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もしもこの人物を大河ドラマにするなら 甘藷(かんしょ)先生 青木(あおき)昆陽(こんよう)

もしもこの人物を大河ドラマにするならシリーズで書きたいです。


○○県出身の人物 と検索すると、その県の出身の人物の一覧が出てきます。


東京都出身なら東京都、千葉県出身なら千葉県と、各都道府県の人物を調べて、大河ドラマ化の可能性のある人物を探しています。


人物名を検索する時は、基本的にこのようなやり方で調べます。それをもとにして、文章を考えて、書きます。


ただし、Wikipediaなどに名前が載るような、ある程度知名度のある人物に限られます。


例えば、江戸時代中期の、青木(あおき)昆陽(こんよう)という人物を知っているか?


サツマイモの普及に尽力し、甘藷(かんしょ)先生(せんせい)という異名で呼ばれた人物で、千葉県に縁のある偉人の一人でもある。


青木(あおき)昆陽(こんよう)甘藷(かんしょ)試作地(しさくち)


青木昆陽が享保2年(1735)にサツマイモの試験栽培を行った地の一つに、

馬加村(現・千葉市花見川区幕張町)があり「青木昆陽甘藷試作地」として千葉県指定史跡になっている。


この甘藷(かんしょ)を広めたおかげで、飢饉対策に大いに貢献し、天明の大飢饉になった時も、甘藷(かんしょ)を食べて命をつないだことで、この地が助かった、その功績を称えて、幕張には昆陽神社なる神社が建てられ、

青木昆陽を奉る神社として、今も京成幕張駅の近くにある。


8代将軍、徳川吉宗にも功績が認められた。

書物奉行という役職に就く。


享保の飢饉の時に、西日本では甘藷(かんしょ)、つまりサツマイモを栽培していたため、大きな被害を免れた、という知らせを聞いた幕府が青木昆陽に命じて、東日本でも甘藷(かんしょ)、サツマイモの試作地を整備することを奨励した、という話だ。


なお、青木昆陽が普及させたサツマイモは、『赤イモ』という種類であり、いわゆるこれが現在の我々が知っているサツマイモということになる。


最晩年の弟子には、前野良沢がいる。


青木昆陽と同時期に、サツマイモ普及に努めた人物としては、下見吉十郎(伊予松山藩)や、井戸正明(石見銀山大森代官)などの人物たちがいる。


このようにして、大河ドラマ化の可能性のある人物や、そのエピソードについて調べて、それをもとに執筆している。


江戸時代中期~後期の、幕末に入らないくらいの時代の人物たちとか、将来的には大河ドラマ化を検討してみても良いのでは?


天下泰平の世も、100年以上、200年以上も続くと、幕府の体制もいつしか、世襲を繰り返すだけのものになっていく。


その一方で、儒学者や、絵師、藩医などといった職業の人たちが活躍するようになる。


何も大河ドラマでなくとも良い。民放の2時間程度のスペシャルドラマ、あるいは映画とか、歴史上の人物の生涯とか、歴史上の出来事などは、文庫本ではよく見かけるが、映像化されるとなると、難しいところがあるのかと思っている。


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