リリー・ラングル(身分詐称)は今日こそ黒歴史様を見下したい
そこは王立魔術学院ファジール。
勉学、魔術ともに国内トップレベルの名門校である。
この学園の特徴は階級や家柄によるヒエラルキーが存在しない事。在学中は皆等しく一生徒という概念のもと日々神経をすり減らしながら勉学に打ち込み、定期テストでは熾烈な順位争いを繰り広げている。
ちなみに、ファジールの定期テストは学期ごとではなく一月に一回。
成績が悪ければ即時退学も厭わない超がつくほど能力&成果主義が売りで、ここを卒業できれば一生食いっぱぐれないと世間ではもっぱら有名である。
ちなみに留年がない。システム自体が存在しない。‥‥‥‥‥‥鬼でしかない。
私、リリー・ラングルはそんな鬼畜校の三年生だ。
そして聞いて驚くことなかれ‥‥‥私は三学年主席生徒である。
『‥‥‥‥‥‥本当かよ?』と思った、そこの君。今から証拠を見せてあげましょう。
例によって本日は学力試験の結果が発表される日なのだから。
(鏡よ鏡、この学園で一番優秀なのはだぁれ?)
このおまじないは必須。私が順位表を拝見する前のルーティンがこれ。
これをしないと一位死守の喜びを全身全霊で表現しそうになるからだ。鏡じゃなくね?とか細かい事は気にしてはいけない。
いよっっしゃあぁぁぁぁっ!!と快哉を叫んで飛び上がりながら万歳をしない為に己を振り返るという意味で“鏡”という言葉で暗示をかけているだけ。
成績常時一位の王者たる者、隙を見せてはならず。
フ‥‥‥当然ね。と冷静に受け止めて下々の生徒たちに威厳をアピールしつつ憂いを滲ませるぐらいで丁度いい。
『誰ぞ、私と対等に渡り合う猛者はいないのかしら?』‥‥‥とね。
まぁそんな人、いるはずがないのは分かっている。もはや執念で取り組んできた試験勉強で流れた血と汗はこの三年間一度たりとも私を裏切ることはなかったのだから。
私が住む学園の寮から徒歩十分ほどで初等部の校舎がある。試験翌日には校舎入口前に順位表が掲示板に張り出されるのだが‥‥‥あれ? 今日はいつもと違って掲示板の周囲が何やらざわついている。
動揺? ――いや、驚愕に近いものがある。‥‥‥‥‥‥もしかして、いやもしかすると?
お?となりつつ集団に近づいていく。
すると「まさか」とか「嘘だろ」とか戸惑った声が密かに聞こえてきた。
(‥‥‥これは、ひょっとして‥‥‥‥‥‥!!)
とうとう現れてしまったのではなかろうか。
もはや都市伝説とも言えよう。学園創立から約百年、数多の天才たちが果敢に挑んだもののそれでも到達できなかった前人未踏の最高値――オール満点の神が。
「ごきげんよう、皆さん」
入学以来連続で学年1位の座に輝き続ける王者としての貫禄を見せつけるかの如くちょっと気取った挨拶をする。すると集まっていた生徒達が一斉にこちらを振り返った。
「‥‥‥‥‥‥?」
‥‥‥‥‥‥何というか、バケモノでも見た、的なその顔は何?
驚き過ぎて声も出ません、みたいな。顔面蒼白な生徒までいるし。あ、そこのあなたは目玉が落ちそうですよ大丈夫?
「リリー!?」
人垣の隙間を掻き分けながら声を掛けてきたのは同級生のサシャ。私の数少ない友達であり親友。いいえ、命がけで試験攻略の為に手を取り合う戦友と言った方がいいかしら。
そんなサシャだが、真っ青な顔でやって来たと思ったらいきなり私の両肩をがっちり掴んできた。
「リリー! リリー!! あぁ、リリー!!!!」
「ちょっ、なに? え?」
お願いだから揺らすのはやめて。頭がガクンガクンしちゃうからやめて。
今にも泣きそうな顔で固有名詞を謎に連呼するサシャの手首を掴んで押し戻す。瞳いっぱいに涙を溜めたサシャを宥めようと、とりあえず「落ち着いて?」と一言声をかけてみる。
――が、今度はムギュっと抱きしめられてしまい、私は大いに戸惑った。
「どうしちゃったの‥‥‥‥?」
すると肩口から嗚咽混じりのくぐもったサシャの声が聞こえてきた。
「‥‥‥順位‥‥‥! 満点が‥‥‥満点が!!」
満点‥‥‥‥‥‥だと!?
「――ちょ、ごめんサシャ」
居ても立っても居られなくなって、サシャに謝罪しつつ身体を捩って抱擁から抜け出すとすぐさま掲示板へと駆け寄った。
胸の鼓動が鼓膜の奥で鳴り響く。興奮で身体が熱くなっていく。緊張と期待で胸どころか頭まではちきれそうだ。
遂に夢の満点を取る者が現れた。
とうとう、とうとうこの瞬間が来たのよリリー!!
スー、ハ~‥‥‥
目を瞑り、一度大きく深呼吸をして理性を搔き集めた。頭の中では既に満点である800点の文字が私の名前の隣に記載されている図が浮かんでいる。
そうだ、この時がいつ来ても良い様に何度も脳内シミュレーションをしてきたじゃないか。
冷静よ。冷静。私ならいつか、と教師陣からも期待されてきた。それだけ並々ならぬ努力はしてきたじゃないか。粛々と結果を受け入れなければ。いつものように――。
さぁ――来るなら来なさい!! 絶望と歓喜の悪魔、じゃなくて順位表!!
私は覚悟を決めて目を開けた。
“1位 ルイル・トゥルー 800点”
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は?」
夢でもみているのだろうか?
念のため目を擦ってみた。
“1位 ルイル・トゥルー 800点”
(おかしいわ‥‥‥‥‥‥)
次いで頬をつねってみた。――やりすぎた。凄く痛い。‥‥‥え、痛い? じゃあこれ現実?
(私の名前は?)
全神経を眼球に集中させて文字通りの意味で血眼になる。
無い。無いわ。私の名前が1位の欄に無い!! 嘘でしょっ!??
だがそこでふと、直ぐ下の欄が目に入って、私は一瞬ホッとした。
リリー・ラングルの文字を見つけたのだ。――なんだ、焦って損をした。奇しくも同点で限界値を達成した者がいるだなんて。そりゃあ驚くも何も。一度に二人も満点がいるなんて誰が想像できる?
同点が複数人いる場合は出席番号順で記載されるのだ。ちなみに私は早生まれである。
だけど、ホッとしたのは本当に“一瞬”だけだった。
“2位 リリー・ラングル 789点”
「‥‥‥‥‥‥2位?」
――え。
――――え?
