第1話 薬草摘み
ちゃんとお話が始まるのはもうちょっと後かな…
この国には神様がいる。
信仰や祈りのための無形の対象ではなく、本当に実在し触れることのできる神様だ。神様と呼ばれる者には身体のどこかに必ず《聖印》とよばれる印がある。また、身体が丈夫で寿命は人の百倍あるといわれている。さらに《神術》もしくは《奇跡》と呼ばれる特別な力を操ることができる。
リスタニア王国西部、セイスト地方にある町、フォンヘイム。近くに鉱脈があり、様々な鉱石が採掘されることで有名だ。特に魔石と呼ばれる魔力を帯びた石は名産で国中に出荷されている活気のある町だ。
このフォンヘイムにも神様が居た。わけあってその素性は隠しているため、町の誰もその存在を知らない。まぁ、その神様自身も自分が神様だとか特別気にしたりもせず暮らしているのだが。
「あれがほしい!」
綺麗な金髪に結ってある青いリボンをフワリと揺らしながら少女は振り返った。透き通るような蒼い瞳と白い肌、幼さの残る顔つきだが、体つきも同じようなものなので見た目相応といったところか。可愛らしい少女だった。
彼女はクルリ・クルル・クルジェス。背中に聖印をもつ神様だ。
「却下」
一言でそれを一蹴する青いマフラーの男。年齢は四捨五入してぎりぎり二十歳。深い青色の髪と、黒に近い赤い瞳をしている。目付きはやや鋭いが、顔付きは整っており、落ち着いた印象を受ける。長いコートを羽織り、腰には剣を一本携えていた。
ウェストール・ウルハインド。ウェストール、と呼ぶには長いので皆からはウェスと呼ばれている。目の前でむくれている神様を一年前に助けた人物だ。
「ウェスのケチ!」
「ケチで結構。魔法石なんて到底俺たちの手の届く代物じゃない」
魔法石とは魔石の中でも特に質の良いもので、魔力強化、魔力補充など様々な効果を発揮する。魔術士にとっては喉から手が出るほど欲しいものだが、ただ単に宝石としての価値も高い。それ故値段も決して安くない。
「魔法石があればもう少し仕事も楽になるのに」
「馬鹿言え。採算が合わなくなる」
彼らの職業は賞金稼ぎ。大きな仕事があればいいのだが、そんな美味しい話が簡単に転がっているはずもなく、小さな仕事をこなしていくばかりのその日暮らしな生活を送っていた。しかし、ウェスはそれでいいと思っていた。お金はこつこつ貯めていたし、必要なもの以外は買わない性格だったので、それで十分だったのだ。ただ、この浪費家が現れてからというもの、彼の生活スタイルはあっという間に崩れ去ったのだった。
「それにこの間、勝手に金を持ち出して食べ歩きしたばかりだろ。あれで尚更金がないんだ」
「食べ物なら証拠が残らないと思ったんだけど、どうしてわかったのさ?」
「代わりにたくさんの証言が残ったよ…」
ウェスは呆れて肩を落とした。彼は思う。神様は神様でもこいつは疫病神なのではないかと。もしくは暴食の神。…そもそも彼女が、何の神様か分からないのだ。
事実、クルリの神様としての力は失われていた。つまり、神術や奇跡が使えないのだ。神様は使える力の種類によって《○○の神様》だとか呼ばれるようになる。歴史上では《戦の神様》や、《豊穣の神様》が有名なところだ。だから力の使えない彼女が何の神様であるのか分からないのである。ウェスが思っている通り《疫病の神様》という可能性もあるということだ。
マルコー医師は言っていた。彼女が力を使えないのは記憶喪失なのが原因なのではないか、と。
そう、あろうことかこの神様は記憶喪失だったのだ。記憶喪失と言ってもそれは少し違うかもしれない。きちんと会話ができるし、一応の礼儀というものも知っている。知識は残っているのだが、一年より前、つまり、ウェスに助けられる以前に彼女が何処で何をしていたのかという記憶のみごっそり抜け落ちていた。
「今日はどこ行くの?」
「仕事に決まってるだろ。主にお前の食費を稼ぐためのな」
「そーじゃなくて、どこへ仕事しにいくのってこと!」
「近くの森に薬草取りだ。一昨日の鉱山の事故で沢山の怪我人が出て病院に薬草が足らなくなったそうだ」
「地味な仕事だね」
「地味な上に重労働の鉱山の仕事もあったんだが、そっちの方がよかったか?」
「さあ! 薬草取りに行こう!」
勇み歩くクルリの後を、ウェスは苦笑いしてついていくのだった。
***
森はフォンヘイムを出てすぐの場所にある。この森は比較的安全な場所ではあるが、うっかり森の奥へ入ってしまえば恐ろしい怪物の餌になることは必至だろう。とはいっても、街道辺りから離れなければそんなに危険はない。子供達でも遊びに来られるほどの森だ。
「しんどい…」
「当たり前だろ」
ひたすら下を向いて草を抜き取る作業だ。せめてカゴ一つくらいはいっぱいにしなければならないのだが、思ったより労力が必要でクルリは開始20分程度で飽き始めていた。
