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平将門と藤原純友

平将門は、平安時代に東国で反乱を起こした人物であるが、大河ドラマでは1976年に放送された『風と雲と虹と』の一度きり。あれからもう46年経過している。

一方、同時期にもう一つの反乱を起こしたのが、藤原純友という人物だ。


平将門は東国で、藤原純友は西国で反乱を起こしている。

承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱』とも呼ばれる。承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)という二つの年号の時期に起きたことから名付けられ、腐敗した京の都の中央政府への失望から、それが動機となって反乱を起こしたという。

律令国家の衰退と武士のおこりを表す出来事になった。

じつは、平将門と藤原純友はお互いに示し合わせていたという説がある。

平将門は関東で決起し、藤原純友は瀬戸内海、豊後水道で決起した。

じつはこれが、東と西で同時に反乱を起こして、あわよくば京の朝廷を東と西から挟み撃ちにする計画だった、というのだ。

その事を検証する意味でも、大河ドラマ化を今一度実現させようという考えもあるが、皆さんはいかがかな?


この二つの反乱が成功していたら、もしかしたらその後の日本の歴史は大きく改変されていたかもしれないというほどの衝撃を受けたのだった。

平将門が現在の東京大手町のど真ん中にある首塚にまつられたのは、1000年以上も昔の話。その間の1000年以上の歴史、時代の移り変わり、風景の移り変わりを、平将門はずっと、見守り続けたということになる。


どうせなら、首塚にまつられた後のいろんな話も、大河ドラマの中でやってみたい、と思ってはみたのだが、ある種の不安もある。


それは、万が一にも関係者たちの間で、病気や怪我などが続出したり、撮影の最中に事故などが発生して怪我人が出るなどした場合は、

これこそまさしく将門公の呪いだとマスコミでも伝えられ、撮影中止、制作断念などの事態に追い込まれるようなことになってしまうということ。

どうか、将門公、その時が来たらお許しを、ご容赦を、と祈りを捧げたいところだ。


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