたが、彼らはまるで聞く耳は持たず、がんがんと自分達の意見を押し通そうとする。口喧嘩にはそれなりの自信を持っていたトトラだが、こうも意見を曲げず、我を突き通されると流石に折れそうになる。というか面倒くさくなっていた。会話は文字通り平行線。どちらも意見を曲げないとなると、その先は強行手段しか残っていない。
さて、先ずはどうしてこんな状況になったのか、簡単に説明しましょう。
女性が風呂に入っていたら覗くのは礼儀だと熱く語るトトラ。宿屋の美人女将が風呂に入っていたとき、例に違わずこの男はやって来た。以前のように魔術を撃ち込まれる危険がない分、幾分落ち着いて彼は目の保養を行う。
しかし、どうしてだろうか、彼は堂々としすぎていた。覗くと言うよりも観賞と言った方が正しいだろう。堂々と、然も当たり前のようにして、彼は風呂場を見ていた。風呂を覗くのが礼儀だと言い、これを行うことにまるで罪悪感を感じていない彼ならではか。彼にやましい気持ちはなく、純粋に見ることを楽しんでいるのだ。つまりそれで彼はいつも見つかってしまうのである。
女性の悲鳴が一体に轟いた。
そこを偶然通りかかった王宮魔術士二人が、トトラを先日の草原に追い詰めたところで、話は最初に繋がる。
「ならば仕方無い。トトラ・キリウ。少々手荒くなるが構わないな?」
「当然の結果よ。いいでしょ。気にしないでしょ」
「なんや、一般人に手ぇ出すんかいな」
「お前の安全のため。そして危険因子排除のためだ」
「クアクス真面目すぎよ。要は大人しくさせればいいの。怪我させてでも」
「瀕死までにしておけよ、イグナ」
「…一緒にお茶しよか、って雰囲気とはちゃうみたいやな」
トトラは二人とは反対に走り出す。一対二。どう考えても不利。相手の実力は姿こそ確認できなかったが、先日ある程度見ている。火と水、もしくは陽。その三つの魔術、いずれかの使い手と見て間違いはないだろう。動きから見てもただ者ではない。
せめて一対一にしたいトトラは逃げることで二人の連携を崩したいようだが、当然王宮魔術士二人もその事は理解している。二人の走る早さは違う。好き勝手に追えばトトラの思う壺なのだ。できるだけ単独行動を避けたい二人なのだが、それだと相手を逃がしてしまう可能性がある。尻尾巻いて逃げるという戦法は、トトラにとって有利に働いた。
「クアクス」
「準備はいいな?」
「いいに決まってるわ。早くしよう。手早く済ませよう」
言葉も早々にイグナが詠唱を始める。
『火、熱、蛇』
『氷獣行くとこ絶氷の大地なり』
追うようにしてクアクスも詠唱する。
狙うは背を向け走る男。
背を向けた相手に魔術を放つことに多少戸惑いを覚えるクアクスだったが、隣でキッと睨みをきかせていたイグナを見て、気持ちを入れ替える。
二人がこれから放つ魔術は攻撃力はほぼ無い。更に極限まで威力を落としての魔術だ。兎に角今は逃げる自称観光客を捕らえなければならなかった。
『レッドスネイク』
先ずイグナが魔術を放つ。
地を這うようにして円柱の炎が走り出す。ズリズリと波打つように動きながらトトラの前までやって来る。そして炎は起き上がるようにしてトトラの進路を塞いだ。
『フロストガム』
続いてクアクス。掌を大地に押し当て魔術を放つ。
炎に驚き立ち止まったトトラの足下に小さな水溜まりができる。
「こいつ…」
トトラはそれが何か知っていた。先日小さな魔術士が鉄球の動きを止めた魔術だ。触ればねっとりとした氷が体に張り付き、やがて動きを制限され、凍り付く。
目の前には炎、足下には氷の罠、そして後ろからは魔術士二人が迫ってきている。横に逃げようにも炎はトトラに動きを合わせ、常に前にあるし、足元の水溜まりは徐々に広がっていく。まったくもっていやらしい組み合わせだ。
「さて一般人、どうする?」
皮肉ともとれるクアクスの言葉。
「逃げるに決まっとるやろ!」
吐き捨てるように言葉を返すと、トトラは懐から紙を一枚取り出した。
「また作らなあかんな…」
紙切れを横目で確認しながらトトラは呟いた。
そんな紙切れを何に使うのかと二人の王宮魔術士は首を傾げたが、イグナは何かに気が付いたのかハッとした表情でクアクスを急かす。
「逃げられるかもしれないわ。早く捕らえて! 捕まえて!」
しかし、今さら気が付いても遅いのだ。
トトラがその紙切れを炎の中に投げ入れる。すると、炎はジュッと音をさせたかと思うと、一瞬にして水蒸気になて消えてしまった。
それを確認したトトラは足元の水溜まりを踏まないようにして走り出す。
「なんだあれは?」
「捕まえないと!」
「そんなことよりあれは…」
「聞けよ筋肉達磨!」
「イグナ、それはタブーだ」
「捕まえたら詳しいこと話すから早く!」
「はいはい、仰せのままに」
逃げる背中に向かってクアクスはその巨体をものともしないスピードで走りだした。のっしのっしと大地を踏み締め走る姿は正に巨獣。
そんな足音に気づいたトトラが走りながら後ろを振り向くと物凄くむさ苦しい男が追いかけてきている。
「こっち来んな!」
