第28話 ルルシュタッドの夜 2
ゆっくりしていってね!
というわけで、このくらいのペースに落ち着きそうです…。
既に時は夜半を過ぎていた。しかしルルシュタッドは眠らない街。こんな時間だというのに街は明るく、通りを歩く人の流れはとどまることを知らない。
そんな中、一人の女がとある宿屋を目指していた。桃色の髪を風に靡かせ、身軽な動きで建物を渡っていく。
「ふふふ、狙った獲物は逃がさないっていうのが私のもっとうなのよ」
一度は手に入れたあの大金の入った財布をおめおめ見逃してしまっては盗賊の名が廃る。
眠ったところをこっそり忍び込んで財布その他金目の物をかっさらおうという寸法だった。
目的の宿屋へと到着すると、屋根の上で一息つくため彼女は腰を下ろした。
建物は二階建て。一回はフロントと食堂、そして管理人の部屋になっている。部屋の数はそれらの部屋を除いて八つ。いたって普通の宿だ。あれだけの金を持ち合わせながら高い宿に泊まらないということは相当ケチなのだろう。だが、その方が彼女にとっては好都合であった。
高い宿はそれなりのセキュリティが敷いてある。それは番人だったり、魔術による結界だったり。いくら彼女が腕利きの盗賊とはいえ、それらを潜り抜けることは容易なことではない。
その点、普通の宿ならばそういったセキュリティは施されていないので、忍び込んだ部屋の主に気付かれなければそれでいいのだ。
「さてと…」
彼女は立ち上がると、明かりのついていない部屋を覗きこんだ。
宿屋の特定はしている。しかしさすがに部屋の特定まではできていないので、こうして一つ一つ確認していく必要があった。
一つ目ははずれ。無人の部屋。
二つ目は何処かの家族。あんまり金目の物は持っていなさそうだ。
三つ目。
そこに見覚えのある顔があった。青髪の女と金髪の少女。どちらもスヤスヤと眠っている。
あの青髪は王宮魔術士と自称していたが、本当だろうか。だとするならば相手にはしたくない。彼女はできるだけ物音をたてないようにして頭を引っ込める。
そして次の窓。
そこには例の財布の持ち主と、彼女を追い回した兵士が一人。
「…一人居ないわね」
頭を引っ込めると彼女は座り、考え始めた。
あんなことがあったばかりなので、警戒するのは当然か。おそらくもう一人は廊下を張っているのだろう。さすがに廊下の様子は伺い知ることができない。ここに一つ不確定要素ができてしまった。忍び込んでいる最中に部屋に入られたらそれだけで失敗してしまう。
それなら注意をそらすしかない。どこかで騒ぎを起こすのが一番だが…。
「キャー!!」
思わず彼女は身を屈めた。
何事かと思い、声のした方を見ると宿屋の裏の狭い通りで一人の若い女が幾人かの男達に囲まれているではないか。
「どうやらツキは私にあるようね」
彼女はニヤリと笑うとその光景を眺めた。
「っち! 黙ってろよこのアマ!」
掌で口を塞がれ、涙目の女は壁に押し付けられる。
「黙ってりゃわりぃようにはしねぇからよ。くっくっく…」
男は汚ならしい笑みを浮かべる。
この後何が起こるかは想像がつく。
自分の目的のためとはいえ、そんな光景を目の当たりにするのは彼女自身も嫌なのだ。本来ならば割って入り、やつらを片っ端から捻り潰してやるところだが、今は我慢せねばなるまい。
「んん!」
女の服が破られ、白い肌が露になる。
「へっへっへ…」
遅い。何をやってるの。すぐ近くでこんなことが起きてるのに。
誰か一人くらい飛び出してきてもいいはずだ。例えやつらに直接的に抵抗はできなくても助けを呼ぶくらいできるはずなのだ。そうすれば騒ぎになってチャンスができるというのに。
男達の手が女の服の中に入っていく。
「っち! 待ってらんないわ!」
もう見ていられなかった。
「あんたた―」
「やめろ屑共」
慌てて引っ込む。
「ああん?」
ようやく来た。彼女は安心して傍観者に戻る。
「って、あんたが出てきたの?」