理解した途端、眩暈がした。目の前が真っ暗になるってこんな感じだったんだ‥‥‥。
一気に力が抜けて頭の中が真っ白になる。ペチャンと座り込んだ私にびっくりしたのか周囲からどよめきの声が起こった。
「しっかりしてリリー!!」という親友の必死な呼びかけがどこか遠くの方で聞こえている。
2位。2位。この私が? 寝る間も惜しんで死ぬ気で書きまくって、それどころか瀕死寸前までノートに没頭した私のこれまでが――。
積み上げた努力が一瞬で無に帰したような絶望感だった。全身がドッと重くなって、額と背中からぶわりと冷や汗が噴き出した。
「‥‥‥‥‥‥うそよね‥‥‥?」
それからどうやって教室まで行ったのかは記憶に無い。気が付いたらホームルームが始まっていて、私をどん底に突き落とした張本人が教卓の前に立っていた。
「皆試験突破おめでとう。――で、移動教室の前で悪いがこれから転入生を紹介する」
つやっつやのオールバークが特徴の我らが担任の男性教諭の目配せを受けて、その隣に並び立っていた見知らぬ少年がコクリと一つ頷いた。
そして一歩前に出て、名乗り始めた。
「このたび公立ディディア学舎から推薦を貰いノース・マリから来ました‥‥‥ルイル・トゥルーです」
ルイル――と耳にした途端クラス中が騒然となった。そして私も、目が覚めたような気分で彼を凝視した。
新雪を思わせる見事な銀髪に色白の肌。若干女の子みたいに中性的だけどしっかり男だと分かるくらいには精悍な顔立ち。いかにも平和主義ですみたいな温和そうなオーラを放っている彼に、男の子達からは落胆が、そして女の子達からは密やかな歓喜の声が上がった。
――こいつが1位の。
かくいう私は闘争心剥き出しで彼を睨み付けていたのだが。
「はいじゃあ席は‥‥‥あそこね、窓際の――」
担任が指を差した方角は教室の一番後ろ。教卓から出口にかけて階段のように高くなってく作りで、私から見て向かって左側の窓際だった。ちなみに、私の席は窓とお隣さんだ。二人分仕様の長机で、今まで奇数人だったため私の隣には誰もいない――はずだった。
だけど担任が示しているのはそんな私の左隣の場所に他ならなくて。
‥‥‥‥‥‥隣かよ。
女子から羨ましそうな視線がいくつも飛んできた。誰でもいい、代わってくれ。
「――隣、いいかな?」
やってきた彼がそんなことを訊いてきた。
(いいも何も先生が決めた席じゃない)
ありったけの不満を視線に込めつつ渋々頷いてやった。
「‥‥‥どうぞ」
「ありがとう」
すかさず応じ、ルイルが椅子に座った。
「これからよろしく――名前は?」
と、ルイルが微笑みながら訊ねてきた。隣の席だし仕方ないのだが、今の今までピンク色だった注目がたちどころに嫉妬深いものになって私を攻撃してくる。やめてくれ。
というか「よろしく」だって? 私を学年1位の座から引きずり下ろしといて仲よくしろと? しかしあからさまな無視も出来ないので、
「‥‥‥リリー・ラングル」
素っ気なく返しておくにとどめた。これで“お前と慣れ合う気はさらさら無いぞ”感は出せたのではないだろうか。
‥‥‥と、思ったけど期待したほど効果はなかったようだ。女子の視線が相変わらず痛い。ルイルに至っては「リリーか、改めてよろしく」などと1ミリもこちらの気持ちが伝わっていなさそうな爽やかな笑顔。
進級するまでずっとこれが続くのか。それも、わたしの常勝不敗神話を打ち破ったこいつと隣同士なんて。一体なんの罰ゲームなのだろう。
中断していたホームルームが再開され、やっと女子たちの視線攻撃がやんだところで私は卓上に突っ伏した。
「‥‥‥‥‥‥ねぇあんた、どうやって満点取れたの?」
しばし経ち、ホームルームがそろそろ終わろうかという頃。私はこっそりと彼に小声で切り出してみた。
「え?」
「どうやって満点を取ったのか、て聞いてんの。どんな風に勉強したのよ? それとも前の先生がめちゃくちゃ優秀だったの?」
どうせ一年間隣なのだ。関わらないでいることの方が難しい。ならばこいつがどういう奴かだけは知っておかなければと思った。
(こいつの油断をついて次は1位に返り咲いてやらないと)
打算まみれ? ‥‥‥上等よ。私の目標『主席のまま卒業』を阻止したことがどれだけ重罪か。それに百歩譲って、ぶっちゃけありえないが不正手段を用いた可能性だってある――かもしれないじゃない。
大陸模試を一度だけ受けた事がある私だからこそ言えるが、公立の学校で学べることなんて、ここと比較にならないほどお世辞にもレベルが高いとは言えないのだ。
(絶対になにか裏があるわ)
王立校の私達でさえ無理なものを、普通の学び舎出身の子がいきなり800点なんて、ありえない。だがしかし、ルイルは少し考えた後、
「‥‥‥とくになにも」
「は?」
返ってきた答えに、思わず間抜けな声が出た。
「どういう事?」
すると彼は穏やかに言った。
「事前に送られてきた教科書を読んで、そうしたらたまたま満点で――」
‥‥‥‥‥‥たまたま?
試験ってそんな軽い言葉でクリアできちゃうものだっけ?
息が止まりそうになる。
私は常日頃勉強して全力投球でやっとあの点数なのに? 私は彼の云う「たまたま」に負けたの?
呼吸が荒く、早くなる。
しかも教科書を読んでって、ただ読んだだけってこと?
私は言葉を失って、微笑するルイルを唖然と見つめた。
「名門校だって聞いていたからちょっと不安だったんだけど、思ったより難しくなくてホッとしたよ。ここに来るまでも――」
“む ず か し く な く て ?”
彼の言葉は途中から聞こえなくなっていた。
「難しくなくて」が何度も頭の中で再生されて――すると心に満ちていた虚無感が突然怒りに変わった。
頭の中で何かが切れた。
次の瞬間、私は立ち上がっていた。
「――ふざけないでよっ!!」
机をバン!と両手で叩きつけ、吐き捨てるように叫んでいた。
いきなりの私の激怒にクラス中の視線が殺到したが、そんなもの気にしている余裕なんか無くて。
驚いて固まったルイルをこれでもか!と睨み付けた私は、こみ上げた怒りをそのまま文章に変えて口から外に吐き出した。
「私が、いいえ私たちどれだけ試験に賭けてきたか知ってる!? ――どうせ知らないんでしょうね!? ここは全力で学ぶ人の為の場所で全員が自分の未来を切り開くために高い学費を払って必死で血の滲むような努力をする場所なの!! たまたまとか、難しくないとか、そんな言葉で私達を全否定するなんて許せない!!」
「‥‥‥そんなつもりじゃ」
「つもりじゃなかったらナニ!? もう少し配慮のある言葉でも言ったってわけ!? そんな心にもない慰めなんか必要としている人間はねぇ、ここにはいないのよ!!」
――悔しい!! ただ一つ、その思いをぶつけて私は奥歯を噛み締めた。
“私達”だなんて。本当は“私”だ。体よくみんなの気持ちを代弁した風を装ったが、結局は自分が負けて悔しかっただけ。そんなのは分かっている。
ルイルは少し眉根を寄せた。不快だったのかもしれない。そりゃそうだ。転入初日でいきなりこんなやっかみを受けたら気分は最悪だ。
しかし、黙り込んだ私を見つめる瞳にはあまりにも真剣な光があって。やがて彼はぽつりとこぼす様に「ごめん」とただ一言そう言った。それから、「悪気はなかった」とも。
でも、負けず嫌いだった私はそれをどうしても受け入れたくなかった。
「‥‥‥‥‥‥アンタなんかに負けないから」
「――え?」
「次は負けない、絶対に! 私が1位になったら今日の事を三つ指ついて土下座して謝らせてやるから覚悟しなさい!!」
土下座!? どこからか悲鳴じみた声が聞こえた。しかも今時三つ指ついてって‥‥‥とかヒソヒソ話す声も聞こえるが知った事か。
ルイルはしばし呆然とした後、
「‥‥‥‥‥‥うん、いいよ」
――いやダメだろ!!!
まさかの了承に、その場にいた全員が揃って驚愕した。
「その言葉、後で取り消そうったってそうはいかないからね」
「大丈夫。約束は守るよ」
「‥‥‥いい度胸。これまで無敗の絶対1位を取り続けてきた私を軽んじたことを海より深く反省するがいい!!」
「‥‥‥‥‥‥それどこの悪役のセリフ?」
こうして、卒業までの八年間。私とルイルの血で血を洗う壮絶な1位争いが幕を開けた。
♢♢♢
ルイルが転入してから一年が経った。
白状しよう。私はあれからずっと2位である。‥‥‥‥‥‥ジーザス!!!!
