EP 28
*
「どうしたんだ? どこか調子が悪いのか?」
「いえ、そうでは……えっと……はい」
「千景がアポを取るのを忘れるなんて、そうそうないからな。よっぽど具合が悪いんだろう。今日はもう良いよ、帰りなさい。明日も休んだらどうだ?」
「わ、忘れたのではありません……ただ、社長が以前、女性と二人の会食はキャンセルしてもいいと仰ったので……」
「ああ。それは撤回しただろう? 先日、レストランで会った沙羅さんにも約束したからな。百合さんに連絡を取って、食事のセッティングをして欲しい」
「でも社長……あれは百合様も社交辞令で、」
歯切れが悪い千景の様子が気になったが、俺ははっきりと言った。
「百合さんは田川財閥のご令嬢で、これからもお付き合いができれば、こちらの利益にもなる」
「承知しております」
「だったら、予約をしておいてくれ。千景の誕生日に行った、あのホテルのレストランで良い」
びくっと身体を揺らしたが、いったいどうしたのだろうか。
「ですが社長、社長の蛙化現象はまだ治っていませんので」
今度は俺の身体が揺れた。
「千景、そのことについては報酬も払ったし、もう良いと言ったはずだ。カエルはたぶん完治しているはずだよ。最近はしごく調子がいいからね。自分でもわかるんだ、なんとなくだけど」
「承知しました」
顔色が良くない。
「そのアポを取ったら、もう帰りなさい。送っていけなくて、すまないが……」
「とんでもありません。それでは失礼します」
よろよろとしながら、千景は社長室を出ていった。
(本当にどうしたんだろう……)
まさか!!
俺はスマホを取り出し、Vチューバーアイドルのトーマくんのインスタを開けた。
「引退とかじゃねーだろうな」
いや、引退どころか新しい動画配信中だ。それなのに千景はどうして……。
「はは。もう諦めたじゃないか。千景は俺のバカに付き合ってくれただけだ。お金に目が眩んでな」
ふふと笑う。
「あの200万でトーマくんグッズを買うって息巻いてたけど、俺が全部買っちゃったからなあ」
どうするんだろう、貯金するのかな。結婚資金とか。
一気に胸を暗黒の雲が覆い尽くしていった。
「はあぁ。俺以外の男と結婚なんか、見てらんねえかもな……」
くそっと吐き捨て、ソファにどかりと座った。
*
「当麻さん、お好きな料理はなんですか?」
田川財閥の令嬢、百合さんとの会食は穏やかに始まった。
仕事の付き合いだけではそうそう出会うことのない、上流階級との接点。百合さんに良い印象を持ってもらえれば、大きなクライアントを紹介してもらえるかもしれない。
少し姑息ではあるが、それをビジネスチャンスと狙っての食事会だった。
「私はそうだな、ダイコンの金平ですかね」
「あら! 私の得意料理です」
「そうですか」
クスッと笑ってしまった。千景が作ったダイコンの金平は、味が染みていてすごく美味しかった。
目の前には、フレンチのメインディッシュ。ただ、美味しい料理が目の前にあるというのに、あの金平がもう一度食べたいという思いに駆られてしまった。忘れられないのだ。
(はあぁ、未練タラタラだなおい)