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第5話:何でも屋

 信二にとって自分の病室はこの世で唯一安らぎを得られる場所だった。閑散とした室内、締め切られたカーテン、電子ロックの掛かった入口。そのどれもが、この部屋を信二の聖域たらしめるために重要な要素だった。ここは信二が唯一、一人でいられる場所だった。それを信じて信二は部屋の扉を開けたのだ。しかし、


「……?」


 開けたドアの向こうでは何時もとは全く違う景色が広がっていた。病室の奥では入るはずの無い日光が差し込み、普段感じることの無い自然の暖かさが信二の頬を刺激した。そして、その不自然な空間の中央には、一人の少女が腰掛けていた。長い黒髪を風になびかせながら、その少女はただ窓の外を眺めていた。


(不法侵入、だよな。これ)


 怪訝な顔を少女に向けながら信二は近くにあるナースコールにゆっくりと歩み寄ろうとする。が、部屋に一歩を踏み入った瞬間、窓際の少女はハッとしたように信二の方に振り向いた。腰掛けていた窓枠から飛び上がり、モデル人形のようにきれいな姿勢で信二の方に体を向けた。


「……? あ、あの! 東信二さん、ですよね?」


 ナースコールに手を伸ばしながら静止する信二の姿勢に一瞬不思議な顔を浮かべるも、少女は信二に問いかける。


 「……はぁ、まあそうですね。あなたは?」


 小さくため息をつきながら、信二は伸ばしていた手を下ろす。目の前の知らない少女が自分の名前を知っていた。信二が今の情報を理解するにはこの情報だけで十分だった。


 「あ、すみません。私、『嘉山(かやま)ミライ』って言います。よろしくお願いします!」


 自分の名前を名乗りながら、ミライは深々と頭を下げる。信二は言われた名前を脳内で繰り返すもやはり出てこない。その事実に刻まれた眉間のシワを寄せた。


「…………?! あはは」


 その様子を見てミライは自分がさっきまで腰掛けていた窓枠を一瞥すると小さな苦笑いを浮かべた。その様子に信二はハハハとだけ返すと病室の奥の方へ足を進めた。


(そういうことじゃないんだけどなぁ)


 バツの悪いように笑顔を浮かべるミライに信二は内心ツッコむ。


「まぁ、どうぞ」


 そう言いつつ、信二はベッドの向かいにある椅子を手で示す。示された椅子にミライが座ると、次いで信二もミライの向かいの椅子に腰掛けた。


「それで、本日はどのようなご用件で?」


「は、はい。あの、実はですね……」


 信二の社交辞令に反応したミライはそのままの流れで要件を口にしようとする。顔を俯かせどこか落ち着かない様子で話すミライに、信二は絶えず冷めた表情を浮かべていた。チラつかせる目線は一見の光があるように信二には見えた。


「…………?」 


 決死がつかない様子で言葉を濁らせていたミライの動きがピタリと止まる。同時に、信二の背を悪寒に駆け抜けた。次の瞬間、ミライは俯かせていた顔を上げると、身を乗り出して信二に言い寄った。


「あ、あの! どうして私が依頼のためにここに来たってわかるんですか!」


 要件を話す途中、唐突に顔を寄せるミライに信二は唖然とした顔を浮かべる。目の前のミライの瞳には先程とは違うキラキラとした期待が浮かんでいた。


「どうしてって、ここは私の病室ですし。失礼ですが、私はあなたのことは知らないですし。状況的に依頼をしにきたと考えるしかないでしょ」


 まぁ、勝手に入るのはどうかと思いますが。と、心の中で付け加えつつ、信二は呆れたようにミライに説明する。それを聞いたミライは残念そうな表情を浮かべると、乗り出した体を椅子に腰掛けなおした。

 数秒の沈黙が病室内に降りる。開け放たれた窓の外から入る日差しが冷めた空気温め、病室を舞う微量のホコリが照らし出す。ミライは未だに決めあぐねている様子で気まずそうに視線を泳がせ、信二はただ依頼主がその内容を話すのを待っていた。