一年前の私も今の私も試験には一切手を抜いたりしていない。それどころか日を追うごとに私の勤勉さは苛烈なものになっていった。
二度目、2位。
三度目、2位。
負けるたびに努力した。それはもう死ぬ気で努力しまくった。勉学でも魔術でも運動でも何でも、私はこれまでよりさらに自分を追い込んでストイックに頑張り続けた。
七度目くらいにもると、どういうわけか教師陣も躍起になっていた。
完全無欠の満点を連続で叩き出すルイルと、ほぼほぼ満点付近を行ったり来たりする私のために試験の難易度を上げたのである。
他の生徒が付いていけず、ちらほらと赤点を取り始めたあたりで小規模の抗議が起こったりもした。
それから難易度は元通りになったのだが‥‥‥‥‥‥それでもやっぱり満点の彼には勝てなくて。試験の結果が出るたびに、私は順位表の前で悶絶する羽目になった。
「次は1位をとってやるから! 枕を高くして寝られる日はないと思いなさい!!」
「うん。その台詞は三度目かな」
――余裕か。
「頑張るのもいいけど、あんまり無理はよくないよ? 2位だって凄い事じゃないか」
――だから余裕か。
「試験前にちゃんと睡眠時間とってる? たまには休息もとらないと。あとデザートばっかり食べるのは良くないと思う」
――母親か。だんだんと世話焼き婆さんみたいなお節介まで焼きはじめるから癇に障る。
「アンタに心配されたくない!!」
「そう? じゃあ次はがんばって。2位のリリー?」
「ぐっ‥‥‥今に見てろ!!」
と、こんな感じの会話を親友のサシャが毎回生暖かい目で見守ってくれる。
そのうち試験以外でも勝負をするようになり、運動会ならどっちが多く1位を取れるかとか、文化祭ならどっちの企画が評価されるかだとか、図書室の本の読破数から教室まで早く辿り着いた方が勝ちとか。クラスメイトから次第に「また始まったよ」と呆れられるくらいの頻度で勝負を繰り広げた。
そうしたらいつの間にか、私達三人はいつも一緒にいるという、謎の絆(?)で結ばれた関係となっていた。不本意だ。
ちなみに、サシャからこそっと聞いて知ったのだが、ルイルにはファンクラブなるものがあるらしい。名前はまんま『ルイル様を愛でる会』だそうだが‥‥‥どの辺を愛でているだろう?
愛でる要素なんてなくない? 難関校でぶっ続けの満点をとる可愛げも何もない怪物のどこを愛でろと‥‥‥‥‥‥。そもそも“様”ってナニよ。
ついでに言うと、遅れて私にもファンクラブが出来たそうだ。
その名も『ガリ勉上等!打倒主席・下剋上の会』‥‥‥‥‥‥ガリ勉については認めよう。だが私はいつルイルの下の者になったのよ。いつ。
ルイルのファンはほぼ女子。私のファンは主に男子。なんて分かりやすい図なのだろうか。
そうしてさらに時は流れて私は十歳になった。ファジールの五年生だ。
これまで魔法技術は基礎でしかなかったものが、とうとう応用編に入る。
そして新学期のその日‥‥‥私がこの学園にきてからずっと楽しみにしていた“召喚の儀”という授業があったのだ。
「フフフ‥‥‥ついにアイツに目にものを見せてやれるのね! 魔導士としての私の実力を思い知るが良い!!」
召喚の間にて。ウッキウキで語る私の横にはサシャがいる。遊ぶ時間を減らしても側にいてくれる彼女は本当に良い子だなと心の底から思う。
「はいはい、勝てると良いね。ていうか召喚獣に勝ちも何もあるのかよく分かんないけど‥‥‥」
「何言ってるの? 全然あるから!」
「‥‥‥そう?」
ピンときていないのか首を傾げるサシャ。
「当然よ、だってこれはきちんと得点として成績に反映されるんだから」
召喚の儀では己を守る使い魔を呼び出し契約する。
体の中の魔力量や素質が大きく関係し、普通の魔導士なら使い魔の姿は並みの動物であることがほとんどだ。でも――そうじゃない“幻獣”という、珍しい生物を呼び出す魔導士がときどきいるのだ。
もちろん幻獣であれば最高得点。並みの動物なら召喚獣そのものの魔力量で得点がつけられるというわけだ。
――で、私が狙っているのは、その希少生物である幻獣を呼び出してルイルにギャフンと言わせてやろうということ。
私は講堂の端っこで女の子に囲まれているルイルをちらりと見やった。
(‥‥‥ふっ、アンタの栄光もここまでよ! なぜなら私が幻獣を呼び出すのは確実なんだもん!!)
幻獣さえ召喚できればプラス得点となる。オール満点(希望的観測)プラスの脅威の成績であんたの寝首をかいてやる!!
‥‥‥‥‥‥と、意気込んだまでは良かった。
「リリー・ラングル! 凄いわ! 幻獣召喚成功よ!!」
講師の歓声で、おお!とどよめきが講堂内で起こった。私が召喚したのはシャルベーシャの幼体。翼のあるライオンの子供だった。
「やった! やったわ! 私にも幻獣が来てくれた!!」
これ以上ないほど嬉しくなって、私は召喚したシャルベーシャを抱きしめ感極まってしまった。
嬉しい! やっとルイルに勝つことができるのね!! 本当に良かった!! よくやった私!!
勝利を確信した、その直後。
「こ、こっちも‥‥‥! ルイル・トゥルー! 幻獣召喚成功です!」
――なんだって??
感動の瞬間から一転。隣の魔法陣を見て、私は腰を抜かした。
「‥‥‥‥‥‥ユ、ユニコーン?」
ルイルの前にいたのは、真珠の輝きを放つ見事な一角獣で。それも幼体ではなく成体のほう。
ルイルが呼び出したのって‥‥‥幻獣どころか“聖獣”じゃない!!?
真っ白になっていく頭の隅で何かが崩れていく音がした。
ショックで顔を青くさせる私に、現場を確認していた講師の無慈悲な歓声が耳朶を掠めていった。
「――こ、これは!! 小さいが翼の芯骨があるぞ!! 間違いない、これはユニコーンではなくペガサスだ!!」
聖獣から神獣にレベルアップ‥‥‥だと????
(有り得ない。あんた何者?)
