第39話 南にて
これからしばらく視点が変わります。
さて、ウェスとクルリが特訓を始めた頃。この男も旅を続けていた。
「ようやくサナスト地方に着いたで…。腰痛ぁ…」
トトラ・キリウは地面に座り込み空を仰いだ。青い空が何処までも広がっている。
彼はラフランの街を出発し、サナスト地方の入り口とも言える町、《ルコペッテ》へとたどり着いた。彼がやたらボロボロなのは、馬車代をケチッて、ここに来るまでおよそ三日を労したからである。
彼がこの国に来た当初の目的は《あるもの》を見るためだった。しかし、旅には思いの外資金が必要で金に困った彼は例の依頼を引き受けたのだ。そして資金を得た彼はこうして再び己の目的を果たすために旅を始めた。その目的を果たすためにはもう少し旅を続けなければならないが、彼はこの街で一度休憩をはさむことにした。雨に降られなかったのは幸いだったが、この三日間は野宿続きだったし、服も汚れている。
「どこか泊まるとこ探さんとなぁ」
「そこな兄さん、泊まりはうちへどうぞ」
「いやいや、うちへ」
「おまえんとこは虫がでるしけあかん!」
「馬鹿いえ! お前んとここそ埃の地層ができとるじゃろ!」
幾人かがトトラに話しかけてきたが、いつの間にか喧嘩を始めてしまった。
「それじゃお兄さん。うちにしようよ」
と、どさくさに紛れて彼の腕を引くのは兎人族の少年だった。白髪に赤い瞳、ピョコンと延びた長い耳は片方だけ折れ曲がっていた。
「な、なんや?」
「早く行きましょう」
「そ、そんなら…」
「ぬあっ! ロップルのとこのガキ! 抜け駆けは卑怯だぞ!」
「残念。このお兄さんはうちに泊まるんです。お疲れさまでした」
「っち、先を越されたか…」
「お前が煩いからだ!」
「うるさいのはお前も同じだろうが!」
トトラを取り巻いていた人々が散り散りになり、あとには彼と少年だけが残った。
「まさかこんなに競争の激しいとことは思わんかったわ」
「ここは商都に近いですし、サナスト地方の入り口でもあるんで商売にはちょっとうるさいんです」
「なんかノリで行くって言ってもうたけど、ぼったくったりせぇへん?」
「商売にはうるさいですが、お客さんを蔑ろにはしませんよ」
「とか言って、ほんまは…ってのは堪忍やで?」
「お兄さん強そうですから気を付けます」
少年はニコリと笑った。
その中性的な顔立ちのせいか、男とも女ともとれる少年にトトラは少々複雑な気持ちを覚えるのだった。
「なあ、兎人族って特殊能力みたいなんあるんか?」
「どうしてでしょう?」
「いや、特に理由はないんやけど、ちょっと気になったんや」
「そうですね。一人で居ると自殺したくなることと、年中さかってるくらいでしょうか?」
「なんかなぁ…」
微妙な特徴である。
「大丈夫ですよ。ボクは男ですから!」
「いや、そうやのぅて…」
「でも気を付けてください。中には両刀使いも居ますから」
「…気を付けるわ」
「ささ、こちらへ」
少年に引き連れられ、トトラは歩く。
サナスト地方は人族以外の種族が多い地方だ。実際トトラがこの地方へやって来てから一度も人族を見かけたことはない。サナスト地方はリゾート地が多いのだが、今は時期的にオフシーズンなので、先程のような客の取り合いが起きてしまうのだと、少年は話してくれた。それは商人に憧れるトトラにとって面白い内容だった。
「もう少しすればシーズンになりますし、海開きされればお客さんはもっと増えますよ」
「まさに書き入れ時やな」
「そうなんですよ」
トトラと向き合い、後ろ向きに歩きながら楽しそうに話す少年は本当に商売が好きそうだ。黙っていると男ということが判断しやすくなるのだが、笑っている少年は本当に性別の区別がつかない。悶々とした気持ちを抱えながら、トトラは奇妙な葛藤の中にあった。
少年と話していると、トトラは目の橋に不思議なものを捉えた。
ふわりとの揺れる緑色の糸のようなもの。それはゆらゆらと風に流され、所在なさげに中空を漂っていた。それは後ろ向きに歩く少年の背後で動きを止める。
「それで…」
「ちょい待ちや!」
トトラが大声に驚いた少年は、びくりと体を震わせてピタリとその場に制止した。
「あ、あの、何か失礼なことを言ってしまいましたか?」
「すまん。今はそのままにしとってや」
戸惑う少年の後ろにある緑色の糸。トトラはそれが妙に気になった。普段ならゴミだと思って気にも止めなかっただろう。しかし、つい先日のまとわりつくような嫌な感覚を、僅かであるがその糸から感じ取れるのだ。
暫し糸を睨み付けていると、糸は再びふわりと風に乗って動き出した。それは空高く舞い上がり、暖かい陽光の中に消えてしまう。
「あの、お兄さん…?」
「なんや、ワイの見間違いやったみたいやわ」
不安げに問いかける少年にトトラは努めて明るく答えたが、内心はもしかしたらという不安でいっぱいだった。
***
「アルム様。例のものが見つかりました」
アルムの後ろから猫が一匹やって来る。
「後ろには立つなとあれほど言ったのにお前は…」
「歩いているのですが?」
「…そうか。だがリグ、その話は後にしてくれないか」
「では、別件の処理を…」
「悪りぃがそちらも後回しにしてくれねぇか。これからちょっと煩い奴が来るんだ」
「デスティク様ですか?」
「そうだ。茶のひとつでも出してやらなけりゃな」
「分かりました。そのように…」
リグが下がると部屋の扉が開いた。
緋色の髪の男が相変わらず辛気くさい顔で入ってくる。
「噂をすればなんとやら…」
「何の悪巧みだアルム」
「さて、なんのことかね」
「最近のお前の行動は我々の目的から逸脱しているように見える」
「目的ね。なんだっけ、記憶喪失の神様を救うんだっけな? なんで見ず知らずの奴の手助けなんざせにゃならねぇんだ」
「お前は事の重大さが理解できていないようだな」
「なんだよ、説教しに来たのか?」
「いや。警告だ。この流れはお前に良い運命を導かない」
「二言目には運命運命。運命マニアには付き合いきれねぇわ」
「…それは、仲間から外れるという意味か?」
「あんたが考えな。運命ばかりに頼ってちゃ、いずれ身を滅ぼすぜ? まあ、ペケ頭に何を言っても無駄だろうがな」
「仲間は多い方がいい。出来ればお前も…」
「俺に指図すんな」
どこから取り出したのか、アルムはナイフをデスティクの喉に突き付けた。だが刃を向けられた本人は顔色ひとつ変えずにそこに立っている。
「ふん。俺がお前を刺す運命は無ぇってか? あー、つまんねぇ。ほんとにつまんねぇ野郎だな!」
「………」
「…わかってるよ。そっちはそっちでちゃんとやってから。今日は帰ってくれ」
「それなら構わない」
デスティクはアルムに背を向ける。
「それから…」
「まだなんかあんのかよ」
「神食いに気を付けろ」
瞬間アルムの表情が強張った。
「………わかった」
「じゃあな」
デスティクがこの場を去ると同時に、ティーカップを二つリグが運んでくる。客人が居ないことに気がつくと、リグは呟いた。
「デスティク様は…?」
「帰った」
「…せっかく美味しいお茶を淹れましたのに」
「いい。二人で飲もう」
「そうですか。では、お言葉に甘えて」
アルムとリグは静かにお茶を啜るのだった。