第34話 留守番
気まぐれ二話更新!
クルリは一人、宿屋の窓から街のど真ん中にある大きな城を眺めていた。
ウェスとリリアは今朝方、その城へ出向いていったのだが、先日の会話の中に出てきたマルコー医師の事もあり、様子見のためにとクルリは置いていかれたのであった。
それから時刻は進み、丁度昼時になったこともあり、クルリの腹の虫が悲鳴を上げ始めていた。ウェスにはいくらか食費という名の小遣いを渡されてはいたが、どこで食べればいいのだろうか、まだよく知らない街を一人でふらふら歩くにはまだ不安がある。それに、迷ったり厄介事に巻き込まれたら面倒である。クルリは城を見ていた窓と同じ窓から、宿屋の前の通りを見渡したが、近くにそういった場所は見つからず、仕方なくじっとしていたのだ。
本当はこの宿屋の中にも食事をする場所があったのだが、クルリはそれを知らなかった。
「おなかすいたー…」
クルリはごろりとベッドに寝転がる。
まさかこのまま餓死してしまうのだろうか。ふとそんなことが頭をよぎる。が、一食抜いたところで死んだりしないことは、彼女もよく知っていたので、ひとり失笑して寝返りをうつ。
「…あれ?」
寝返りをして彼女の目に映ったもの。それは普段見かけない光景だった。
鞘に納められ、今はどこか寂しそうに壁にもたれ掛かっている退魔の剣。ウェスはあれを片身離さず持っていた。片時も離さずだ。故にそれは彼女の好奇心をすごく擽った。
それがどうしてここにあるのか。クルリは今朝の光景を思い出す。「これには絶対触るなよ」確かウェスはそんなことを言って出ていった。
初めての顔が武器を持って王宮に近付こうとすれば、例えリリアが居ても間違いなく、すぐ拘束されてしまうからと置いていかれたものなのだが、触るなと言われれば触りたくなるのが人の性である。神様であるクルリもその誘惑に打ち克つことができなかった。
ベッドから体を起こし、立て掛けられている退魔の剣の前で屈む。
鞘は革製で年期が来ており、それ自体は余り綺麗ではないが、施された装飾は見事なものだった。剣はウェスが抜いている場面を彼女も何度も見ていたが、こうしてじっくり鞘を見るのは初めてだった。しかし、こうして改めてみると、剣の方に施された装飾と、鞘の装飾は、対照的とでも言うのだろうか、まったく別の物のように思えた。
「本当、おかしな剣だよね。魔術を斬るんだもん」
触るなと言われていたが、クルリはおそるおそる剣をつついてみる。
剣は少しだけ揺れた。
「キリウさんがあんなこと言ったからかな…」
幽霊騒動のとき、共に仕事をした霊能士がこの剣の価値を「百万はくだらない」と言っていたのである。だからウェスは触るなと言ったのかもしれない。けれどクルリは思い直した。これまで「触るな!」と注意されたことはないが、触らせてもらった記憶がないのだ。それはウェスが片身離さず持っていたからだし、クルリ自身もそんなに興味はなかったのである。
「黙ってたらわからないよね…」
そう思ってクルリは退魔の剣を見つめる。見れば見るほど不思議な装飾だ。
クルリはもう一度剣をつついた。さっきよりもちょっと強めに。
剣はグラグラと揺れて、また止まる。
「あ!」
止まったと思った剣は、重力に引っ張られてだんだんと傾き始めた。
「あ、わっ、っと!」
クルリは立て直そうとしたが、慌てていたことで余計に剣に勢いをつけてしまい、結局剣を倒してしまった。
革製の鞘のおかげであまり大きな音はしなかったものの、ぐるぐると布の巻かれた柄が床を打ち、鈍い音が部屋の中に響いた。
ビクリと体を震わせクルリは目を瞑る。静けさが一気に部屋に染み渡った。
クルリが目を開けると、鞘から飛び出した退魔の剣が床に転がっていた。キョロキョロと周囲を見回してし、目撃者が居ないことを確認する。部屋には彼女しか居ないので、そんな者が居るはずもないのだが、やってはいけないことをやったという意識もあり、妙に罪悪感を覚えたのだ。
しかし、いつまでもその罪悪感に捕らわれているわけにもいかず、クルリは忍び足で、飛び出した退魔の剣に近付き、それを手に取る。剣は彼女が思った以上に重く、ずっしりとその腕にのしかかった。
よくこんなもの振り回してるな、とクルリは思う。二、三回振ったら息が切れてしまいそうだ。
クルリは両手でその剣を持ち上げ、なんとなく試しに振ってみることにした。
「おっ、お!?」
剣を大きく振り上げると、その重みで上体が反れ、危うく背中から倒れそうになる。倒れまいと、数歩後ずさると、トスッと腕に軽い衝撃が伝わり、そして彼女の体も安定する。
「………」
クルリは剣の柄を持ったまま、自分の後ろに広がっているであろう残念な光景を想像する。
剣が幾分軽くなったように感じるのは何故だろう。筋力が上がった? …などと、軽い現実逃避をおこなったあと、クルリはゆっくりと後ろを振り返った。
そこには壁に突き刺さった剣があった。剣の柄を離しても、落ちることなく壁にサックリと刺さっている。
剣を勝手に触ったという罪だけではなく、さらに壁を傷つけたという罪まで重ねてしまったのだ。重罰は免れない。
「やば…」
自然とそんな言葉か口から漏れた。
兎に角、早くこの剣を引き抜いて、鞘に納めて元の位置に立て掛けて、その上で壁の穴をなんとか隠さなければならない。
まずは剣を引き抜かなければ。
クルリは剣の柄を持ち、思いっきり引っ張る。剣を持ち上げるときより力を込めるが、思った以上に深く突き刺さっているのか、なかなか引き抜くことができない。
「はー…」
一旦手を離し息を吐く。
あんなに簡単に刺さったのに、どうしてすぐに抜けないんだろう。返しが付いてるわけでもあるまいに。クルリは剣に向かって文句を言いたい気分だった。
だが、諦めるわけにはいかなかった。このままでは仕置きは必至なのである。それだけはなんとしても避けなければ。クルリは必死だった。
必死だから気付かなかったのだ。その音に。
「…何やってんだクルリ」
「何って見ればわかるでしょ…!」
「剣には触るなと言ったはずだが…?」
「だからそれがばれないように………」
クルリの時間が止まった。
「ばれないように…、か」
油の切れた螺の様にキリキリとクルリの首が回る。
部屋の入り口で物凄く怖い顔のウェスが仁王立ちしていた。
「あ、あ、ウェス、お帰り…」
「挨拶はいい。まず、それについて説明してもらおうか」
ウェスはその惨状を顎で示し、クルリに問いかける。
「こ、これは、その…」
「なんだ?」
「で…」
「で?」
「で…」
「………」
「伝説の剣…。なんて…、なはは…」
「………」
「…はは」
「………」
「………」
「…他に言うことは?」
「…ご、ごめんなさい」
ウェスの威圧に負けたクルリが白旗をあげたのだった。