心の中でぷつりと糸が切れたような気がした。
ルイルがあまりにも眩しくって、遠くて――あれ? ホントに遠くなっていってるんですけど。
目の前が徐々にぼやけていく。世界が急にひっくり返った。
「先生! リリーが!!」
サシャの慌てた悲鳴を聞いたのを最後に、私の意識はそこで途絶えてしまった。
♢♢♢
それから日々も、絶えず私は努力に努力を重ねていた。
やることは一つ。できることも一つ。ただひたすらあいつに勝つために日々精進をするのみ。
そんな私を見てか、サシャがだんだんと辛そうな顔をするようになった。
「ねえ、もうやめたほうがいいよ」
何度そう言われたか分からない。気が付いたら十一歳になっていいて、あっという間に一年が過ぎた。現在十二歳。私はファジールの七年生になった。
「もうルイル君に勝つとか意地を張るのやめようよ」
「ダメ! 私はこの学園を一番で卒業するって誓ったんだから! ルイルは何が何でも越えなきゃいけない山であり谷なの!」
「でも‥‥‥」
「それにもうすぐ魔術技能検定がある! 今手を抜いたら1位にはなれっこないんだから!」
演習場で夜遅くまで魔法をぶっ放し続ける私をサシャは本気で心配してくれた。何度か魔力切れになって医務室のお世話になったこともあったが、次の日には這ってでも授業には出た。
不幸な巡りあわせもあったもので、私はこの四年間ずっとルイルの隣の席だった。
ガス欠(魔力切れ)でフラフラの私に対し、やたら彼はしつこかった。サシャと同じような言葉で慰めてくるが、因縁のライバルから送られる塩を私は無視し続けた。
時にはその手を払ったこともある。私があんまりにも冷たくしたせいか、やがて彼は何も言わなくなった。ほどなくして目も合わなくなった。
あの召喚の儀が境だったように思う。
私もルイルも憎まれ口(これは主に私からだけど)を叩き合いながら、それでも普段からそれなりに会話だってしてきたのに、いつの頃だろう‥‥‥他愛のない会話が無くなったのは。
そんな絶不調の中での技能検定は、私至上最悪の結末となってしまった。
七年生で行われる魔術技能検定は極めて実践的な攻守魔法の試験である。
王立のファジールでは生徒の大半が卒業後に何かしら皇室に関わる、つまり公務員として働くことが多い。その中で半数が騎士団を選択する事から、より本格的な戦闘訓練を取り入れて早くから現場慣れをさせるのだ。
なかなか画期的でチャレンジングだが、これがなにかと危険が多い。
検定の内容は単純。学園の管理する森に魔物の幼生を放って、それを捕獲もしくは倒す事。
捕獲で二点。倒すのは一点。より多く得点を稼いだ者が優勝。成績にももちろん反映される。
スタートと同時に生徒がいっせいに森の中へと駆けていく。
不調続きだった私は‥‥‥‥‥‥多少出遅れてしまった。
それが原因で、焦った私は愚かなことに「検定中止」の笛の音を聞き漏らしてしまった。
「‥‥‥‥‥‥おかしいわ、どうして誰もいないの?」
森の中を探索しつつ、私はサシャや他の生徒の姿を探していた。
「魔物の姿もないなんて‥‥‥」
もしや狩場を間違えたのか?
少しでもポイントを稼ぎたかった私はできるだけ人気の少ない場所を選んで魔物を捕獲していた。
先頭をユニコーンに乗って駆けていったルイルとはまだ大幅にポイントを離されたまま。新しい狩場を見つけようと召喚したシャルベーシャに辺りを確認してきてもらったところで、この現状に気が付いた。
「ねぇヴィータ、ちょっとスタートポイントまで戻って様子を見てきてくれない?」
私は自身の召喚獣にヴィータという名前をつけていた。ヴィータは私の横をぴったりとくっついて歩きながら、小さく首を振った。
『リリーをおいていくなんてできない』
主人の魔力が高ければ召喚獣も人語を話せるようになる。心細くなった私の感情が伝播したのかもしれない。不安げに喉を鳴らしたヴィータを宥めるため、私はその小さな頭を撫でてやった。
「私なら一人でも大丈夫だから」
ヴィータはまだ小さく、ルイルの召喚獣のように騎乗はできなかった。
『でも今のリリーはいつもと違うし』
「大丈夫よ。ちょっとの間だけでしょう? あなたの翼なら十分と経たずに帰ってこられるわ」
『そうだけど‥‥‥‥』
「それにおかしいのは森の中だけじゃないの。緊急連絡用のカッセルまでうんともすんともいわなくなっちゃって――」
『‥‥‥!!』
私がその気配を察知した瞬間、ヴィータも同様に足を止めた。森の奥を睨んで唸り声を上げたヴィータに、私は咄嗟に下がるように命じる。
『リリー! 何かいるよ!!』
「分かってる」
不気味な気配だった。今まで感じたことのないような重苦しいオーラ――殺気と言い換えてもいい。それが木々の奥の暗がりから靄のように流れてくるのが分かる。
ざわざわと風もないのに揺れ出した木々を覆うように、暗がりが徐々に広がっていく。
脳内でけたたましい警鐘が鳴り響いた。
「‥‥‥ヴィータ、すぐに先生にこの事を知らせて」
ハッとしたヴィータに目配せし、今すぐ飛ぶように促す。だが、渋るヴィータはなかなか動かない。
「ヴィータ!!」
叫んで、やっとヴィータが踵を返した。何度も振り返りながらそれでも翼を広げて飛翔を始めたヴィータの姿を確認し、私は前方へと向き直った。
杖を呼び出し、詠唱を繰り返してシールドを二重に展開しておく。いまだ正体の見えない相手だ。用心するに越したことはない。
「いったい何なの‥‥‥?」
禍々しい瘴気の源を恐る恐る見つめる。
(初めての検定でこんな大物が出るなんて‥‥‥先生はそんなこと一言も言ってなかったのに‥‥‥)
と、考えていたその刹那だった。
ビュン!!
瘴気の奥から真っ黒い大きな鎌が伸びてきたのだ。真っ直ぐ振り下ろされた大鎌がシールドの頂点にぶち当たった途端、バチバチと音を立てて稲妻が生じた。
「くぅ‥‥‥‥‥‥っ!!」
今にもシールドを破かんとする大鎌を、全神経を杖に集中させて必死に耐える。それでも一枚目のシールドはものの数秒で砕け散ってしまった。
シールドは残り一枚。新たに張り直している暇は無い。せめて反撃の手立てがあればいいのだが、そんな余力もない。もともと消耗していた魔力はもう‥‥‥底が見ていた。
「誰か‥‥‥! 助けて!!」
いよいよ限界が近づいて、シールドが薄っすらと明滅し始めてしまう。あの大鎌に貫かれる自分の姿が脳裏を過った。恐怖が体を突き抜け全身に震えがはしる。
死にたくない!!
ギュッと目を瞑った――その直後だった。
「リリー!!」
空から叱声が響いてきた。それと同時に、大鎌に光の矢が何本も炸裂する。苦しむバケモノの奇声が木霊して、すると矢を受けた部分から大鎌が灰となって消えていった。
しかし攻撃はそれだけに留まらず、瘴気に向かって続けざまに光球が雨の如く勢いで降り注ぎ始めた。
ハッとして、見上げた空の先には一体のペガサスがいた。
まさか‥‥‥。
信じられなかった。それでも一瞬見えた銀髪は見間違えようもなくて。舞い降りてきた召喚獣と、その背から飛び降りて駆けてきた彼の姿に、私は縋るように手を伸ばしていた。
「‥‥‥‥‥‥ルイル!!」
彼は――ルイルだった。
「この馬鹿!! どれだけ心配したと思ってるんだ!!」
ホッと安堵したのも束の間、ルイルから強く抱きしめられた。
ルイルが本気で怒鳴る姿なんて‥‥‥初めて見た。
今の今まで危険な目に遭っていたというのに、彼の腕の中で考えてしまった事と言えばそんなどうでもいい事だった。
そこでふと、首に回っていたルイルの腕が微かに震えている事に気が付いた。反対に私の方はいつの間にか震えがおさまっていた。
「‥‥‥‥‥‥来てくれて、ありがとね」
「――そんなの‥‥‥当たり前じゃないかっ!」
なんだ‥‥‥本気で嫌われたわけじゃなかったのか‥‥‥。そこにもついホッとした。
それからすぐに教師陣と、遅れてヴィータが戻ってきて、私はルイルに抱きかかえられるかたちで強制的に医務室に運び込まれた。
彼のお陰で無傷だったものの、連日魔力切れをくりかえして疲れ切っていたせいか、まるまる二日間ぐっすりだった。
寝込む私のそばにはずっとルイルが付き添ってくれていたと後にサシャから聞いたけど、授業は平気だったのだろうか?
