第4話:第二国立総合研究病院
佳織の言葉に疑問を残したまま帰路についた信二は、気づけば病院のロビーまでたどり着いていた。閑散とした人たちが行き交うオレンジ色の光景は、信二が毎日のように目にしている
ものだった。変わらない風景のロビーを横切り、信二は廊下の突き当りにるエレベーターを目指して歩みを進める。
(あの人、一体何考えて……)
肩にかけたカバンを握りながら、信二は佳織が言った言葉の対処に思考を巡らせる。
“詳しいことは病院で聞け”
佳織が言ったその言葉がどういう意味なのか。それは信二が病院で行っている慈善事業『何でも屋』への依頼のことだという検討はついていた。
天才は年齢に関わらず社会貢献をすることが法律で義務付けられている。その方法は多岐にわたり、病院内での慈善事業、フリーランスでの活動、企業への就職などがある。そして、信二は社会貢献の活動として何でも屋という慈善事業を行っている。その内容は困っている人を助ける、というシンプルなものだった。
「はぁ」
たどり着いたエレベーターの前で小さくため息をつく。何でも屋に来た依頼がどのようなものなのか。まだ聞いてもいないその内容に信二は既に頭を抱えた。
「あれ、東くん?」
手で頭を抑える信二の後ろから幼児のような甲高い声が聞こえてきた。振り返ると、そこには自分の背丈ほどある長い黒髪をした少女が信二の方を見つめていた。そして、信二と目があった少女はハッと目を輝かせると、無邪気な笑顔を浮かべて近づいてきた。
「今帰りですか?」
トコトコと小動物のように駆け寄ってきた少女『由乃 結衣』は信二の前で足を止めると、足りない身長を補うように上目遣いで目線を合わせる。発せられた言葉はか細く、少し触れただけで砕け散るほど脆弱なはずなのに、聞いていると心が落ち着くような不思議な感覚だった。
「まあそうだな。お前は仕事の帰りか?」
無邪気な結衣の視線に戸惑いながらも信二はあくまで冷静に対応する。結衣も信二と同じく病院内での慈善事業を行っている天才であり、その活動の人気は遠方から足を運ぶ価値のあるほどのものだった。
「はい、今ちょうど終わって部屋に帰るところなんです」
眩しいほどの笑みに信二は困った表情を浮かべる。自分に対しての態度、口調、仕草、そのどれもが信二には理解できなかった。
「あぁそうか、それはえっと、おつかれさん」
「はい! ありがとうございます!」
信二のたどたどしい言葉に結衣は元気な声でお礼を返す。
が、その後どう言葉を続けるかわからない信二は目線を脇に逸して黙り込んでしまった。対面する結衣も信二の反応に動揺したように目をキョロキョロとさせていた。
「あ、あの、一緒に帰ってもいいですか?」
自身なさ気に話す結衣に信二は疑問を浮かべる。信二と結衣は同じ階に部屋があり、エレベーターはすぐ目の前にある。この状態で一緒に移動する意外の選択肢が信二には思い浮かばなかった。
「別にいいけど。すぐそこだぞ?」
質問の意図を理解できないまま、信二は疑問をそのまま投げかけた。結衣は当然のように返答した信二に結衣は一瞬キョトンとした顔を浮かべるも、すぐ我に返ると慌てふためきながら急いで言葉を返した。
「え? あぁ、そ、そうですよね! エレベーターすぐそこですもんね! そうですよね! あはは……」
歯切れ悪いように笑う結衣は、落ち着かない様子で顔を下に向けた。もじもじと指を絡めさせながら、シュンとした様子で立ち尽くす結衣に対して、信二は再び声をかけた。
「まあどうせ同じだから、一緒にもどるのはいいけど」
その言葉を聞いた瞬間、下に向けていた顔に満面の笑みが灯った。
「ホントですか! ありがとうございます!」
「お、おう……。えっと、じゃあ行くか」
「はい!」
まるで幼児のように喜ぶ結衣に信二は気圧されながらゆっくりと歩みを再開する。隣でウキウキな歩みを見せる結衣を疑問視しつつも、それを言葉にしようとはしなかった。それよりも周囲から眺める患者たちの微笑まし気な目線と、看護師たちからの嫌悪の目線が信二には気になって仕方がなかった。
エレベーター前でボタンを押すと、数秒も待たない間に扉が開いた。それに結衣は少し残念そうな表情を浮かべるも、素知らぬ顔で入る信二を見て、自分も急いでエレベーターへと入る。
「…………」
信二たちが乗ったA棟3Fへの直通エレベーターは病院内でも限られたごく一部の人間しか使わないため特殊なエレベーターだった。そのため、このエレベーターに人が乗っていることはごく稀である。つまり、今エレベーター内には、信二と結衣の二人のしかいない。