出てきたのは財布の持ち主であるマフラー男。あの二人の兵士が出てくるものだと思っていただけに、彼女は意表を付かれた気分になった。
「ま、まあこれで仕事しやすくなったわ」
彼女は部屋を覗き込む。
すると兵士が一人、部屋の中で構えていた。
「………」
どうあっても財布を渡したくないと言うことらしい。でももう一人の兵士はどこへいったのか。
「リリア様! 起きてください!」
隣の部屋からそんな声が聞こえてくる。
「ああもう! こんなときまで起きないなんて! ウェストール様が勝手に飛び出してしまったと言うのに!」
「ウェスがどこかにいったの?」
「ああ、クルリ様。ウェストール様が悲鳴を聞いてどこかへ!」
「へぇ、そう。じゃあお休み」
「何を仰っているんですか! 早く追いかけないと!」
「ウェスはよほどのことがない限り無茶はしないから大丈夫だよ。…えっと、ビイサン?」
「エイサンです」
「ごめん。エイサンもウェスの財布に気を配っておいて。この混乱に乗じてあのシェーラっていう盗賊女が狙ってくるかもしれないし」
「は、はぁ…」
しっかりばれていた。
シェーラはポリポリと頭を掻いた。
しかし参った。ここまでしっかり守られていては手が出せない。
さっきまでは別の騒ぎを起こす手を考えていたが、この様子では何をしても一人は必ず財布につけていることだろう。あのしんどい鬼ごっこはもう御免被りたいところである。
仕方ない。一度事が収まるのを待ってから考え直すとしよう。
そう決めるとシェーラは裏路地の様子を傍観することにした。
「てめぇ一人で何ができるってんだ!」
「お前の顔、見覚えあるな」
「はん! 俺はてめぇなんか知らねぇな」
腕組みをしながら考えていたマフラー男だが、突然何かを思い出したように手を叩いた。
「そう確か、コザ・クヤレラヤ。強盗、強姦、薬の密売に殺し。10000Rの賞金首だな」
「クックック、そこまで知っていて手を出すのか? 手を引くなら見逃してやってもいいぜ?」
「たかが10000Rでほざくな小物が」
賞金首。確かに殺しまでやって10000Rでは安すぎる。つまりまだ犯罪歴は浅いと言うことだ。盗みしかしていないシェーラでさえ8000Rの懸賞金がついているのだから、やはり大したことはないのだろう。
「こっちは五人だ! いきがったことを後悔するんだな!!」
「………」
「やっちまえ!」
賞金首を除いて他の四人が飛びかかる。
だが所詮はチンピラ。狭い通路だというのに一斉に飛びかかるとは。
「ぐおっ?!」
案の定互いの体がぶつかり合いうまく進めないようだ。
マフラー男はため息もほどほどに正面の男の顔面を蹴り飛ばす。その反動で後ろにいた奴もろとも倒れた。
「馬鹿野郎! 一人ずつかかれ!」
立ち上がった男たちは一人ずつマフラー男に襲いかかる。それこそ彼の思う壺なのである。一対一ならば彼にはそれなりの自信があった。
「うおおおっ!」
マフラー男は一人目の攻撃を左に動いてかわすと同時に足をかけ、前のめりになった一人目に裏拳を撃ち込む。するとそいつは顔面を地面に擦りながら滑っていってしまった。
二人目はナイフを持っていて、一人目が転けるとすぐにナイフをつき出していた。刺さりそうになった寸ででマフラー男は屈む。瞬間的に彼を見失ったナイフ男は周囲を確認するが見つけられず、不思議そうにキョロキョロしていた。灯台もと暗し。マフラー男はナイフ男のつき出された腕を掴むと後ろへ投げ飛ばした。
続いて三人目、四人目が後ろから同時に襲いかかる。狭い通路とはいえ大柄の男二人くらいなら余裕ですれ違える広さはあった。マフラー男はすぐに振り返るが、同時に攻撃されてはさすがに手が出しにくいようだ。二歩、三歩後ろに下がると、すかさず腰の剣を抜いた。その間も二人の攻撃は止まず、マフラー男を追い詰めていく。先程投げ飛ばされた男の近くまで追いやられたとき、マフラー男は突然右側の男に剣を突きつけた。剣は男の右頬を掠める。怯んだ右側の動きが止まった。そして勢いのまま出てきた左側の男が仲間を気にした瞬間に、マフラー男は左側の男の爪先を踏みつけ腹部に一撃。痛みで屈んだところで後頭部に肘を落とす。左側の男は沈黙し、地に伏した。