万全な状態になるまで医務室から一歩も出すまいとするルイルはいつもの百倍くらい口うるさい母親感が出ていたのだけど、不思議なことにそれをやかましいと感じる事はまったくなくて。むしろ彼がそばにいると安心するようにさえなった。
もう少しルイルと一緒にいたい――かも。私がやっと医務室軟禁から解放される頃には、そう思うようになっていた。
♢♢♢
「‥‥‥上級生用の魔物が神獣の気を嗅ぎつけて暴走したんだが、まさか結界まで突破するとは‥‥‥我々の管理に問題があったことは間違いない。本当に申し訳なかった」
これでもかと謝罪を繰り返して深々と頭を下げる先生たち。今回の騒動で色んなところから事情聴取を受けたと聞いていたけれど、先生たちはみんな在りし日の私よりも疲れ切った顔をしていて、同じく謝罪のために呼び出されていたルイルと思わず顔を見合わせてしまった。
――魔法を専門とする学園はなにかと危険が多いのは入学前から知っている。それを承知で入試だって受けたし、合格通知が届いた時には覚悟もしていた。多分、みんなそうだと思う。
とはいえ今回は九割がた先生たちが悪いみたいなんだけど。‥‥‥こんなにやつれた人たちを前にこれ以上責める気にはなれなかった。
「‥‥‥‥‥‥ていうか、ルイルの召喚獣が原因かよ」
教室から出た直後、ジト目で隣にいるルイルを見ると、彼は少しシュンとした面持ちで肩をすくませた。
「‥‥‥‥‥‥面目ない」
神獣なんて、私が知る限りあなたの召喚獣ぐらいしか知らないんですけど?と言えば、ルイルはハ~と深く溜息を吐いた。
「何かと便利だからってユニコーン‥‥‥じゃなくて今はペガサスか。ちょこちょこ呼びだすのやめたら?」
「‥‥‥気を付けるよ」
「あ、いや、そんな真面目に受け取らなくても。普通の魔物は神気を怖がるから偶然だって」
そんな会話をしながらも、私はルイルの横顔ばかりに気を取られていた。
こいつ、いつの間にこんな背が伸びたんだろう? ここ一年くらい避けていたせいか全然知らなかった。
遠慮なくじろじろと眺めていたせいか、さすがのルイルも気が付いたようで、
「‥‥‥なに?」
ちょっと引かれた。
「いやぁ‥‥‥大きくなったなって」
しみじみとそう言うと、「お母さんか」というツッコミと苦笑いが返ってきた。
「改めて見るとやっぱ顔だけは良いのよね」
「だけって‥‥‥」
「ファンクラブがあるのも分かる気がする」
「ええ‥‥‥なにそれ初耳」
盛大に顔を顰めた彼が面白かったので、悪乗りしてみることにした。
「ちなみに会員制で月額500G、入会料は10000G。会員になるとブロマイド3枚と5分お話タイムと、音楽の授業で録音したルイルの生歌‥‥‥」
「――ストップ!!」
廊下のど真ん中でフリーズしたルイルが青い顔で叫んだ。わなわなと肩を震わせて絶望する彼に、耐えきれなくなった私はあたかも他人事のように大爆笑をしたのだが‥‥‥‥‥‥秘密にしておかなければ。
実は私がサシャに頼んで、その伝手から超激レア“ルイルの寝顔写真(隠し撮り)”を譲ってもらったということを。
――マジでいつ撮ったの? ホラーだよ。
♢♢♢
長かった学園生活にもいよいよ終わりが見えてきた。
もうすぐ16歳になる。現在ファジールの最上級生だ。
全カリキュラムを修了した生徒達の雰囲気はびっくりするほど和やかだった。
それは――成績争いという名の死闘を生き抜き、嵐のような就職活動期を乗り越えた私たちにやっとこさ訪れた安寧の時間である。
完全に行き遅れた青春を残り少ない学園生活で取り戻すかのように、そこかしこでカップルが誕生した。今さらかよ。
就職についてだが、ファジール校の名はやはり伊達ではなかった。貴族以外の生徒たちの就職活動が始まるや否や8割が「お先に失礼」と、あっさり内定をもらい、残る2割も夏休み期間中に無事内定を獲得した。
ほとんどの生徒が狭き門である官吏を希望したというのに、さすがは名門校だ。ここで磨かれた不屈の精神は鬼畜面接官のいじめのような追求などもろともしなかったらしい。
カリキュラムが全て修了すると同時に、卒業を待たずして学園を去る者もいた。自分の歩む道を見据えて各々準備を始めているのだが‥‥‥その光景を見ていた私は急に寂しくなってしまった。
(‥‥‥長かったようで、実は短かったような)
何とも言えない切ない気分にさせられる。
荷物の少なくなった寮の自室をぼんやりと眺め、私はこれまでの事を思い出した。
(結局、ルイルには勝てないままだったなぁ)
彼は転入してきてから8年間、一度も1位から落ちることはなかった。
(私も頑張ったんだけどね)
あいつは本物の化物‥‥‥じゃなくて天才だった。
人が努力してやっと辿り着けるかどうかの高みを、彼は平気な顔で凌駕した。それはもう、軽やかに。
だからといって諦めるリリーではなかったが、残念なことにリリーの努力が火付け役となって彼をより覚醒させてしまったのだった。
ルイルは在学中に“国家魔導士”の資格を取得した。
国内にほんの一握りしかいない大魔道士となってしまったのだ。その恩恵で爵位まで与えられ、今や教師陣よりも格上の存在となっていた。
才能はあれど、国家魔導士の受験枠にリリーは入れなかった。その時点でリリーは“負け確”となってしまった訳だけれども、当のルイルはそれをひけらかすでもなく最後の定期試験まで勝負を続けてくれた。それもどこか楽しそうに。
「また次も待ってるから」
クスクスと笑いつつ、悔しがるリリーを宥める彼の爽やかな嫌味。もはや口癖のようになっていたが‥‥‥‥‥‥その言葉を聞くことは、もう、ない。
窓際に腰を掛けていたリリーはふと外の方を振り返った。
夕暮れ時。もう時期に鐘が鳴るころだ。
卒業記念パーティーの開宴時間まであと少し。そろそろ支度を始めた方がいいかもしれない。
学園最後にして最大のこのイベントで私は‥‥‥‥‥‥ルイルにありったけの心の丈をぶちまけようと思う。
♢♢♢
十年ぶりくらいじゃなかろうか――こんなにお洒落をしたのは。
現在の私は本気モード。いつもの清楚重視なスタイリングとは一味も二味も違う。
パーティー用に私が選んだドレスは真っ白なスイングドレス。大人っぽいラウンドネックにレースやビジューが細部にまであしらわれた今年最新のもの。わざわざ王都の人気店から取り寄せた一級品だ。髪形もメークもドレスに合わせて抜かりない。
そのせいで思っていたより時間がかかってしまったが‥‥‥まぁそこは仕方がない。
一世一代の大勝負をしに来たのだ。気合も入るってもんだ。
私が会場に入った瞬間、音が止まった。
だいぶ遅れてしまったせいかもしれない。視線という視線が殺到して来た。
どうよ、これがあのガリ勉リリー(いつの間にかそんなあだ名がついていた)の本領発揮よ! なんて内心で呟きながら会場の中を見渡した。
ルイルの居場所は――直ぐに分かった。
おおかた予想していた通り、女子にわんさか囲まれていたからだ。彼を探す場合は女子の群れをまず見つけること。これ鉄則。大物の魚よろしく確実にルイルがその中心にいる。
ルイルの方も私に気が付いたらしい。驚いた顔をして、周囲の女子たちに何か声を掛けてから小走りにこちらへとやってきた。
(へぇ‥‥‥ルイルは普通に制服なんだ。これは勝ったわね)
と、謎の理論を脳内で展開しつつ、私は彼の前でこれ以上ないぞってくらい丁寧なカーテシーを決めた。そして顔を上げるなりすかさず、とびっきりの笑顔で挨拶をする。
「これはこれは大魔道士様、リリー・ラングルがお目に掛かります。パーティーは楽しんでいらっしゃいましたか?」
置いてけぼりをくらった女子たちの残念そうな表情を横目にそう言うと、ルイルが微妙な顔をした。