「ウェス…」
「なんだ?」
「飽きた」
ウェスはため息を吐いた。クルリ摘んだ薬草はカゴの半分の半分にも満たない量だった。
「もう少しなんとかならないか?」
「私頑張ったよ?」
「…わかった。その辺で休んでろ」
クルリはこういう根気のいる作業が苦手だった。本人の性格柄じっとしているのが嫌いなのだ。変化に富んだ作業であれば彼女は喜んでするだろう。例えば、賞金首を追い詰めたり、怪物討伐依頼なら彼女は余すことなく力を発揮できる。
対してウェスは堅実な性格であった。地味な作業もそつなくこなし、討伐などの依頼も着実に成果を挙げていくだろう。
性格でいえば二人は正反対なのだった。
「ねぇ、ウェス」
「なんだ?」
作業の手を休めずウェスは聞き返した。
「私たちって貧乏だね」
「何を今さら」
「もっと大きな仕事しないの?」
「大きな仕事か…。最近は討伐依頼も見かけないな」
「なんかつまんない」
「そうだな。俺たちみたいな賞金稼ぎには少し辛いな。まぁ、逆に言えば世界は概ね平和ってことだろ」
「平和って、つまらないね」
「贅沢言うな」
「ほら、もっとこう、血沸き肉踊るような…」
「俺は御免被りたい」
「腰の剣が錆びちゃうよ」
「使わない方が錆びないに決まってるだろ」
「そーじゃなくて!」
ぷんすか地団駄を踏むクルリを横目にウェスは薬草を摘み続ける。勿論ウェスだって大金の入る討伐依頼を請けたくないわけではない。だが、そういった依頼が出されていないのでどうしようもなかったのだ。
ふと、ウェスは作業の手を止めた。そして森の一点を見つめる。
「どうしたの、ウェス?」
「しっ!」
確かに聞こえた藪を揺らすような音と自分達以外の呼吸音。血生臭い獣の臭い。
ウェスは立ち上がると、腰に携えている剣をそっと抜いた。奇妙な装飾の施された剣だ。その様子を見てクルリは状況を理解したのか、ウェスの後ろに歩み寄った。
「餌が欲しいなら森の小動物を狩るがいい!」
「…話が通じる相手じゃないの分かってるでしょ?」
「一応な…」
その時藪から黒い影が飛び出す。
二人はそれをかわす。
金色の瞳、大きく突き出た鋭い牙。黒と灰色の毛並みと尻尾を揺らしながらそいつは二人を睨んでいた。
「フォグウルフ?! どうしてこんなところに!?」
「さあな、見たところ一匹のようだが…、はぐれか」
フォグウルフは本来谷に生息する狼だ。彼らは霧の濃い時間帯に群れで狩りをする。視界が悪い霧の中で狩りをするため、その嗅覚は普通の狼のおよそ百倍だという。
それがどういう理由で森に現れたかは謎だが、慣れない場所で慣れない狩りをしようとしている。相当腹を空かせているようだ。
相手をするしかない。
「あいつには悪いが、クルリ、臨時収入だ」
「待ってました!」
狼の牙や毛皮は素材になるため、狩ればそれなりの収入になる。
狼は牙を剥き弱そうなクルリへ飛びかかった。当然の判断だ。狩りをするにあたって少しでも成功の確率が高い獲物を狙う。切羽詰まった状況なら尚更だ。だが、今回そのセオリーは通じない。力を失っているとはいえ彼は神様に飛びかかってしまったのだから。
クルリは2、3歩ほど飛び退くと魔術を発動させる。
『フロストガム!』
ちょうどクルリが立っていた場所に空振りしたフォグウルフが着地した。その後間髪入れずに再びクルリを追おうとしたのだろうが、足はなぜか地面から離れない。彼の足元にはいつの間にか水溜まりのようなものが出来ていた。ねっとりとした冷たい氷のような水溜まり。
「粘着質の氷ってどう? もがけばもがくほど深みにはまるってやつ」
「グルルルル…」
それを知ってか知らずか、フォグウルフはあがき続ける。それによって彼の体はあっという間に氷に絡め取られてしまった。
「ねちっこい魔術だな…。というか、いつ詠唱したんだ?」
「ふっふっふ、試合が始まる前から戦いは始まっているのだよ、ウェス君」
人差し指をピンと立て、得意気にクルリはふんぞり返った。
「ようするに、あいつが出てくる前からってことだろ」
「張り合いがないなぁ」
「それじゃあ手早く薬草摘みを終わらせよう」
氷に絡め取られ動けなくなった狼を見るとウェスは言った。
「えー」
「えー、じゃない! あいつが溶ける前にノルマを達成させるんだ」
「わ、分かったよぅ」
文句ばかりの面倒くさい自己中心的な神様だ。しかし、ウェスはクルリにはかなりの信頼をおいていた。剣しか扱えないウェスにとって、魔術が扱える彼女はとても心強い味方なのだ。唯一心配があるとすれば、彼女は治療の魔術がまるでダメだというところだ。それと普段の生活を何とかしてくれれば…、ああ、全然唯一ではなかった。
ウェストールの活躍の場はなかったですね。
剣抜いただけ(´・ω・`)