EP 39
こっちきて、と手招きされ、鏡台の前に座る。サクラさんがドライヤーを取り出してきて、ボオォォーとスイッチを入れた。自分でやりますとの言葉は完全拒否。私の髪を乾かしてくれる。
(こうやって社長にも、髪を乾かしてもらったことがあったなあ)
自分の中にしまっておいた、大切な思い出だ。いつのまにか、社長との日々は、私の中で美しく彩られている。Vチューバーのトーマくんが、遠くかすんでしまうほどに。
じわりと涙が出そうになった。
(社長、こんなに可愛いドレスを用意してくれていたんだ)
会議が始まる前や昼休憩のときに、さっと抜け出していくことがあった。
それは、こうしてドレスを用意するための、時間だったのだろうか。
「さあ、次はメイクね」
気がつくと、髪はすっかり乾き、そして編み込みで後ろ、大きめのリボンバレッタで留めてあった。
「あれ、いつのまに」
「ふふん。仕事早いでしょ? 私こう見えて、ヘアメイク部隊所属なの」
大振りの箱を荷物の中から引っ張り出して、フタを開けると、そこには。
たくさんのメイク道具がぎっしり詰め込まれている。
「いくわよ〜」
鏡ごしに見たサクラさんの顔が、にやりと笑っていた。
*
パーティー会場のドアからそっと中を覗く。
ビュッフェの料理はあらかたなくなり、デザートもほとんど残っていない。
社員はなかなかに酔っ払っていて、ふらふらしている人もいた。
(はあ。着替えさせてもらっといてなんだけど……こんな格好じゃ、中に入れないぃぃ)
きょろきょろと見渡しても、バケツを持ったお局の姿はない。
(社長と桂木さん、あの後どうなったんだろ……)
ドアの横でうろうろとしてみる。中に入る勇気がない。ドレス姿で誰かの前に躍り出たことなど、今の今まで一度もない。
トーマくんの生誕記念ライブのときに、少しオシャレしたぐらい。
「こんな慣れない格好……あーあ、このままバックレようかな」
よしそうしようと心を決めて、踵を返したところで、役員のイケオジ工藤さんに見つかった。
「あれ? 谷口くんじゃないの? どうしたの、中に入らないの?」
「はあ、もうお暇しようと思っていまして」
「なんで!? まだパーティーは終わってないよっ」
これは仮病でも使うしかないか?
「ちょっと気持ち悪くてですね……お先に失礼します」
行こうとすると、腕をぐいっと掴まれた。
「え、待って? もしかして、つわり?」
(;´д`)
なんでそーなる。頭沸いてるのかな? あーあふつーにハライタにしとけば良かった!