「‥‥‥楽しそうに見える?」
「いいえ、まったく!」
私の語尾に(笑)が入った事でますます渋い顔つきになるルイル。
まあ、でしょうね? あの女子の群れは全員ファンクラブ会員だし。盗撮までされた身としては全然楽しめないよね? 噂だと最近の写真の中には着替え中の‥‥‥やめておこう。
「イヤならはっきり言えばいいのに」
呆れながら言うと、ルイルはでっかい溜息を吐いた。
「‥‥‥言って分かるような人たちならこんなに苦労はしてないね」
「あぁ‥‥‥でしょうね」
憐れな奴だ。憐憫の情を禁じ得ない。ルイルの今の顔を例えるなら完全にお通夜だ。正直すまんかった。
(ダンス‥‥‥っていう顔じゃないわね、これ)
会場の中央では、ゆるやかな曲調に合わせて男女が手に手を取り合ってワルツを踊っている。できればその輪の中に自分も混ざって女子力とやらを発揮したかったのだが‥‥‥ルイルはさっきからやたら周囲を気にしていてそれどころではなさそうに見える。一刻も早くこの場から去りたい。そんな様子だった。
できれば、今頃彼氏と一緒にパーティーを楽しんでいるであろう裏切り者のサシャに一言声をかけたかったけれど‥‥‥諦めよう。
「ねぇルイル、ちょっといい?」
ルイルの制服の裾をちょんちょんと引っ張ると、彼はやっとこっちを向いた。
「なに?」
「あのさ――話したい事がある」
ルイルの目を見て真剣にそう告げれば、何となく察したのだろう。彼は黙って頷いてくれた。
会場を後にした私達は屋上に移動した。
まだ肌寒い季節柄、冷たい夜風に腕を摩っているとルイルがローブを取って私の肩にかけてくれた。
いいわよべつに、あんたが寒くなるじゃん。と断ろうとして、だがルイルから「いいから」と強めに制され渋々引き下がる。
「風邪をひかれたら困る」だなんて、相変わらずの母親感だ。いっそ嫁としてどこかに嫁いだ方が良いのではなかろうか。
しばらくお互いに黙ったまま夜空を見上げていると、やがてルイルの方から話を切り出した。
「‥‥‥驚いたよ」
と、いきなり言われたので、
「何が?」と返す。するとルイルが穏やかに笑った。
「いつもと全然違うから」
ああ、格好のことね? と納得する。
「ふふふ‥‥‥私だってお洒落すればこれくらい。どう? 今の私なら美の女神テーゼにも負けてないと思わない?」
「うん。凄く綺麗だよ」
冗談で言ったのに。まさかの不意打ちをくらってしまった。
「‥‥‥‥‥‥真面目に言われると照れるわね」
「本当のことを言っただけだけど」
なぜそんなにナチュラルに木っ端図かしい事が言えるのか。もっと恥ずかしがるなりすればいいのに――と思うリリーである。居心地が悪くなったのは結局私だけじゃないか。
「‥‥‥そういうことを恥ずかしげもなく言えるところがホント腹立つ」
「じゃあ訂正しようか?」
「それはそれで腹立つからイヤ」
「‥‥‥どっちなの?」
ルイルは苦笑いしつつもどこか楽しそうだった。
こうやっていつも彼が笑って、そしてリリーがむくれて――そうやって過ごしてきたこの八年。思い返せば、こんなとりとめのないやり取りでさえ、いつだって彼が上手だったように思う。何だかんだで事を丸く収めてしまうのだ、ルイルは。広げた風呂敷をゆっくりと綺麗に畳むように。
出会った当初は確かに嫌いだったはずなのに。しかし、憎み切れなかったのもまた事実。
どうしてなんだろうなぁと何度も考えて、そのうち見つけた一つの答えに我ながらしっくりきたっけか。
なんだかなぁ‥‥‥リリーは深く溜息を吐いた。
「‥‥‥結局、アンタには勝てないまま卒業かぁ」
「“三つ指ついて土下座”までの道のりはまだ随分と長そうだね?」
これみよがしにちらりと視線を流してきたのは絶対にわざとだ。
「もう試験は無いから、次は別の勝負を考えないとね」
ルイルはクスクスと肩を揺らした。だけど私は上手く笑う事が出来なくて、
(次、か‥‥‥)
彼から視線を外して遠くの方を眺めた。
言わなくてはならない。
リリー・ラングルとは、もう二度と会うことなどできないのだと。
「リリー?」
ルイルが不思議そうな顔で覗き込んでくる。私はそこでやっと、覚悟を決めた。
「――次は、ないわ」
「え‥‥‥」
「だから、次なんてないのよ、もう」
キョトンとしたルイルを見上げ、はっきりと告げる。
「なぜ?」
当然の如く訊ねてきた彼の表情はあまりにも冷静で、もう少し驚くと思っていたリリーはやや面食らった。
「‥‥‥まさか、冗談だと思ってんの?」
訝しんでそう問えば、ルイルはゆっくりと瞬きをした。とくに答えるふうでもなく、黙ったままジッとこちらを見つめている。読めない彼の心情に、リリーはわずかに顔を顰めた。
「これは本当の事よ。私はもうアンタに会えない」
「会えないんじゃなくて、会わないの間違いじゃないのかい?」
「――は?」
「いつでも会えると思うけど? 僕はそう思ってる」
「‥‥‥残念だけど、ありえないわね」
「へぇ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥それだけなの?」
「なにが?」
「私、これでも真剣に別れの挨拶をしてるんですけど」
するとルイルが苦笑し、
「杞憂だと思うよ、それ」
やけに自信があるような言い方だった。
「‥‥‥なんか根拠でもあるわけ?」
「根拠? そうだな‥‥‥僕が君に勝ちたいからかな?」
「なにそれ‥‥‥」
常勝不敗のくせに何を言うか。勝ちたいどころか負けた事なんか一度たりともないじゃないか。
「絶対に会えない。賭けてもいいわよ」
「そう? なら、もし会えたら?」
「三つ指ついて土下座する」
「‥‥‥別のがいいかな」
「――じゃあ、何でも一つ言う事を聞いてあげるわよ」
「乗った」
何というか、この楽しそうな笑顔に出鼻を挫かれたような気分にさせられる。私の覚悟はいったいどこに行けばいいのかしら。ついでに負けっぱなしの心の傷に塩まで摺りこまれたような気がする。
「‥‥‥‥‥‥なんかもう、いいや」
信じてくれないのなら、それでもいい。百歩、いや、一万歩譲ってそういうことにしておこう。諦めた。
「私はちゃんと言ったからね? これがお別れの挨拶だって」
「うん、分かってるって」
「絶対真面目に聞く気ないじゃん」
「聞いてるってば」
「あっそう。なら最後にもう一つ真面目に聞いてほしいんだけど」
「ん?」
「――‥‥‥アンタが好き」
言ってしまった‥‥‥。できれば一生言いたくなかったし、認めたくなかった。好きになった方が負けっていう心理が今になってよく分かる。
この言葉を言ってルイルの顔を見るだけで、何だか無性に目頭が熱くなってしまう。
目を見開いたまま黙り込むルイルに私はもう一度、さっきよりハッキリと告げた。
「私は、ルイルが好き」
「‥‥‥‥‥‥」
「勝負のこともそうだけど、ずっと一緒にいたいと何度も思ったし、ルイルのそばにいられるだけで幸せだった。この先も永遠にって人生で初めてそんな事を祈ったし、もうこの先一生恋なんかできないだろうなってくらい本当に好きだった。アンタ以上の人なんてきっといないんだろうなってさ‥‥‥多分、死ぬまでそう思ってるかも‥‥‥いいえ、絶対そう思うに決まってる」
「‥‥‥リリー、」
「いいの。答えなんか要らない。むしろ聞きたくない。絶対未練が残っちゃうから。かなり自分勝手なこと言ってるなって自分でも思うけど、これだけは言っておきたかったの‥‥‥‥あと、それとね?」
いったんそこで言葉を止め、ルイルとの距離を詰める。私は真下から彼の綺麗な顔を見上げた。
「勝手ついでに、私の我儘を叶えてほしい‥‥‥」