どうせならあっちの女の魔術士の方に追いかけられたいと、トトラは思った。しかしこの時、むさ苦しい男に気をとられていた彼は、イグナの姿が無いということに気づくことはなかった。
「逃がさんぞ!」
どうやら走る早さは同じのようだ。男同士の鬼ごっこはしばらく続いたが、二人の距離は付かず離れず、まったく変わっていなかった。いい加減決着をつけたくなったクアクスが先に動く。
「トトラ・キリウ止まれ!」
「あんたがワイを逃がせば済む話やろ!」
「この分からずやめ!」
クアクスが大地に掌を付く。
その光景を後ろ目で見ていたトトラはまた魔術かと身構える。が、一向にその気配はない。不発か、と、油断した矢先。
「のわっ?!」
足元からギロチンの様な氷が飛び出し、トトラの前髪を数本落とした。
「こ、殺す気か!!」
思わず足を止め、マッチョの男に怒声を浴びせる。
「死ななかったろ?」
「そういう問題やないわ!」
「それは魔術とは違うぞ」
「なんやて?」
飛び出した氷は薄く、まるで鏡のように周囲の風景を写し出している。しかし妙だ。風景は写っているものの、そこにトトラの姿は写し出されていない。
「…ん?」
氷の鏡をじっと見つめていると、何か動くものが写し出されていた。目を凝らして見てみると、誰か人がこちらに走ってきているようだ。
トトラはハッとして後ろを振り替えるが、クアクスは相変わらずその場で地面に手をついていた。おかしいなと思いつつも、彼が再び鏡に目をやると、鏡の中の人物がすぐ近くまでやって来ていた。その姿はやはりクアクスだ。
「どうだこの肉体美。惚れるなよ?」
後方からの声。
「キモいわ!!」
思わず叫んだのと同時、ガラスが割れるような音が彼の耳に届いた。氷の鏡が割れ、そしてそこに。
「き、キモっ!」
もう一人のクアクスの姿があった。
「言っとくが、まだ増えるぞ」
次々と現れる氷の鏡。
そして現れる筋肉。
「ありえへん…。こんな寒気がするのは生まれて初めてや…」
「これくらいで十分だろ。逃げ切れるか? トトラ・キリウ」
「ぐっ…」
並ぶ筋肉。それがまた一矢乱れぬ動きをするものだから尚気持ち悪い。その数およそ二十。二十の男。二十の筋肉。二十の筋肉包囲網。
トトラは目眩がしそうだった。どうせ増えるならさっきの女魔術士が…、と彼は切に思った。
「と、兎に角、例え相手が筋肉でもワイは引くわけにはいかんのや!!」
増えた筋肉をひとつ蹴り飛ばし、トトラは一瞬の隙をついて包囲を突破する。
彼が目指すのは町。草原はルコペッテのすぐ傍。町の宿屋に戻れば彼の荷物がある。それを回収してとっととこの筋肉から逃げ出したい。彼はその一心で走った。「待てー」「待てー」「待てー」と、幾重にもエコーするマッチョズの声を背中で聞きながら。
幸い増えたマッチョズの身体能力も本人と同じらしく、トトラは同じペースで走っていれば追い付かれることはない。しかし、やはり疲労は隠せず、徐々にペースダウンしていき、変わらなかった距離が徐々に縮まってきていた。
町まではあと僅か。だが、それまで持つかどうか。
「お兄さん、探しましたよ!」
ふと現れた兎人族の少年。トトラと並走しながら少年は話す。
「お代を頂こうと思ったんですが、どこにもいらっしゃらなくて。荷物があったので泊まり逃げではないと思ったんですけど…。あ、それとも延長しますか?」
「ち、ちょっとは空気読めや!」
「逃げているみたいですね。うちからは逃げないでくださいよ? あ、あと夕食が冷めてしまうので急いでください」
「ならあいつをなんとかでけへんのか?」
トトラは息も絶え絶えに後ろのマッチョズを指差した。それを見た少年は青い顔で首をブンブンと横に振った。
「むむむ無理ですよ!」
「ワイも無理や」
「でも」
「なんや?」
「ちょっと失礼しますね」
少年はトトラの背中に飛び付いて、おんぶのような格好をとる。
「な、なにすんね―」
「一気に踏み込んで跳んでください。跳んだらずっと屈んだ状態でいてくださいね」
何がなんだか分からないトトラだったが、子供とはいえ人をおんぶした状態で走り続けることは既に不可能な状態だったので、大人しく少年の指示に従うことにした。
トトラは右足で踏み込み、前へ思いきり跳んだ。疲れているせいか、思ったより距離は出なかったが、それでも少年にとっては十分だった。
少年は素早くトトラの体に腕を回すと、屈んでいるトトラを抱え、自分の足で思い切り地面を蹴り飛ばした。
ふわりとした浮遊感がトトラを襲う。彼の体はあり得ないほど跳躍していたのだ。
「な、なんや、兎人族ってえらい特徴があるんやないか」
「でも、あんまり長続きはしませんよ」
「十分や!」
一連の会話を一回のジャンプの間でやり取りし、少年は再び大地を蹴り飛ばした。
下で唖然としているマッチョズを確認し、ようやく逃げきれたかと思ったトトラだったが、その中空も決して安全な場所ではなかった。
『炎、熱波、弾』
突如目の前に現れた長髪の女。
「威力は落としてあるわ。避けられないでしょ。逃げられないでしょ?」
トトラと少年の目の前に炎の球が形成される。
『スカーレットストライク』
炎は二人を地面に叩き落とした。