第29話 ルルシュタッドの夜 3
「掻き消した…?」
それよりも斬ったように見えた。彼女はそんな光景を見たことがなかったので、まずは自分の目を疑った。しかし、目に焼き付いたその光景が見間違いとも思えない。だが、もし仮に魔術が斬れるのだとしたら、彼が魔術を受けても死ぬどころか、無傷だということに納得がいく。もう一度くらい見ることができれば自分の仮説に納得できそうだが、生憎あの賞金首に戦意は残っていないようだった。
それもそのはず。殺すつもりで撃った魔術も、逃げるために撃った魔術も無効化されてしまったのだ。しかもあいつは既に逃げると言うことを念頭に置いていた。その時点であいつの敗北は決まっていたのだろう。
「く、く、来るな! こっちには人質が居るんだ! 俺に手を出してみろ! こいつの命はねぇぞ!!」
隠し持っていたナイフを女に突きつけ脅す。見苦しい手段だ。もはや奴は賞金首ではなく、ただのチンピラに成り下がっていた。
マフラー男が剣を突き出す。
「俺には関係ないね」
「んんっ!?」
「なっ、なんだと?!」
それじゃあなんのために割って入ったのよ! と、シェーラは心の中で叫んだ。
「ただ、俺はお前がその女を傷付けるより早くお前の四肢を落としてやる」
彼のその発言は勿論ハッタリであるが、腕の一本は落としてやる自信があった。
「ひ、ひぃっ!!」
しかし、その言葉は戦意を失った男には十分効果があったようだ。
ナイフを落とすとその場にへたりこんでしまった。
それと同時に捕まっていた女は逃げ出し、マフラー男の元へ駆け寄る。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「いや、構わないさ。臨時収入も手に入ったしな」
「おーい、あんた大丈夫かい?」
事が済んだのとほぼ同時に役所の保安員がやって来た。お役所というのはいつも行動が遅い。
「あそこにへたれこんでるのがコザ・クヤレラヤ。賞金首のはずだが」
「はい。ご苦労様です。奴の身柄は我々が拘束します。それではこちらにサインを」
そう言って保安員は一枚の紙を取り出す。細かい文字でどうのこうの書いてあるが、要するに懸賞金を出すための手続き用紙である。
マフラー男は慣れた手つきでそれを書き終えた。
「ウェストール・ウルハインド様、ですね。こちらが控えになります。懸賞金は、お手数ですが後ほど窓口でお支払しますので、明日にでも役所の方へ出向いてください」
「わかった」
控えを受けとるとウェスは紙を懐に仕舞った。
これで一件落着。
「お母さん!」
と思った矢先、保安員の横から小さな少女がやって来て女に飛び付いた。
「お母さん?!」
ウェスは驚嘆の声をあげた。助けた女はどう見積もっても自分より若く見える。
「し、失礼ですがおいくつですか?」
「はい、もう三十半ばです」
詐欺だ。あの賞金首もまさかそんなこと思いもしなかったろう。
「もう! お母さん勝手に離れちゃダメだよ! お父さんに会いに王都まで行くんでしょ?」
「はいはい、わかりました。頼りにしてるからね、アレッサ」
女は優しげな、母親の顔で笑っていた。
そんな母親を見て納得した少女は、今度はウェスの方へ向き直った。
「また助けていただいてありがとうございます」
「あ、あぁ…?」
しかし、少女の言葉にウェスは違和感を覚えた。
「『また』って、君とどこかで会ったかな?」
少女は首を傾げた。
「…あれ? …何でそんなこと言ったんだろ。お兄ちゃんとは初めて会うはずなのに…」
初めて会うはずなのにそんな気がしない。それはウェスも同じであった。どこかで会っているような気がするのだが、その記憶には靄がかかっているように、ぼんやりと、漠然としか思い出すことができない。
少女は不思議そうに頭を捻っていた。
「夢で会ったのかな」
チロリと舌を出して、少女は冗談混じりに言った。
「はは、それはロマンチックだ」
ウェスは苦笑しながらそれに応える。
「さあアレッサ、行きましょうか」
「ちょっと待った!」
ウェスは少女を連れて行こうとする母親を引き留めると、自分のコートを脱ぎ、それを母親に渡す。
「その格好じゃまた襲われかねないからな」
「あ、本当ですね」
まるで他人事のように母親は言った。自分の事にはまるで無頓着な人物のようだ。まったくもってどこに行っても事件に巻き込まれていそうな人だ。
「ですが、あなたのコートが…」
「俺も明日王都へ行くんだ。もし偶然会えたならその時返してもらえればいい」
「それではありがたく使わせていただきます」
母親はコートを羽織ると少女を連れて行ってしまった。いつの間にか保安員達も引き上げており、あとに残ったのはウェスだけだった。
「さて、と…」
ウェスは今一度裏路地へ向き直った。
彼にはもうひとつ別の仕事…、いや、私事があった。
「捕まえはしないからとりあえず出てきてくれないか? 話をしよう」
闇へ向かって彼は言い放った。
しかし返答はない。
当然だ。向こうには何の利益もない。おめおめと出てきて捕まりましたじゃ目も当てられないのだ。
だが、ウェスも退くわけにはいかなかった。放っておけば、いつまでたっても狙われたままで気が休まるときがないのである。
「もしかして逃げたか?」
逃げたのであればこうして話しかけることは無意味であり、ただ時間を浪費するだけである。
しかし、あの女盗賊が簡単に手を引くとも思えない。居ないと確信できるまでは探すつもりだった。