ルイルの肩に手を伸ばして、ゆっくりと背伸びをする。お互いの吐息が感じられるくらいの距離まで近づいた時、もう一度だけ「好き」と呟いて、私は目を閉じた。
最初で最後の我儘。ルイルからしたらただただ迷惑なことでしかないけれど‥‥‥‥‥‥そんなこと、百も承知。
もしかしたら突き飛ばされるかも。覚悟は、できている。それくらいとんでもないことをしている自覚はある。‥‥‥しかし、恐れていた事態にはならなくて。
ルイルが私の頭を優しく撫でてくれる。思わず泣きたくなるくらい彼の手が優しくて、本音を言えばその時点で縋りつきたい衝動に駆られたのだけど、それ以上を要求したら、きっと戻れなくなるような気がする。
‥‥‥‥‥‥それだけは、ダメだ。
自然と涙が零れていた。私はそっとルイルの胸板を押し返しつつ離れた。
「ごめんね、急に、こんなことして」
顔が上げられなかった。彼の顔を見るのが怖くて、まともに視線を合わせられなかった。
申し訳なさと、情けなさと、恥ずかしさと。もう何が理由なのかも分からないけれど、最後にちゃんとルイルの顔を見ておきたかったのに、無理みたい。
「ねぇ、リリー」
やや低い声音が聞こえて、彼が一歩近づいてきた。私は逃げるように一歩退がると、
「‥‥‥ホントにごめん‥‥‥さようなら」
それだけ言い残して、あとはもう必死で駆け出していた。
幸か不幸か、ルイルは追いかけてこなかった。本気の彼なら私に追いつくことなんて容易いはずで。でもそれが無いということは‥‥‥‥‥‥
きっとそれが答えなのだろう。
一世一代の告白は、見事に玉砕したようだ。
その夜、リリーは迎えに来た飛馬車に乗ってファジール学園を出ていった。卒業式を待たずして、帰るべき場所へと戻ったのである。
♢♢♢
「お目覚めの時間でございます」
幾重にも重ねられた天蓋の向こう側から侍女の声が聞こえた。
本当はもうとっくに目覚めていたけれど、あえてすぐに返事はせずにしばし待ってからそれに応じる。
豪奢な寝台と同じく赤を基調とした華々しく広々とした一間。
待ち構えていた数人の侍女たちの世話を受けて身支度を整える。最後に髪を梳いてもらっていると、ほどなくして朝食が運ばれてきた。
近頃食欲のない主人に合わせたごくごく軽いメニューだった。料理人の心遣いが見える身体に優しい品ばかりが使われている。ありがたかったが、同時に申し訳なくもあった。
‥‥‥‥‥‥以前ここに居た時は、そんなの“普通のこと”だと思ってたっけ。
でも今はそうは思わない。食事を受け付けたがらない身体を無理やり奮い立たせて完食した。
少しでも食べておかなければならなかった。そうしないと頭が回らず、ボロが出る。
今日に限ってはとくにそう。ミスは絶対に許されない。
なぜなら今日は私――アリシア・ディ・アルテシア16歳の誕生日。つまり式典がある。
つい三日前までリリー・ラングルだった私の正体は、この国の王女だった。
大国アルテシアの第三王女にして継承権2位。叔母に当たる現女王派の勢力拡大により次期女王の座から引きずり降ろされて早11年。
この式典に合わせて参加するデビュタントで勢力図を塗り替える為の糸口を必ずものにしなければ。
――私は玉座を手に入れ、いつかこの国の女王となる。それが今は亡き母との約束だからだ。
王宮内の歩廊を歩いていると、右背後を離れず付いてきていた侍女が「恐れ入ります、殿下」と声を掛けてきた。
「陛下へのご拝謁前に例の件を――」
「わかっているわ」
言葉をかぶせて返事をしつつ、どこか閑散とした通路を見やる。王宮は王宮でもここは離宮で、出入りするのはほんの数人の使用人とアリシアのみ。もとは本殿の奥で暮らしていたのだが、母が亡くなると同時に徐々に外へと追いやられ、いつの間にかこの離宮に側使えの侍女と二人で住むようになった。
最低限度の使用人だけをアリシアに寄こして。‥‥‥地味な嫌がらせだ。やり口が陰険かつ女々しい。今に見ていろ、現女王派の犬どもめ。
そんなことを考えつつふと背後を振り返ると、侍女と目が合った。ややきつめの相貌のおばさんで、本当ならとっくにどこか良家に嫁いで子供の一人や二人育てていてもおかしくはない年なのに、アリシアの事を気にして今も残ってくれている。
「‥‥‥なにか?」
どちらともなく足を止めると、侍女が不思議そうな顔で訊ねてきた。
「ケイト、私がいない間のこと‥‥‥ありがとね」
そう言うと、侍女ケイトが表情を緩めた。
「とんでもございません。――しかしながら、その言葉遣いは早く直してくださいね」
穏やかにツッコまれ、思いがけず言葉に詰まる。頼りがいのある人なのだが、なにかと小言っぽいのが玉に傷。これが怒ると鬼より怖いから、素直に「はい」とだけ返しておく。
「‥‥‥ところで、集まった騎士たちの身元調査はすんでいるの?」
「はい、全て滞りなく」ケイトが頷く。だが、彼女の表情は少し暗かった。
「経歴に“不備”がある者は既に除外しております。残った者は‥‥‥一人だけでしたが」
「――でしょうね。まぁその、選ぶ手間が省けたと思えば、ね」
腰に手を当てて苦笑いをする。予想はしていたけど、50人も集まってそのうち49人が“黒”だとは‥‥‥。
早い話が、アリシアの直属護衛騎士の選抜だ。王族なら必ずそういった身を守る護衛が必要になるのだが、もちろん信用できる人でなければ困る訳で。
黒だと言った輩は全員現女王派の手の者で、“うっかりアリシアを守り損ねる可能性”のある人たちなのだった。
「できればもう一人くらい欲しかったけど‥‥‥その残った一人ってどんな人?」
「優秀ですよ。とくに魔法に関しては逸材かと」
「ふぅん? 私より強‥‥‥くなくちゃ困るけど」
「その点は保証します。なにせ国家魔導士ですからね」
「はい? 国家魔導士ですって?」
思わずケイトを二度見する。何でそんな偉い人がわざわざ騎士の身分に成り下がろうとするの? どんな奇特な人なのだ、それは。
この国には三大勢力といって、王族の他に対等する権力を持つ機関がある。
王族、教会、もう一つが魔導士連合。国家魔導士はその魔導士連合のトップで、王女であるアリシアは身分こそ上だが、地位的なものになると話は別で‥‥‥国家魔導士の方が格上となる。それも数段違う。
むしろこっちが「はは~」と頭を下げねばならない存在が、何故に。しかも継承権2位の実は微妙な立場の人間のところへ、どうして。
「それ、もしかして女の人?」
例の彼以外だと、確か20代前半の女性魔導士が有名だが。
しかしケイトは否定した。
「若い男性の方です」
「‥‥‥‥‥‥若い?」
「はい」
「‥‥‥‥‥‥」
国家魔導士――つまり大魔道士は大体お爺ちゃんみたいな人たちの集まりのはずだが、あれ? なんか嫌な予感がする。
薄ら寒さを覚えながら上目遣いにケイトを見つめた。
「‥‥‥チェンジってできる?」
物は試しで訊ねたが、
「冗談はおやめなさい」
渋い顔でぴしゃりと言われてしまったのだった。
(――まさかね)
そう、まさかよ。まさかアイツなわけがない。最近国家魔導士になった人かもしれないし、ひょっとしたら別の国の魔導士っていう可能性もあるし。まだ決まった訳じゃないだろう。
重い足取りでゆ~っくりと歩きながら悶々とそんな事を考える。
ケイトに名前や見た目の特徴を聞こうか、めちゃくちゃ迷ったが結局のところ怖気づいてしまって聞けずじまい。
頻繁に脳裏を過る、綺麗な顔立ちをしたとある男の顔。
思い出しては歩廊のど真ん中で悶絶しかけてはケイトに怒られ泣く泣く進むを繰り返す。
いや私、別れの挨拶したよね? もう今生の別れって感じのそれはそれは重い挨拶したばかりよね? その上、最後だからとすっごく強引にキスまでしちゃったよね?