 そんな沈黙を破ったのは、病室にいる二人の言葉ではなく、室外から響くノックの音だった。


「入るわよー! 東ー、いるわよねー」


「だから不法侵入ですよ、それ」


 ノックの返事を待たず扉を開けた津加留に信二はすかさず苦情を上げる。が、津加留はまるでその声が聞こえていないかのようにスタスタと病室の奥へと歩を進めた。


「まだ依頼内容は話してない感じかしら?」


 信二の座る椅子の近くまで足を進めた津加留は二人に現状の確認する。その言葉に依頼人であるミライは気まずそうに苦笑いを浮かべてみせた。やれやれといった様子で津加留は大袈裟にため息をつくと、踵を返してベットに腰掛けた。


「まぁ、別に早くしろって言いに来たわけじゃないよ? 色々気になったから来ただけだし」


 まるで予想通りと言わんばかりの津加留の物言いに信二は眉をピクリと動かす。


「東? 依頼人に話を促すのもあんたの仕事の一部だと思うけど?」


 目を合わせようとしない信二を見ながら津加留は諭すように話す。気まずそうに黙る二人の視線が病室内を右往左往する。視界に入った津加留の笑みを見ると信二は諦めたように言葉を口にした。


「依頼人がどんな依頼で来ているのかはわかりませんし、話そうとないならそれを無理に聞き出すのはやめたほうがいいと思いますけど」


「思考読めるんだろ? そのくらい察してできるでしょ」


 悪戯な笑みを浮かべる津加留を信二は睨みつける。担当看護婦である津加留はこの病院の誰よりも信二の才能をよく知っている。少なくとも信二はそう思っていた。だからこそ、津加留の言葉の真意を信二は理解できた。今までも同じような理由で津加留は信二を病室から出そうとしたことはあった。そして、信二は何かにつけてそのことごとくを拒否し続けた。だが、今回は病室内でのボランティアで逃げ場はない。ニタっと笑う津加留の顔が信二を無性に苛立たせる。


「やっぱり、そうなんですか?」


 と、信二が津加留に言葉について考えていると、目の前の椅子から声が届いた。呟くような小さな言葉ではあったが、それでも静寂とした病室では十分な声量だった。


「……あの、一つだけ約束してくれますか?」


 消え入るような、振り絞るような声でミライは言葉を発する。その声に津加留と信二は視線をミライの方へと戻す。手を膝の上で強く握りしめ、怖さを振り払うようにミライは言葉を続けた。


「私の話を聞いても、笑わないで欲しいんです。変なお願いなのはわかってます。でも……」


 不安に揺れるミライの言葉を信二はただ聞いていた。顔を俯かせ、詰まらせた言葉を続けようとどりょくするミライ姿に信二は深くため息をついた。


「……それが依頼であるなら約束します」


「……え?」


 信二の言葉をミライは呆気に取られたように顔を上げた。そして、確かめるように信二の方に視線を向けた。


「内容がどんなものであれ、それが依頼であるなら、私はそれを笑いません」


 その言葉を聞いた瞬間、曇り空が晴れるかのようにミライの顔に笑顔が灯った。


「ッ! ホントですか! ありがとうございま───」


「──ただし」


 勢いのまま、お礼を口にしようとしたミライを信二が制する。急に止められたことに動揺したミライはキョトンとした顔のまま、その場で固まってしまった。


「依頼を引き受けるかどうかは別の話です」


 それを聞いて今度は津加留は満足そうに笑みを浮かべた。ミライは満面の笑みを浮かべると、大袈裟に頷いて見せた。


「それじゃ、ご依頼内容をどうぞ」


「は、はい!」


 信二に促され、ミライは勢いそのままに返事をする。が、依頼内容までそうはならなかった。顔を俯かせ手を胸に当てる。大袈裟に大きく息を吸い、そして吐く。その光景に信二と津加留はただただ息を飲んで見守っていた。

 数秒ほどの静寂の後、胸に当てた手を強く握りしめ、意を決してミライは顔を上げる。


「私の考えてること、教えて欲しいんですッ!」


「…………は?」


 ミライから提示された依頼内容に信二だけでなく、津加留までが目を丸くした。

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