「……あ、あの」
エレベーターの表示灯をひたすらに見つめる信二に結衣は申し訳なさそうに言葉をかけた。そんな結衣の言葉に対し、信二は軽く相槌だけを返すだけで、言葉を続けようとはしなかった。
「東くんって高校1年生になったんですよね」
「ああ、まあそうだな」
振り絞るような結衣の言葉を信二は興味なさ気に聞き流す。ただひたすらに表示灯を眺めるだけの信二をチラチラと見ながら、結衣は次の言葉を探す。
「その、どうですか、新しい学校は。楽しいですか?」
「あぁ……普通かな」
恐る恐る話す結衣の言葉に信二は少し考えた後、言葉を返した。結衣の年齢は信二のひとつ下であり、本来なら中学最後の年を過ごしている頃だ。しかし、結衣は中学どころか、小学校すら通ったことがなかった。その間の義務教育は全て病院内でやっている、と以前に結衣は信二に話していた。
それを考えると、結衣の次の言葉は信二にはおのずと推測できた。
「普通、ですか。学校は楽しい所だって聞いてたんですけど」
確かめるような結衣の言葉に信二は目線だけを向ける。病院の外は屋上から眺める風景でしかない世界に思いを馳せる少女に、どう次の言葉をかけるべきか。言葉を推測はできたとしても、信二にはそれがわからなかった。
「人それぞれなんじゃないか? そう思うやつもいれば、ただ面倒に思うだけのやつもいるよ」
「人それぞれ、ですか……」
信二の言葉に説明を求めるように結衣は首を傾げる。結衣にとって学校とは、義務教育で教えられたイメージしか無い。それならば、今の言葉を理解出来ないことは至極当然のことだ、と信二は思った。
「楽しい奴らはそういう奴らで集まって楽しいだろうし、そうじゃない奴らは一人で退屈してるって感じだな」
隣で疑問符を浮かべる少女に配慮しながら、信二は慎重に言葉を口にした。少女の夢を壊さず、しかし授業の中で学んだ事とは少し異なる。現実を突きつけるのではなく、少しづつ矯正していく方が結衣のためだと信二は考えていた。
「なんだか、寂しですね。みんな仲良くできたら、もっと楽しいはずなのに」
呟くように言葉は発しながら、結衣は胸元でモジモジさせていた手を握りしめた。思い悩むように顔を下に向け、信二の言葉を噛み締める。
「そうだな」
小さく呟いた信二の言葉は結衣には聞こえていなかったようで、横目で見える結衣は顔を俯かせたまま、微動だにしなかった。
「……あのッ!──」
──ピンポーン
決心面持ちで放たれた結衣の声はエレベーター内に鳴り響いたベルによって阻まれ、信二まで届くとこはなかった。信二は開かれたドアに向かって我先にと言わんばかりに歩みを始める。結衣もそれを見るなり急いで信二の背中を追うしかなかった。
「お?! やっと帰ってきたね!」
エレベーターを降りるなり、左からの声が信二たちを歓迎した。その声を聞いて信二はあからさまに苦い顔を浮かべる。隣にいる反対に結衣は満面の笑みを浮かべて声の主に対し大きく手を振っていた。二人の相反する反応をよそに声の主はナースステーションから出て、信二たちの方へと歩いて来た。
「ずいぶん帰りが遅いから心配したんだぞ! 結衣ちゃんはお仕事の帰りだよね。お疲れ様!」
「ありがとうございます! えっと、都加瑠さんもお仕事お疲れ様です!」
笑顔で話す反面、結衣の言葉はどこかたどたどしかった。
「相変わらず良い子だね、結衣ちゃんは」
澪は高らかに笑い、結衣の頭をグリグリと撫で回す。そして、その奥で目を背ける男子の方に悪戯な目線を向けた。
「で? あんたはなんでこんな時間まで?」
「学校でやることがあった。それだけだ」
「ふーん、やることね……。で、進路調査書は書けたのかい?」
見透かすようなその言葉に信二の眉がピクリと動いた。知っているならわざわざ言うな、と言わんばかりに都加瑠を睨むも、それは都加瑠の悪戯な笑みを深めるだけの効果しか持たなかった。
「戻る」
相変わらない都加瑠の顔に嫌気がさしたように目線を外し、信二は自分の病室へと歩き出した。
「あ! 東くん!」
「いいよ結衣」
信二を呼び止めようとする結衣を都加瑠が制止する。信二の背中が少しづつ遠ざかり、廊下の突き当りを曲ったとこでその姿を消した。その光景を見届けると、都加瑠そっと小さくため息をついた。
「あ、あれ言うの忘れた」
都加瑠の惚けたような声は隣の結衣の首を傾げるだけで、伝えたい信二本人に届くことはなかった。