(やばくね‥‥‥?)
来客専用の部屋の扉の前で立ち尽くした。この奥に例の騎士がいるはずだが、はっきり言って開けたくない。
できることならここで回れ右をして自室に駆け込み布団の中に隠れたいのに、傍らに立ったケイトがものすごく険しい表情で「早くしなさい」と目で催促をしてくる。
「殿下、あまり時間がありませんので」
言葉でも催促されてしまう。
「わ、分かってるって」
「‥‥‥言葉遣い」
鬼だ。鬼がいるぞ。もう泣けてきたんですけど。かと言って事情を話すわけにもいかない。アリシアは恐る恐る扉に手を伸ばした。
ちょこっと扉を開けて、隙間から中を覗く。視界に入った黒色に、アリシアは首を傾げた。
(なんでこんなに真っ暗なの?)
いま朝よね? と思いつつ、つつーっと視線を上げたその時、隙間の奥からにゅっと手が出てきて、扉の端を掴んだ。
「え? あっ、ちょっ――!!」
止める暇もなく、扉が勝手に開いた。ドアの具を掴んだままだったアリシアが引っ張られて転びそうになったところを、誰かがすかさず受け止める。
すると、頭上から苦笑が落ちてきた。
「‥‥‥いつまで待たせる気?」
その声を聞いて、アリシアは絶句した。それは八年間、飽きるほど聞いた因縁の相手の声に間違いなくて。
嫌々ながら上を向けば、やっぱり‥‥‥。よく見知った銀髪の男がいた。
「三日ぶりかな?」
ルイルその人がニッコリと微笑んだ。
暗闇に見えたのはルイルが身に付けていた騎士の制服だった。黒を基調としたサーコートにズボンとブーツ。至る所に程よく金と赤の刺繡が入っており、胸元には金でできた王家の紋章。そして同じく金の飾緒と、鳶色のユサール。それらをばっちり着こなしていた。
あ、案外様になるかも。美丈夫は何を着ても似合うんだなぁ、なんて感心したのも束の間、
(終わった‥‥‥)
アリシアは瞬時にそう思った。
国家魔導士で、若い男。予想はしていたが、こいつかよ‥‥‥よりによって。
「言っただろう? 杞憂だって」
‥‥‥その満面の笑みを今すぐやめてくれ。
学園最後に犯した罪を思い起こし、さーっと青ざめたアリシアは慌ててルイルから距離を取った。
「‥‥‥国家魔導士なら連合に所属するのが普通でしょうよ‥‥‥なんでアンタがわざわざ王宮に‥‥‥」
「聞かれたら答えるつもりだったんだけどね、これでも」
ルイルは呆れたように笑うと肩を竦めた。
「君ってば全然聞いてこなかったから」
「いや、だってそりゃあ‥‥‥ていうか待って! じゃあアンタ私の正体知ってたの!?」
「うん。五年位前に、偶然」
「そんなに前からかよ‥‥‥」
愕然とすると、何が面白いのかルイルがクスクスと笑った。
「まさか本当にリリーがお姫様だったなんて‥‥‥この目で見るまでは信じられなかったけどね」
「ただの嫌味よね? それ」
「苦労して国家魔導士になった甲斐があったよ。護衛騎士になるには爵位がどうしても必要だったから」
「いや‥‥‥爵位なら国家魔導士以外にも色々と道はあったでしょ」
国内随一の難しさを誇る試験をどうしてわざわざ選んだのか。天才の思考は理解できない。
呆気に取られてぽかんとするアリシアに、ルイルは笑顔のまま詰め寄った。
「さて、賭けは一先ず僕の勝ちってことでいいのかな?」
「この卑怯者! 確信犯のくせに!」
「何とでも。‥‥‥じゃあ、とりあえずこの前の告白をもう一度初めからやり直すってことで――」
「ぎゃああぁぁぁぁっ!!」
真っ赤になって叫び、ルイルの言葉をかき消そうとした。ケイトの前でなんてことを口走ってくれたんだ、この男!
だが、完全に叫び損だった。そこで今まで空気と化していたはずのケイトの背後から不穏なオーラが漂い始めたのである。後ろから「告白?」と低い声で呟いたのが聞こえて、思わず血の気が引いた。
するとルイルがフッと笑った。咄嗟にピンときて、察する。どうやらケイトまで巻き込むつもりらしい。やりやがったな、こいつ!!
「ノーカンよ、ノーカン! こんなインチキ許されてたまるか!」
「言い出しっぺの法則って知ってる?」
ルイルがしれっと言う。そのすました表情があまりにも憎たらしい。
二度と会わないと思っていたのに、むしろこれから毎日この歩く黒歴史の顔を見なくちゃならないのか、私は。
「クビだ! アンタなんかクビよ!」
「不当解雇には断固戦うけど? いいのかなぁ? 連合を敵に回しても」
「ぐっ‥‥‥!!」
いいわけがないので言葉に詰まる。ただの脅し文句だろうが、王は三権の承認が無ければ玉座に就けないという原理上、アリシアからすれば効果絶大だった。
そっちがそうくるなら――アリシアはキッとルイルを睨んだ。
「リリー・ラングルでした約束はリリー・ラングルだけのものよ! 今の私とは別人! そんな人ここにはいない! 意味わかる!?」
今度はルイルがポカンとする番だった。三秒ほど唖然と沈黙し、
「――なるほど。屁理屈だけどあながち間違いでもないね」
それからニヤリと口角を上げた。
「それなら、賭けは仕切り直さなくちゃね。今度は逃げたり――しないよね? “ずっと2位のままだった誰かさんの雪辱”を晴らすためにも」
「くっ‥‥‥う、受けて立つわよ! 立ってやろうじゃない!」
「よし。じゃあ“次も”必ず言わせてみせるから、あの屋上での――」
「絶っ対に言わないから!」
(――まあ、賭けなんて初めから僕の圧勝なんだけどね?)
何故なら負けの前提条件がルイルにだけ無いのだから。あとは待っているだけでおのずと勝利は降ってくる。
それに気付いたのは二年後‥‥‥アリシアがルイルの告白にうっかり乗ってしまった、その直後だった。
読んでくださりありがとうございました。
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