最後にまだ怯んでいる右の男。マフラー男は剣を九十度捻ると、剣の腹の部分を男の頬に押し当てた。ひんやりとした剣の冷たさを感じ取った男は小さな悲鳴をあげる。その様子を見てマフラー男はニヤリと笑い、釣られて相手の男も笑った。マフラー男は両手で剣の柄を持つと、男の顔もろとも一気に振り抜いた。すると男は壁に叩きつけられそのまま意識を失った。
シェーラは感心しながらその光景を見ていた。
残るは賞金首のみだが…。
「んんー!」
捕まった女が何かを言いたそうにもがいている。しかし、シェーラがそれに気付いた時はもう遅かった。突然周囲が赤く照らされ、チリチリとした熱気が彼女のもとまで伝わってくる。
そこに掌を前に突きだしている賞金首の姿があった。
「焼けちまえっ!」
賞金首が叫んだ。
「危ない!」
『スカァァァレットストライクゥゥゥゥゥ!!』
通路を塞ぐようにして大きな火球が飛び出した。退路は確保されているが走っても逃げ切れる距離ではない。マフラー男は為す術無く火球に飲み込まれた。
炎が通路を包む。
シェーラは口許を押さえた。
殺られた。小物とはいえ、殺しをしているのだ。殺すこと事態に躊躇いなど微塵もありはしない。
「ひゃっははは! 死んだな!」
「んんん!!」
シェーラは立ち上がる。あいつが死んだ今、あの捕らわれた女を助けられるのは自分だけなのだ。
「あんたの死は無駄にしないわよ…」
「勝手に殺すな…」
「なにっ!?」
シェーラは再び身を屈めた。
「こんな狭い場所で火の魔術だと? 周りの家が焼けたらどうする。おまけに俺の後ろにはお前の仲間だって居たんだぞ」
炎が小さく一点に集束していく。炎が小さくなっていくと、その中からマフラー男の姿が見えた。
「な、なぜ生きてやがる! 確かに命中したはずだぞ! こいつで俺は何人も―」
「殺してきた、か?」
「ぐっ…!」
「まだあいつの炎の方が熱いな」
「利いてないのか?!」
「ああ、残念ながらな」
「くそがぁっ!!」
シェーラも訳がわからなかった。マフラー男が生きていることが信じられなかった。火を消すならば当然水が有効だ。同等の水の魔術なら炎を相殺することも可能だろう。だが、火に対し水の魔術を放ったのであれば蒸気が発生するはずだ。しかし、この場所に蒸気は発生していない。それにあの炎の消え方はどうもそれではないように思う。第一、魔術を放つにしても彼にそんな時間があったとも思えない。いったい何が起こったというのだろうか。
「ならばこいつはどうだ!」
賞金首が前に手を突き出した。
『地獄の雨は人々の涙。黄昏の彼方より出し数多の悪意にて滅ぼされた者達の恨み。流れ着くのは地獄だ!!』
賞金首が詠唱している。
しかし、マフラー男は何もせずにただ構えているだけだ。この状態でなにもしないということは彼には策があるのだろう。そう、さっきと同じことを繰り返すはずだ。
『リバァァァズストリィィィム!!』
魔術が発動すると川のようにな水が流れが発生した。腰ほどまで浸かる、急な水の流れだ。
「ひゃっは! 流されちまえ!」
「っち…」
「こいつはよぉ、直接的な攻撃力は低いが、相手を押し流すからな、逃げる時間稼ぎにはもってこいなんだよ!!」
「態々ご高説ありがとよ!!」
マフラー男が剣を構えた。
何をするかは知らないが、これで正体が掴める。シェーラはじっくりとその様子を観察した。
しかし、次に起こったことが彼女はすぐに理解できなかった。
ただ剣のひと振り。
それだけで水の流れは割れ、先程の炎のように一点に集束した後、消えていったのだ。
シェーラは驚いていた。しかし、もっと驚いたのは賞金首だったに違いない。
「な、な、なんなんだよお前は!!」
「ただの賞金稼ぎ」