EP 29
「他にはありませんの?」
「そうだな。あとは、肉なしの肉じゃがですかね」
ふと笑って百合さんの顔を見ると、変な顔をしていた。『肉なし』が理解できないのだろうな、そりゃそーだ。俺は何を言ってんだ?
「とにかく私、お料理作るの大好きなんです。当麻さん、今度うちにいらしてください。手料理で、おもてなしさせていただきますから」
白く細い手を両に合わせて、ふふっと笑う。美しい笑顔。正しい化粧。伸びた背筋。微笑みの唇。
完璧だ。男はみんな好きになるだろう。そして、千景を諦めた俺も。
食事を終え、百合さんを車で送る。ハンドルに手をかけると、百合さんは横からその手に手を伸ばし、ぐっと握られた。その勢いに任せて、俺も百合さんの手を握り返す。
そっと百合さんを見ると、微笑みながら顔を近づけてくる。
キスの体勢だなこれは。そう解釈して自分も顔を近づけてみる。
(千景……)
はにかんだ笑顔が浮かぶ。
(千景!!)
俺は握っていた手を押し返して離すと、「百合さん、ちゃんとシートベルトして、掴まっていてくださいね。私、運転荒いので」と顔を背けた。
エンジンをかけ、アクセルを踏む。
少ししてから隣を見ると、百合さんは少しだけ不機嫌そうだ。
良い雰囲気を台無しにした自覚はあった。
が。
発動してしまったのだ!!
なんと蛙化現象が!!
顔が近づいてきたとき、俺は百合さんの顔をしっかりと見つめていたはずだった。すると、尻からぞわぞわとしたものが這い上がってきて、ぶわっと湧き上がる嫌悪感に巻き込まれていった。
(うわあ、なんかダメだ。申し訳ないけど、気持ち悪いかも……)
家へと送り届けてさよならし、自分の家へとなんとか戻った。
それでも。
千景、千景、千景!!
頭の中は千景でいっぱいだ。
他の女とキスをしようとして、俺にはやっぱり千景しかいないと、これほどまでに思い知らされる。
俺はカバンを放り投げると、スマホを取り出してコールした。
もちろん千景の番号だ。
プルルルルと音が鳴り、そして5コールで千景が出る。
『はい。もひもひ』
あれ? 千景?
「こんな時間に悪いな。ちょっとその……カエルの調子が、な」
『しゃちょー?』
「ああ、そうだ」
『カエルぅ〜が、どうかひまたか????』
「おまえ、酔ってるのか?」
千景も酔っ払っているかもだが、俺も嫌悪感で気分は最悪だ。スピーカーにし、ちょっと待ってろと言って、冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出す。そして、ぐびりぐびりと飲むと、少しだけ落ち着いてくる。
スマホに話しかける。
「おい、どれくらい飲んだんだ?」
『あーね缶ビール3ぽん。ねー』
「結構飲んだな、」
そして今日の顛末を話そうとした時、千景の「ねー」の後に、男の声がした。
『もう寝たほうが良いよ』