シェーラはまだ屋根の上に居た。ウェストールという男が下で自分を探しているが、この場所なら簡単に見つかることはないはずだ。だから彼女は考えていた。
消えた魔術についてだ。
シェーラの目には魔術が斬られたように映った。可能性としては、彼の鍛え抜かれた業云々で斬られた。もしくはまた別の特殊な能力で無効化したということが考えられる。前者は恐らく無理。どんな剣の達人でも魔術を斬ることはできない。仮にできたとしても彼は若すぎる。それは一朝一夕で習得できるものではないはずだから。
となると後者の説が有力になってくる。特殊な能力は王宮魔術士が良い例として挙がるだろう。実例がある分信憑性は高い。しかもあの男は自称王宮魔術士と行動を共にしているため、何らかの能力を秘めていたとしても不思議ではない。
「………」
といっても、これらはすべて憶測の話であって事実ではない。相手のことを知るのは盗みを働くにあたって重要なことなのである。シェーラ自身が魔術を使うことはないが、それでも未知の領域を残しておくことには不安がある。
「帰るぞ?」
下から半分諦めたような声が聞こえてくる。
それを聞いた彼女は音も無く屋根から飛び降りた。
「やっと出てきたか」
これが罠だったとしても通りに出る道は自分の後ろなので、対応できる自信はあった。
「お前にい―」
「あなたに質問があるわ」
シェーラが言葉を遮る。
「答えてくれたらあなたの財布は諦める」
ウェスは悩むように顎に手を当てた。
「答えないなら別に構わないけど」
「わかった」
シェーラが言うと、彼ははすぐに答えた。
「で、何を尋ねる?」
「種明かしをしてほしいの」
「種明かし?」
ウェスは訝しげにシェーラを見ていた。
「魔術の直撃を受けて平気だったり、掻き消したり、訳がわからないのよ」
「そんなことか。見ていたのなら判るだろ? 斬ったんだ」
「だから何でそんなことができるのか訊いてるの!」
ウェスは剣を抜いた。シェーラは反射的に身構える。
「…退魔の剣。俺はそう呼んでいる」
「退魔の、剣?」
「読んで字のごとく魔を退ける剣だ」
シェーラは腕を組んだ。
つまり、技術や特殊能力でなく、剣自体に備わっている特性ということだ。
「さぁ、これで財布は諦めてくれるんだろうな?」
「ええ、勿論。約束だもの。財布は諦めるわ」
ウェスは安心したように胸を撫で下ろすと剣を収める。
「そのかわりその剣をいただくけど、ねっ!」
シェーラは素早くウェスの懐に跳ぶと拳打を叩き込む。
「なっ! 約束が違うぞ!」
ウェスは上体を反らしそれをかわす。
「私は財布から手を引くと言っただけよ!」
続けざまに側頭部への回し蹴り。ウェスは腕でブロッキングするが、その衝撃に耐えきれず壁へ叩きつけられ膝をつく。
「ぐっ」
「約束は違えてないわ」
「俺も…、お前に質問がある」
「何?」
「軽々と壁を登ったりするその身体能力についてだ」
「そんなこと」
シェーラは呆れたような顔をした。
「人族じゃない。ただそれだけよ」
「なるほど…。猫人族、というところか」
「わかってたの?」
「何となくな」
「そう。なら隠す必要もないわね」
シェーラの桃色の髪の中からもふっとした耳が二つ飛び出し、後ろからはにょろりと長い尻尾が現れた。そして頬にはそれぞれ三本の線が描いてある。おそらく髭を模しているのだろう。
「化けられるのか?」
「それならもっと気の利いたものに化けるわ」
ウェスが立ち上がる。
「で、私の正体を明かしてそれでどうなるのかしら?」
「別に」
「じゃあその剣を―」
「欲しいなら持っていけ」
ウェスは剣をシェーラの前に投げた。彼女は驚いた表情で投げられた剣を見ていた。
「ど、どういうつもり?」
動揺が言葉に現れる。
「お前にやると言ったんだ」
「へぇ、そうなの」
シェーラは剣に手を伸ばす。
「ただし」
剣を掴む寸前でウェスが呟いた。手の動きがピタリと止まる。
「その剣を持っていった後お前がどうなっても一切責任はとらない」
「…何よ。脅しのつもりなの?」
ウェスはそれに答えず、じっとシェーラを睨み付けていた。
先程までは緊迫した状況ながらもどこか気の抜けた空気が残っていたが、今はピリピリと突き刺すような空気が周囲を支配していた。
暫し無言の睨み合いが続く。
シェーラは盗賊だ。それ故セキュリティや罠には人一倍敏感なのである。こうしてあっさりと差し出すあたり、何か仕掛けがありそうだ。ただ、あのウェストールという男は真実の中に嘘を仕込むようなことを平然と行う。勘とでもいうのか、そういうことはニオイで何となくわかるのだ。彼の言葉からは罠とまったく同じニオイがするのだ。それは彼女の盗賊としての経験を経た上での話で普通の者にはわからないだろう。
「ウェス、大丈夫?」
帰りが遅いことを心配したのか、クルリが通りから顔を出した。
「あっ! あんたは夕方の!」
「っち!」
シェーラは壁を伝い屋根に消えていった。置いていかれたか剣は、彼女の最終的な判断だった。
「ウェス!?」
「大丈夫だ」
ウェスは剣を拾うと、自分の腰に収めた。
「臨時収入も手に入ったしな」
ウェスはにこりと笑って役所の控えの紙を見せたのだった。
バトルのシーンを綺麗に描写している方は尊敬しちゃいます。
このお話はバトルに重きをおいているわけではありませんが、どうしても必要な場面はあるわけで…。
バトルだけならずも、ちゃんと書きたいなら勉強しないとダメだよなぁ…、と思ってみたり。




